でも、もう悠大に振られたお祭りの夜のようなことは繰り返したくない。
私の気持ちが変わるわけじゃないから、悠大の手を振り払って迅のことはひとりで忘れなきゃいけない。
その気持ちが浮かぶ度に苦しくなる。
忘れたくない。迅との日々に上書きなんてしたくない。そう思ってしまう自分もいる。
言葉にはできない許されない気持ち。
できることなら。
「伝え、たかった……っ」
────寂しくなるから泣かないでよ。
────最後くらい強がりでいさせてよ。
君の怒った顔も。泣いた顔も。笑った顔も。全部私の思い出のアルバムに焼きつけた。
生きていく意味も見つけた光も迅が教えてくれたのに、そんな君も私から遠ざかっていく。
「星那……」
お願いだから、そんなに切なげな顔で私の名前を呼ばないでよ。私のしたことが無意味だったように思えてしまうから。
この気持ちは私を置いてどこへ向かうんだろう。私の中では今も変わらず熱いままなのに。
「大好き、だったのにっ……」
ねぇ、どれだけ強くなったらまた笑えるのかな。どれだけの時間が経てばまた進めるのかな。
この止まったままの時計はいつ動きだすんだろう。
私には、迅しかいないんだよ。
ねぇ、君は私にたくさんの希望と幸せをくれたよね。
でも私は弱いから、向き合わずに逃げることしかできなかった。
その幸せを返す自信がなかったんだ。
最後に笑顔を見せてよ。
辛くても苦しくても、君と過ごした日々はかけがえのないものだった。
全部全部、大切だった。
だから、この「好き」って気持ちをいつまでも胸の中に。
宿泊学習後、初めての登校。
席に着くまでに何人かの人に声をかけられた。それに返事をしながらも俺は窓の外の景色を眺める。
空は少し曇っている。今日はいつもより早い時間に来てしまったからあまり人はいない。
もちろん朝に弱い渚はいるわけがない。
「……広瀬くん」
後ろからいきなり声をかけられてドキリとする。休み明けだから久しぶりに見たけど、絶対にあの日のことは忘れない。
目の前には小谷さんが立っていた。
「おはよう、小谷さん」
俺は宿泊学習の2日目の夜、彼女に告白の返事をした。
星那と江崎くんのキスシーンを目撃した俺はかなり気が動転していた。気づけば彼女と付き合っていたんだ。
でも、付き合おうと望んだのは俺。これが最善の答え。今でもこれで良かったと思っている。
まっすぐに伸びた黒髪。礼儀正しくておしとやかな振る舞い。他の人から見ても彼女は美人の部類に入るだろう。
「……やっぱり綺麗だな」
ポツリとこぼした言葉はどうやら耳に届いたみたいで、彼女の顔はボッと一気に赤くなった。
「そんなこと言わないでくださいっ……」
あぁ、なんだか可愛いな。恥ずかしそうに顔を隠す彼女を見てそう思った。
星那じゃないとダメだと俺は決めつけていた。星那以外の人なんて見ようともしていなかった。
でも、答えはもっと近くにあったのかな。彼女と付き合ってからそう思うようになってきた。
「迅は今、楽しいか?」
昼休み。一緒に昼食を食べている渚にいきなり問いかけられた。
「もちろん。みんなのおかげで楽しいよ」
これは嘘じゃない。渚や小谷さん、矢代さんに出会えて本当に良かったと思っている。
4人でいる時間は楽しくて、いつまでも笑っていられる。
「……じゃあ幸せか?」
その質問に一瞬戸惑った。
彼はきっと俺の気持ちをわかっていながら聞いているんだ。
星那のことが好きなのにどうして小谷さんと付き合ったのか。それを聞き出そうとしている。
「幸せ、ではないかもしれない」
俺にとっての幸せは星那と一緒にいること。きっとそれは俺と星那の関係が変わっても変わらないだろう。
「でも、絶対に自分で幸せをつくってみせる」
夢みたいな幸せはもう叶わない。
俺には小谷さん、星那には江崎くんがいるんだ。俺と星那が関わることはきっともうないだろう。
この気持ちは消すと決めた。その決断に後悔するつもりはない。
「迅がいいならそれでいいけど」
何が言いたげな顔をしていたけど、俺の表情を見て言うのをやめたらしい。
きっとこの気持ちが中途半端ではないことに気づいたからだろう。
「素直でいろよ。自分に嘘はつくんじゃねーぞ」
……そんなこと言われなくてもわかっている。今だって自分に素直でいるし、昔からそれは変わらない。
俺はそう思っていたから、間違いに気づくことかできなかったのかな。
渚の言葉を受け止めていれば、これ以上苦しむことはなかったかもしれないのに─────。
◇◆◇
宿泊学習から数週間が経ち、今は夏休みの真っ最中。
でも、矢代さんはなんとか免れたものの補修の手前だったらしく、今は矢代さんの家で4人で勉強会をしている。
「それでね!悠大くんが……」
そう、矢代さんのための勉強会……のはずだったのに。
いつの間にか勉強しているのは俺と渚と小谷さんだけで、彼女はひとりで口を動かしていた。
「理々愛。手が止まっているけど勉強は?」
その様子を見かねて口を挟んだ小谷さん。うん、それは俺も言おうと思っていたよ。
「だって飽きたんだもん」
面白くなさそうな顔で彼女は答える。その顔が幼い子供みたいでクスッと笑ってしまった。
「ちょっと、広瀬くん?笑わないでよね!」
「ご、ごめん。面白くて」
うっすらと笑みを浮かべながら謝ると、また彼女はムスッとした顔をする。
なんだかこの雰囲気が好きだな。特にこれといって大事な話はしていないけど落ち着く時間。
俺にとってこの瞬間が本当に大切なんだ。
ムードメーカーの矢代さん。冷静にツッコミを入れる渚。そのふたりに加わって話す俺。
そして、静かに見守る……俺の彼女である小谷さん。
組み合わせはバラバラだけどひとつになるとこんなに楽しいこと。みんなに出会うまでは知らなかったよ。
ひとつだけ。たったひとつだけ俺がこのとき間違えていたのは、この時間が1番の幸せだと思っていたこと。
確かに他のことには変え難いくらいに楽しい。
でも、それは俺の本当の気持ちを抑え込んでいた結果なんだ。
もっと早く間違いに気づいていれば、どれだけ良かっただろう。