「では、また学校で」
「……ん、じゃあね」
家の中へ入っていく彼女を見届けてからまた歩きだす。
もうダメだ。誤魔化そうと思っても、俺の心はどうしても星那に向いてしまう。
いつまで経っても星那を探す癖は治らない。
「ははっ……偽善者かよ」
どこからかそんな渇いた声が聞こえてきて急いで辺りを見渡す。それでもその姿は見当たらない。
「本当はお前、星那のことが好きなんだろ?」
その声とともに姿を現したのは江崎くんだった。
「そ、そんなわけない。俺は小谷さんのことが……っ」
どうしよう、声が震える。俺の心を見透かしているように彼はニヤリと笑う。
「それなら忠告してやるよ」
そして、俺に近づいてまた言葉を続ける。
「俺達は付き合っていない。でも俺は、星那のこと好きだから」
「え……?」
その言葉を聞いて何かが繋がったような気がした。
まずは付き合っていないことに驚いて、少し安心した。
付き合っていないのにお祭りを一緒に回ったり、キスをしたり。
それは彼の性格からして、好きじゃないとできない行為だろう。
それに、星那といるときのあの優しそうな表情を見れば誰だってわかる。
彼は星那のことが好きなんだと。
「今度は絶対に幸せにするって決めているから。お前には渡さねーよ」
でも、あのとき江崎くんが振ったんだよね?
そのせいで星那は俺の前で涙を見せたんだよ?立ち直れないくらい心に大きな傷を負ったんだよ?
それなのに今更どうして……。
「別に、いいよ」
俺の今の彼女は小谷さん。星那じゃないんだ。俺と星那は元恋人。今は関わることもない。
どんなに俺が想っても届かなかった。ずっと星那は江崎くんを見ていた。
宣戦布告なんてしなくても、星那とは両想いなのに。
「あっそ。素直じゃないんだな」
彼はそれだけ言って立ち去っていった。
素直。そういえば渚も言っていたよね。『素直でいろよ』って。
素直って、自分らしさって、なんだろう。自分のしたいようにまっすぐに向かっていくこと?
それならもうできている。俺は星那に幸せになってほしい。そのために全力を尽くしているつもり。
それでも足りないというのだろうか。
それからのことはよく覚えていない。気づいたら隣には杏がいて、俺は繕ったような笑みを浮かべていた。
《 千佳side 》
季節は秋。紅葉が学校の前を彩る美しい季節になった。
でも私の心は曇ったまま。女心と秋の空、とあるように、私の心も一喜一憂してばかり。
「あ、の……広瀬くん?」
「え?」
最近、広瀬くんの様子が変なの。
……ううん、最近なんかじゃない。付き合ったときからずっとそうだった。
でも、気づかないフリをしていたの。そうでもしないと、彼の隣にはいられないと思ったから。
私と広瀬くんが付き合ったのは宿泊学習のときのこと。
1日目の夜、ロビーに彼を呼び出して思い切って告白をした。
結果は保留。返事は後日教えてくれるとのことだった。
昔から大人しいと言われていた私が自分から告白したことに、理々愛は褒めてくれた。
中学生のときから仲のいい友達。性格は正反対だけど、なんだか気が合って一緒にいると楽なんだ。
次の日の夜、お風呂あがりの私達の前に現れたのは、息を切らした広瀬くんだった。
『俺で良ければ付き合ってください』
その言葉を聞いたとき、飛び上がりそうになるくらい嬉しかった。
でも、彼の表情を見て一気に感情は変わった。
なんだか自分の気持ちを無理に押し殺しているように見えたの。
私が気持ちを伝えたせいで苦しませてしまった?篠原さんとの過去を思い出させてしまった?
彼が篠原さんのことを忘れられていないのはわかっていたから、きっと振られるだろう。そう思っていた。
でも、結果はなんとOKで。本当に嬉しかった。だから、彼にも笑ってほしかった。
片想いは辛い。でも、付き合っているのに相手の心が自分に向いていない方がずっとずっと辛い。
そのことを当時の私はまだ知らなかった。
「今日、帰れるかな?」
「あ、うん……。大丈夫だよ」
本当は一緒に帰りたくないんじゃないの?私といるときも他の人のことを考えているんでしょ?
篠原さんのこと、まだ好きなんじゃないの?
────なんて、そんなこと言えない。
言ったらきっと私達の関係は終わってしまう。こんな醜い感情を打ち明けたら嫌われてしまう。
どんなに辛くても嫌われることだけは嫌だから、私はまたこの気持ちを封印するの。
◇◆◇
「はぁ……」
今日は1時間目から私の苦手な体育の授業。心が晴れず、こんな日に限って天気も雨。
だから、男子はバスケ、女子はバレーと室内でできる競技をしている。
「千佳!ほら、広瀬くんだよ!」
「広瀬くん、かっこいいな……」
バスケをしている彼はかっこよくて目が釘づけになってしまう。
ドリブルでひとり、またひとりと相手を翻弄していく。そのままゴールへ近寄り綺麗なシュートを決めた。
この前の球技大会でも彼は活躍していた。
種目はバスケ。バスケ部の人とも対等に戦っている姿を見て、ますます好きになったのを覚えている。
でも、もうひとり広瀬くんの他にも目立っている人がいる。それは1組の江崎くん。彼は理々愛の好きな人。
彼がドリブルをする度に「かっこいい!」と騒いでいる。
これから始まるのはちょうど広瀬くんと江崎くんの試合。
始まる前からふたりの間には熱い空気が流れているようだった。
「広瀬にだけは負けたくねーな」
「俺だって江崎くんには負けないよ」
ふたりがそんな会話をしていたなんて知らなかったけど、それでも私は広瀬くんを信じていたかったよ。
それなのに、どうしてかな。こんなにも神様は私に意地悪をするの。
2時間続きだった体育が終わった。広瀬くんと江崎くんの試合では、ふたりともすごい速さでボールを操っていた。
どちらが引くこともなく終始盛り上がっていたと思う。結果は僅差で1組の勝ちだった。
「広瀬くん、お疲れ様」
でも彼は活躍していた。その全力で頑張る姿が本当にかっこよかった。
この愛しい気持ちが伝わればいいのに。
そっと首にタオルをかけると彼が顔を上げる。そして、私に向かって「ありがとう」と微笑んだ。
たったそれだけのことで胸が高鳴る。でも、そんな幸せも簡単に崩れていくんだ。
「じゃあ行こうか」
そう言って教室へ戻ろうと歩き始めた広瀬くんだけど、すぐに足を止めた。
「広瀬くん……?」
ボーッとして動かない。
どうしたんだろう、と覗いてみると、その理由がハッキリとわかった。
目の前には─────篠原さんがいた。その理由に気づいてモヤモヤとした感情が胸に広がる。
ねぇ、痛いよ。こんなにも。
彼女も驚いたように目を見開いたかと思うと、すぐに目を逸らして体育館に入る。
どうやら次の体育は3・4組らしい。
広瀬くんは体育館の入口で少し立ち止まったかと思うと。
「……ごめんね、行こう」
振り返ってバツが悪そうな顔でそう言った。でも私はそれに微笑み返すことができなかった。