家の前には迅が立っていた。


あたたかい春の風に吹かれ髪がなびく。それでも私はその場から動けなかった。


「星那に会いに来たんだ」


ねぇ、どうして……?


私は迅のことを振ったのにどうして好きだと言えるの?自分を傷つけた人のことをどうして簡単に許せるの?



「……入っていいよ」


拒否する気なんて全くなかった。


私だって迅に会いたかったんだよ。そう言いたい気持ちを抑えて迅を家にあげる。


「お邪魔します」という声が聞こえて自分の部屋に荷物を置くと、フワリと後ろから抱きしめられて言葉を失う。



私もバカだよね。本当に諦めてほしいと思っているなら家にあげたりしないのに。


そうしてしまうのは私が迅のことを好きだからかな。

「星那、好きだよ」


ほら、また。そのまっすぐな言葉に心が掴まれる。でもこの気持ちは隠し続けないといけない。


「ずっと一緒にいて、絶対に好きにさせる気持ちで向き合うから」


悲しくて苦しくて寂しくて。好きで好きで、大好きで。心の中で次々と愛しさが溢れる。



「それでも俺じゃ、ダメですか……」


そんなこと言わないでよ。


私だって迅が好き。一緒にいたいけど。迅はまっすぐすぎて私にはもったいないよ。


自分を幸せにしてくれる人のところに行ってよ。



「私は好きにならないよ」


そんなの嘘に決まっている。大好きだよ。


笑っていたらみんなも笑ってくれる。明るかったら誰も心配しない。だから私は、この気持ちを封印するの。

もう自分が傷つかないように。もう誰かを傷つけないように。


私が素直にならなければ。寂しい気持ちを我慢すれば。ひとりが嫌なんて、迅と一緒にいたいなんて、本音を言わなければ。


全部全部上手くいくんだよ。みんな幸せになれるんだよ。



ねぇ、迅も早く前に進んでよ。そうじゃないと別れた意味がないでしょ?


私が迅を手放せなくなる前に。迅がいない生活に慣れて、ひとりでも過ごせるようにするために。そのために突き放したんだよ?


迅には幸せになってほしいから。これ以上私のせいで縛りたくないから。


私が苦しめた分、他の誰かと幸せな毎日を送ってほしいから。



「俺は星那の笑顔が見たいだけなんだよ」


……どうして迅はそんなに私のために尽くしてくれるの?もっと合う人がいるはずなのに。

「ねぇ、俺と別れてから星那は笑えている?」


ヒヤリとした。迅と別れて笑えるわけないよ。


好きな人と別れるなんてどんなに辛いことか。それでもその道を選んだ私は一体なんなんだろう。



「星那が俺と別れて幸せになれるならいいんだ。でも、星那は今……幸せ?」


────ドキッ。


不安げに、でも芯がある目で見つめる迅。全てを見透かしたような迅を前にすると逃れられなくなる。



迅はどうしてそこまで私の幸せを願うの?


私にとっての幸せは迅と一緒にいること。でもきっと別れることが正解なんだよ。


だからこの選択は間違っていないはずなのに、こんなに胸が痛むのはどうしてだろう。

「私、は。これで良かったと思っているよ」


「ちゃんと目を見て答えてよ……っ」


気づいたときには唇が重なっていた。そのまま深く口づけをする。


そして唇を離すと、また同じタイミングで息を吸う。



「また傷つけるかもしれない。辛い思いするかもしれないんだよ?」


私は迅が傷つく姿を見るのが1番辛いの。だからそばにはいられないよ。


「そんなの慣れっこだよ。それでも一緒にいたいと思える人ができたから」


傷ついても辛くても、それでも一緒にいたいのが私だっていうの?


ねぇ、どうして?どうしてそんなに……。



「好きにさせるまで離さないよ」


そう言ってぎゅっと抱きしめる迅の腕は震えていた。


そうだよね。振られた相手に気持ちを伝えるって本当に勇気がいることなんだ。怖くない人なんていないよね。

私は迅が好きだよ。


好きだから。君の幸せを望むから。この手から君を離すよ。私はもうひとりで大丈夫だから。



『無理して忘れて笑うより、思い出にしてしまった方が楽じゃん』


付き合うときに迅がくれた言葉。


そうだね。悠大と別れたときは迅がいたから立ち直れたんだ。


悠大のことは思い出にできたよ。いつの間にか忘れて、頭の中は迅のことばかりだったよ。



ずっと前から君のことが。


「……好きだったよ」


涙が溢れるくらい。離れたくないと思うくらい。君のために捧げようと思うくらい、大好きなんだよ。



でもこの気持ちは伝えちゃダメなんだ。たった二文字 “ 好き ” の気持ちは。


好きだった。大好きだった。君の隣にいたかった。


でもね、もう遅いんだ。


この気持ちに気づいたのが始まりなら、それはきっと終わりへのカウントダウンの始まり。

「ごめんね。これで最後にするから……っ」


そうじゃないときっと迅は前に進めないから。一緒にいても迅は幸せになれない。それなら私からこの手を離そう。


……そう、どんな手を使ってでも。



「最後になんてしなくてもいいのに」


そう返ってきた言葉は聞かなかったことにしよう。


迅の気持ちは痛いほど伝わっているよ。でも私の決心は変わりそうにないんだ。


どうして失ってから気づくんだろう。


君のことがこんなにも大切だったことに。君のことをこんなにも好きだってことに。




────この気持ちに気づいたら終わり。


気づいてしまったから私は迅を手放さなければいけない。だから私はこの気持ちに鍵をかけるの。


今日も私の目の前を舞う小さくて儚い桜のように、そっと目を閉じて涙を流した。





「えっ、広瀬くんが篠原さんと付き合っていたのって本当だったんだ!」


ここは学校の近くのファーストフード店。今日はそこに、俺と渚と矢代さんと小谷さんの4人で来ている。


今は6月の中旬。もう桜も散って暑い日が続く季節になった。


最初は険悪な雰囲気だった俺達だけど、だんだんと話す回数が多くなって今ではよく遊んだりする仲になった。



「うん、まあね」


そして今はみんなの恋愛話をしている途中。


渚は橋本さんのこと、矢代さんは江崎くんのこと。俺は……別れてしまった星那をまだ好きなことを話した。


小谷さんは『好きな人なんていないよっ』と言っていたけど、いつか全員で明るい話をできたらいいな。



「でも、篠原さんって江崎くんと……」


「そうそう!悠大くんの元カノだよね?羨まし……あっ」


江崎くんのことについて話していた女子ふたり。でも、星那の話になって俺の存在に気づきやめたらしい。


別に気をつかわなくてもいいのに。彼と付き合っていた星那の過去も含めて俺は包み込みたいから。

「そ、園田くんはさぁ、橋本さんの猛烈なアピールに負けたんでしょ?」


「……うるさい」


話を逸らそうとする矢代さんだけど、クールな渚はそう簡単には流されない。いつも照れてなかなか話してくれない。


でも上手くいっていることは知っているよ。渚が橋本さんの話をするときは本当に優しそうな顔をしているから。


きっとお互いが見えないところで想い合っているんだろうな。



「広瀬くんはすごいねー。振られた相手にそこまでするなんて」


「う、うん。矢代さんには言われたくないけどね」


俺だって猛アピールしているけど、矢代さんの方が江崎くんにどんどんアタックしている。




ある日、どうしても星那に会いたかった俺は星那の家で待ち伏せすることにした。案の定、家の前にいた俺に気づいた星那は驚いていた。


でも『入っていいよ』と言われたので少し遠慮しながらもついていくことにした。


そのときの星那はやっぱり何かと闘っていたんだろう。迷いと寂しさが手に取るようにわかった。


ねぇ、星那。もっと俺を頼っていいんだよ。ひとりで強がったりしないでよ。