山本の洋学所は路地の突き当たりにある。
「ごめん」
岸島は呼ばわった。
「山本先生はご在宅でござろうか」
奥から体格のいい女があらわれた。
「…どちらさまにごぜぇますか?」
会津なまりが強い。
「元会津中将家御預、壬生浪士組勘定方、岸島芳太郎と申す」
と、あえて新撰組の正式な呼称で名乗った。
「壬生浪士組…もしかすると新撰組で?」
「いかにも」
「兄さまは府庁に出仕されました」
「帰りはいつ頃に?」
「夕方になるかと」
「ではどこかで待たせてもらいたいが、江戸から来たばかりゆえ不案内で店が分からぬ」
「ではこちらへ」
と、山本の妹らしき女は客間へ通した。
客間へ通された岸島は、
「山本先生にはひさびさにお会いいたすゆえ、果たして先生が覚えておられるかどうか」
と不安を口にした。
そこへ茶が運ばれてきた。
「兄さまは覚えておられると思います」
といい、
「妹の八重にごぜぇます」
と名乗った。
「ところで岸島さまにお聞きいたしますが」
と八重は、
「兄さまとはどのようなお知り合いで」
と訊いてきた。
「それがしは勘定方ゆえ、会津さまのもとへ金子や帳面の話で伺った折、応対をされたのが山本先生であられた」
「さようでごぜぇましたか」
とのみ言うと、八重は下がった。
夕方。
妻の時栄に介助されながら山本が戻ってきた。
「お久しぶりにございます」
「岸島さんか」
「すっかりご無沙汰いたしております」
どうも失明してから山本は声で覚えていたらしい。
「ところで、小野から聞いたが」
どうやら仔細は江戸の小野権之丞から聞いていたようであった。
「原田くんは残念だったなぁ」
「まぁあいつはあいつらしく生ききったというところかと存じますが」
「おまさどのとおしげどのの行方、大垣屋に探してもらっておる」
と山本は言った。
「しかし新撰組の妻となると今は肩身が狭い。岸島さんも道中、苦労されたのでは」
「はい、行く町行く町で宿を断られてしまいまして」
仕方なく伊勢参りの名目で寄り道をして京まで来た話をした。
「ではしばらくうちにいなさい」
「しかし…」
「君はそろばんが出来るだろう。うちは女手もあるがそろばんは手薄でな」
山本は初めて笑みを浮かべた。
そのようないきさつで。
岸島は洋学所の会計係のような仕事を手伝いながら、山本家に厄介になるようになったのだが、
「さすがに新撰組と分かっては、いくら勘定方であったとしてもまずいことになる」
という山本の発案で、
「丹後宮津浪人」
という出自でゆこうということになった。
それでも。
山本が府庁へ出仕するときなどには、介添人として岸島は山本を背負うこともある。
周囲に訊かれると、
「新しく書生となった岸島という者だ」
と山本は言い、それ以外は余計なことは言わなかった。
これにより。
妹の八重も女紅場(女学校)へ通うことが出来るようになり、
「これであとは八重に新しい嫁ぎ先を探すだけだが」
と、母の佐久が笑って話せるようにもなり、山本家へ来る陳情や応対にも多少はゆとりが持てるようになった。
そうしたある一日。
いつものように岸島が山本を背負って出仕すると、
「山本先生」
と近づいてきた男がある。
「知事だ」
岸島は慌てて山本を下ろそうとした。
「いやそのままそのまま」
知事の槙村正直である。
「槙村知事、いかがなされましたか」
「いや実はこの前先生に話した博覧会の件だが、どうにも頭の固い商人どもばかりで話にならんのだ」
渋い顔をした。
そこで、と槙村はいう。
「どうにか先生のお力で何とか説き伏せてもらいたい」
と、えらく上からの物言いをしてきたのである。
内心岸島は腹が立ったが、山本は落ち着き払った顔のまま、
「槙村さん、それはあなたが商人の立場になれば、おのずから答は導き出されるかと思います」
「商人の立場…なるほど、つまり商人たちにも多少は利を得させよ、と」
「左様にございます」
山本はうなずく。
「これは妙案、早速やってみましょう」
槙村は足早に戻って行く。
「…岸島さん、これがそれがしのやり方よ」
どうやら山本は、ただ顧問に就いた訳ではなさそうである。
河原町御池の洋学所へ戻ると、井戸に蓋とおぼしき厚手のムク板を渡し、その上に八重が座って涼んでいる。
「…八重どの、あぶのうござる」
岸島は肝を潰した。
「このぐらいやって涼まねば、京の夏は暑うてかないませぬ」
八重は平然と何やら書物を読んでいる。
視線すら岸島に向けない。
まず井戸に板を渡して座るというのも豪胆だが、書物を読む女というのも、この時代にはまず珍しかった。
何から何まで驚きである。
この話を佐久にすると、
「まぁ八重はいつもああした調子なもので」
とこぼした。
「仕方がないかも知らぬが」
そう言うと、会津の戦いで新式銃を手に新政府軍と戦った話を岸島に聞かせた。
「はぁ」
としか岸島には言いようがない。
「岸島さまは戦は?」
「それがしは鳥羽伏見のあと、江戸で手塚先生のもとにおりましたので」
「手塚先生…あぁ、尚之助さまから名前は聞いたことがある」
尚之助とは手塚と旧知であった川崎尚之助のことで、八重とは離縁したばかりであった。
「何か遭ったらしくて、八重に迷惑をかけまいと離縁したらしいけども、八重はあれで一途なところがあるから」
あれではどこにも縁付かせられまい、と佐久は諦めている様子であった。