「今までごめんっ……」
震える声でそう言うと途端に俺の頬をひと筋の涙が伝った。
どうして?わかっていたことなのにどうして涙が出るの?しかもその姿を星那に見られるなんて。
俺は走った。悲しい気持ちなんて忘れるくらい走った。
この気持ちは捨てるんだ。いや、捨てなきゃいけない。今すぐに。
「小谷さんっ!」
「え、広瀬くん?」
俺が向かった先は小谷さんのところ。
ちょうどお風呂あがりだったらしく、矢代さんと一緒に部屋へ戻っていくところだった。
「えっと……理々愛、先に戻るね」
何かを悟ったのか矢代さんはそそくさと部屋へ戻っていった。
今はふたりきり。さっきの星那と江崎くんのキスシーンがよみがえる。もう早く頭の中から消えてよ……。
「……返事、いいかな」
こんな気持ちのまま答えを出してはいけない。自分の思いを押しつけてはいけない。そんなことわかっていたつもりだった。
でも、俺は……。
「俺で良ければ付き合ってください」
俺は逃げたんだ。これ以上辛い思いをしたくなくて、無理に思い出を封じ込んだ。
星那への気持ちはもう忘れよう。忘れて彼女と一緒に毎日を過ごしていくんだ。
きっとそれがみんなにとっての幸せになるはずだから。
最低な決断。そんなことはわかっている。渚にも批判されるに決まっている。
それでも俺にはわからなかったんだ。この気持ちを乗り切る方法が。
「……はい、よろしくお願いします」
それでも少し寂しそうに彼女は笑った。
《 星那side 》
「……これで良かったの」
もう私には何も残っていない。
いつもそばで支えてくれた君も、黙って泣かせてくれた君も、全て失った。私の手で突き放した。
これからどうやって生きていこう。暗闇から連れ出してくれたのは迅なのに。
「本当に後悔はないのかよ」
「うん。ごめんね、こんなこと頼んで」
私は最低なんだ。迅が見ている前で元カレである悠大と……キスしたんだから。
悠大のことが好きなわけじゃない。未練があるわけでもない。
それでも私には他に思いつかなかったの。迅が私から離れてくれる方法が。だから迅を目の前で傷つけた。
そのために悠大に協力してもらったの。
『私にキスして』って。
「俺が言える立場じゃないけど、どうして星那がそこまでするんだよ」
「どうしてかな。私にもわからないよ」
薄く笑みを浮かべながら悠大の言葉にそう返す。
夏祭りの日もそうだった。
本当に友達と来ていたの。『友達と行くから』と迅に言った言葉の中に嘘はなかった。
でも、その友達とはぐれてしまったときに偶然ぶつかったのが悠大だった。
悠大も同じクラスの友達と来ていて、もちろんその後一緒に回ることになるなんて思ってもいなかった。
結局友達と合流できるまでずっと彼らと一緒にいた。
でも友達がその姿を見ると。
『星那ちゃんは悠大くんと一緒に回りなよ』
『そうだな。じゃあ他の子は俺と一緒に回ろ?』
お互いもともと一緒に来ていた人にそう言われて、半強制的に一緒に回ることになった。
でも、久しぶりに話すと懐かしくて楽しくて、時間を忘れてしまうくらいに私達の距離は戻っていたはずだったの。
そう、花火が鳴るそのときまでは。
かき氷の屋台に並んでいた私達。
買い終わってもうすぐ始まる花火を見ようと歩きだすと。
『悠大くんっ!』
後ろから聞き覚えのある声が聞こえて私も振り返った。そこには……女子ふたりに囲まれた迅の姿があった。
『……は?広瀬?』
『じ、ん……?』
私も悠大も視線は迅に釘づけになった。心の中はどんどんモヤモヤとした霧で覆われていく。
迅は女の子と一緒に来たの?私だけって言ってくれたのは嘘だったの?
振ったのは私なのに。これが最善の選択だと思っていたのに。いざ迅が他の女の子と一緒にいるところを見ると胸が苦しいよ。
『星那、行くぞ』
『え?で、でもっ』
泣きそうな私に気づいたのか、悠大は手を引っ張って人気のないところまで連れていってくれた。
自分で言いかけた言葉の続きは忘れたことにしよう。
だって今更『でも私は迅といたい』なんて、そんなこと言えないから。
迅を困らせて傷つけるだけ。それなら私の気持ちごと消せばいい。
そんなことはずっと前に決断したはずでしょ?それなのにどうして今になってまた決心が揺らぐの?
私はもう好きではいられないのに。
『……星那、大丈夫か?』
『うん、巻き込んでごめんね』
元気がない私に気をつかってくれたのはわかっている。
去年、泣いている私の隣にいてくれたのは迅だった。
でも、今隣にいるのは迅じゃない。1年前に私を泣かせた張本人である悠大がいる。でも私の心は……間違いなく迅に向いている。
迅と私のこれからのためを思って別れた。これでいいって思っていたはずなのに、別れてから後悔ばかりして前なんて向けないよ。
「辛いなら気持ちを伝えれば……」
「それはしないよ」
悠大が言いかけた言葉を遮ってキッパリと言い切る。
今までの私ならきっとこんな場面で人に流されていた。でも迅と付き合って少しは変われた気がするの。
悠大と別れてから、笑っていれば大丈夫だと思っていた。
他の人にも迷惑をかけずに毎日を送っていけると思っていたのに、迅だけは気づいてくれたんだ。
「迅のことが好きだから。大好きだから、幸せになってほしいんだ」
そして、私のために一生懸命になってくれた。ずっと隣にいてくれた。それだけで私は救われていたんだよ。
「……ごめん」
「え?」
悠大からそんな言葉が出てくるなんて思わなかった。もう向き合うことなんてないと思っていたのに。
今こうして悠大と一緒にいることが不思議に思える。
通りかかる人達はきっと誤解しているよね。私と悠大がヨリを戻したって。
「俺、星那とあんな別れ方してずっと後悔していた。星那は俺とずっと一緒にいてくれたのにな」
「な、にそれ……」
そんなことを言ってももうあのときには戻れないのに。
それに私は戻りたくなんてない。悠大のことはちゃんと思い出にできた。
迅のことが好き。この気持ちは誰に抱いた気持ちよりも大きいんだ。
「なぁ、俺と付き合わねぇ?」
息が止まったかと思った。悠大は私と別れてから女子で遊ぶようになって、見る度に違う女子を連れていた。
だからこんなに真面目な顔は久しぶりに見た。……そう、あの中学生のときみたいに。
『俺、星那といるときが1番楽しい』
『俺と付き合ってください』
『ははっ、大好きだよ』
幼馴染みで小さい頃から一緒だった私達。中学2年生のときに付き合って、バカみたいかもしれないけど永遠を信じていた。
「……もう、いくら悠大でも冗談はやめてよ」
「……はは、ごめんって」
笑みをつくってあしらっても心は晴れない。
「私達は “ 幼馴染み ” でしょ?」
“ 幼馴染み ” という関係が昔は嫌だった。関係を壊したくなくて縛られて、気持ちを伝えられなかった。
でも今は自分で告げたその言葉を不思議と辛くは感じなかった。
でも、悠大は本気で言っていることがわかってなんとも言えない気持ちになった。