「あれ?」
ふと驚いたような声をあげる。気になってその視線が向く方向を見てみると、そこには矢代さんがいた。
しかもその動きは不審で、何かから隠れるようにコソコソと歩いている。
「えっと、矢代さん?」
「へっ!?」
後ろから近づいて声をかけると、彼女はまるでカエルのように飛び跳ねた。
そんなに驚かせてしまうなんて。少し反省しながらも小谷さんと揃って矢代さんを見つめる。
「なんだ、千佳と広瀬くんかぁ」
驚かさないでよ、と彼女はおどけて笑う。つられて俺も笑ったけど気になるのはそこじゃない。
どうしてあんなに怪しい行動をしていたのか。その答えは彼女の少し前を歩くふたりにあった。
「これ、見てよ。悠大くんが笑っているお宝写真!」
すごいでしょ、と彼女は腰に手を当てて見せびらかす。俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……。
「星那と江崎くん、か……」
彼女の持つ写真には、笑顔の江崎くんとすました顔で笑う星那が写っていた。
大丈夫、大丈夫。ふたりが一緒にいるところを見たってもう怖くない。
それよりも頭に浮かんだのは、やっぱりふたりはヨリを戻したんだ、ということ。
江崎くんが女遊びをやめた理由もきっと星那にあるんだろう。
星那もずっと江崎くんのことが好きだったわけだし、ふたりがまた付き合うのは当たり前のことだよね。
それなのにどうしてこんなに胸が痛むんだろう。今の俺には関係ないのに、どうして……。
結局ふたりには話しかけずに、小谷さんを家へ送り届けてから帰った。
その間も悲しげに隣を歩く彼女のことは見えないフリをしていた。
◇◆◇
「小谷さん、待たせてごめん!」
今日は約束の土曜日。そう、小谷さんとのデートの日。
宿泊学習のときに付き合い始めたから、もう付き合ってから3ヶ月くらい経っている。
でも、俺達は1度もデートをしたことがなかった。
夏休み中に会ったりすることもあったけど決まってそれは4人でのときだけ。
俺と彼女のふたりだけで会ったことはまだあまりない気がする。
「いいえ、大丈夫ですよ」
約束は1時。俺も少し着くように出たはずなのに彼女はその前に来ていた。
何分前からいたんだろう。かなり待たせてしまったのかな。そう思いながらもふたりで並んで歩きだす。
離れたり触れたりする肩の距離。落ち着かないと思いながらも、彼女に合わせて少しゆっくり歩く。
「あの、広瀬くんっ……」
緊張しているのか少し上ずった声で呼び止められる。赤く染まった顔はなんだか可愛く見えた。
「手繋いだらダメですか?」
絞り出された言葉に少し驚いた。デートをして手を繋ぐ。それはきっと普通のことなんだろう。
それに俺達は付き合っている。別に繋いでいたって不思議ではない。
「ダメなわけないよ」
彼女の手を引き寄せてぎゅっと握る。秋風に触れていた手は少し冷たかった。
繋いだ手の指をそっと絡める。そう、いわゆる恋人繋ぎをする。
「その代わり俺からもお願いがあるんだけど」
そう言うと、彼女はなんですか?と言いたげな顔で俺を見つめる。
不思議な感覚がする。星那以外の人と手を繋ぐ日がくるなんて。
「敬語はやめてよ。他人じゃないんだし」
ずっと思っていた。矢代さんにだけはタメ口だけど俺や渚の前では敬語なんだな、って。
そんなところが彼女のいいところだとは思っているけど、少し寂しいのも事実。
友達としてもなんだか信頼されていないみたいで嫌だ。特に関わりがない他人のように思ってしまうから。
「そ、それは無理ですっ」
彼女はかたくなに拒否をする。きっと男子とタメ口で話したことはないんだろう。
教室でも俺や渚以外の男子と話しているところはあまり見かけない。
「じゃあこの手離すよ?」
少し意地悪にそう言うと、彼女は肩をすくめて曖昧に笑った。
「そ、それは……。わかった、もう敬語はやめ、る、ます」
知らない間に敬語が癖になってしまっていたのか、なんだか言葉がおかしいけど。
必死にタメ口で話そうとする彼女は微笑ましかったからこれで良しとしよう。
それからも小谷さんは慣れない話し方に苦戦しながら会話を繋いでくれた。
あっという間に目的地に着いた。
「わぁっ、綺麗……」
ここは植物園。この空間は温室で寒さに弱い植物も関係なく生えている。
前に1度『植物が好き』だと話したことがある。そのときは確か彼女も『花を見るのが好き』と答えてくれた。
その会話を覚えていたのだろう。提案された行き先は植物園だった。
あたたかいところに立つ高い木。ある決まった条件のところにしか生えない花。それらを彩る草。
全てのものが美しく浄化されているように見える。
植物園内を歩き回り、1時間くらい経った頃。
俺達は少し小さい植物園のお店に立ち寄って休憩中。
「ねぇっ、広瀬くん」
さっきまでは敬語だったのに今はもうタメ口に慣れた様子の小谷さん。戸惑いもなく俺に話しかけてくる。
「見て。これ綺麗だね」
「あ……」
そう言って差し出す彼女の手の中にあったのは桜の押し花。
それを見て1番に思い出すのは、星那と初めて出会ったときのこと。今でも鮮明に思い出せる。
あの桜の木はもう枯れてしまった。できることなら今年もゆっくり星那と一緒に見たかったよ。
「……っ」
ダメだよ。ほら、笑わなきゃ。俺は小谷さんと付き合っているんだから。
星那と付き合っていたのはもう過去の話。だから星那のことなんて考えちゃいけないんだ。
「広瀬くん……?」
何も言わない俺に対して違和感を覚えたんだろう。
小谷さんが俺の顔を覗く。でも咄嗟に笑顔をつくることなんてできなかった。
「どうしたの……?」
そうだよ、忘れなきゃ。忘れて俺は幸せになればいいんだ。
俺のことを好きでいてくれる彼女と一緒に幸せになるんだ。
頭では確かにそう思っている。それなのに、どうしても彼女が隣にいる未来を頭で描くことができない。
俺が想像してしまうのは……隣で星那が笑っている未来だけ。
どうして?どうしてこんなに星那のことばかり考えてしまうの?
星那のことは忘れたいのに。小谷さんのことを好きになりたいのに。
いつも星那との思い出が邪魔をして、頭から離れなくなる。
「……ごめん、なんでもないよ。また植物園を回ろう?」
なんでもない。この言葉を使うのは何度目だろう。いつだって俺は自分の心を誤魔化している。
どんなことにも必死で、全力でぶつかっていたあの頃の俺はもういない。
「……うん」
短く返ってきた言葉を聞き逃すはずがなかった。彼女を不安にさせているのは間違いなく俺。
俺がいつまで経っても星那のことを忘れられないから。思い出にばかり縛られて前を向こうとしないから。
そのせいで傷ついている人がいるなら、俺が変わらなきゃならない。そんなことくらいわかっているんだ。
それでも……どうしても考えてしまうんだよ。隣に星那がいたらどうだっただろう、って。