第三話 幼馴染みと後輩

「麻陽、最近なんか楽しそうだね」

「…べつに」

朝練が終わり教室へと向かう途中、結斗が楽しげに話す

陽美と連絡を取り合うようになってから数日

陽美に会えるかもしれない、と朝練に頑張って出るようになった

しかしそれは、麻陽だけの秘密だった

「なになに〜?好きな子でも出来た?」

茶化すように言う結斗を睨みつけたが、思わぬ方向から声は飛んでくる

「麻陽、好きな子が出来たの?!」

食いついてきたのは花奈だった

「だからべつに…何でもない」

席についてカバンを置き、花奈から視線を逸らす

何気なく窓の外を見ると、見慣れた姿が目に映る

「うわ〜今日あっついのに外で体育とか…やだよね〜」

結斗は下敷きで自分を仰ぎながら道中買った炭酸をカシュ、と開ける

外では一年生だろう、陽美がいる女子の集まりが体操服に着替えて校庭にいた

「一年生じゃん。何するんだろうね〜」

見知った後輩が居たのか、花奈は少し身を乗り出して上から見下ろす

「時期的に体力測定じゃない?」

「わぁ〜もうそんな時期かぁ…」

結斗と花奈が盛り上がる横で

麻陽は、陽美だけを映していた

「…麻陽、あの子が好きなの?」

結斗が陽美を指さした

「ポニーテールがよく似合ってるよ
かわいい〜」

「え、どこどこ?!どの子?!」

「花奈…」

結斗の茶化しと花奈の動揺に呆れ、大きなため息をつく麻陽

「…そんなんじゃないっての」

「…ふうん?」

意味ありげに笑う結斗は前に向き直り、チャイムが鳴ったため花奈も席へと渋々戻った

ー好きな子、か。

生まれてまだ一度も恋をしたことがない麻陽は、恋がなんなのか、まだ分かっていなかった

「…なぁ、結斗」

麻陽の前で英語の板書をとっていた結斗の背中をシャーペンでつつく

「どうしたの?」

「…恋、って…なんだ」

麻陽の思いがけない言葉に、盛大に吹き出す結斗

「えっ…えっと…?」

困惑するおじいちゃん教師に気づいた結斗は慌てて座り直す

「ちょっと麻陽!いきなりなんて質問をぶつけるのさ!」

小声で麻陽に言う結斗はまだ笑いを抑えきれていなかった

「…そこまで笑うか」

「笑うよ!
恋愛に無頓着そうな顔してる麻陽がいきなり恋ってなんなのかって?
不意打ちにもほどがあるよ!」

言いつつまだ笑いを抑えようとする結斗に相談した自分が馬鹿だったとそっぽを向く

「…もういい」

「いやいや!悪かったって!
…麻陽、やっぱりあの子に惚れてるんでしょ?」

校庭で50メートル走をしていた陽美を見て、しばらく考え込む

「…わからん」

「まあ時間はまだまだあるんだし、ゆっくり考えてみなよ」

結斗はそれだけ言うと、また前を向いた



好き、とか…惚れてる、とか。

自分の中に今まで無かったその感情が果たして今の自分に当てはまるのか

授業を上の空で聞いていた麻陽をずっと遠くの席から見ていたのは、花奈だった

「…ねぇ、麻陽」

昼休みになって一番に麻陽の所へやって来たのは花奈だった

「ちょっといい?」


花奈に連れ出されたのは園芸部が綺麗に花を植えている、中庭だった

滅多に生徒は来ないものの、来賓で来る大人達にはとても人気らしい

「それで…何の用?」

お腹がすいていた麻陽は少し、不機嫌だった

「麻陽は…あの子とどうやって出会ったの?」

…あの子?

「ほら…麻陽がずっと見てたポニーテールのあの子よ」

あぁ、逢坂か。

「そう、逢坂さん…
あの子、一年生よね?何部?」

「確か…無所属じゃなかったかな」

曖昧な記憶を引っ張り出し、うーんと大きく伸びをする

「…そう。それで、どこで知り合ったの?」

…何でこいつはこんなにも聞いてくるんだ

「あー…図書室。
俺が本返しに行った時に、知り合った」

「…図書室?なんで麻陽が図書室?」

花奈って俺が本好きなこと、知らなかったっけ…

「週一くらいで通ってるよ、小学生の時くらいからずっと
俺、よく本読むんだよ」

「私、ずっとスイミング行ってたりしたから全然知らなかった…」

そういえば花奈は、放課後になるといつも親が迎えにきて直行でスイミングに行ってたから…

放課後の俺なんて、知らなくて当然か

「…麻陽、は…あの子が好き、なの?」

小さく、途切れ途切れで花奈は言う

いつもはきはきと声を大きくして話す花奈らしくない一面だった

「…」

まさか、恋についてここまで考えるとは思わなかった

「…麻陽?」

何も言わない俺を不安に思ったのか、心配そうな声で俺を呼ぶ

「…麻陽ってば!」

はっとなり、目の前にいる花奈を見つめる

「あぁ…悪い」

咄嗟に目を逸らし、花奈に背を向ける

「好きとかどうとか…まだ分からん」

「…そっか」

少しほっとしたような、そんな表情だった

「…しかし花奈といい結斗といい、何でそんなにも問い詰めてくる

俺のことだろう、そんなに気になるか?」

「…っ、気になるよ!」

突然大きな声を出され、目を見開く麻陽

「…っあ、ごめん。
でも、やっぱりずっとこういうことが無かったから気になっちゃって

気を悪くしたら、ごめんね」

そう言って花奈はポケットから何かを取り出すと、麻陽に渡してその横を通り過ぎた

「…」

麻陽の手には、麻陽が好きなラムネ菓子があった

「…どういう意味だ?」

疑問を残しつつ、麻陽も教室へと来た道を戻った


「…あ、」

放課後、学校近くの本屋へ寄った麻陽は、真剣に本を読んでいた陽美を見つけた

「よっ」

ぽん、と肩を軽く叩くと、嬉しそうに陽美が振り返る

“今日は図書室じゃないんだ?”

スマホのメモ画面に文面を打ち込み、陽美に見せる

おぉ!と陽美はそれを見て嬉しそうに自分もスマホのメモ画面を出し、それに応える

“たまには本屋さんにも行ってみようと思って。”

実は麻陽、陽美と話すようになってから自分がもし陽美の立場なら、と考えていた

口の動きだけで判断する、ということがいかに難しいか、麻陽は瑠海と海未に協力してもらい、体験したのだ

「も〜まー兄?!瑠海、そんな事言ってないよ〜!」

「…も、もう一回!」

「…これ、結構難しいと思うんだけど」

その時海未に提案されたのが、スマホのメモ画面を使った会話だった

「これなら間違えずに伝えられるんじゃないかな」

海未のこの案は大正解だった

目の前の陽美はいつもより嬉しそうに沢山話してくれる

“今日ね、朝から体力測定があったの!”

“いつも一緒にいる蘭ちゃんって子がいるんだけど…
蘭ちゃんすごいの!クラストップのタイム出しちゃって!”

いつもなら、ほとんど聞き手にまわっていた陽美

本当は、こんな風に沢山話したいことがあったんじゃないか

それに遅かれ早かれ気づけたことに、麻陽も嬉しくなっていた

「…麻陽!」

陽美との会話に夢中で周りが見えていなかった麻陽は、ようやく後ろから声がする事に気づく

「…あれ、花奈?」

麻陽が視界に映した花奈は、明らかに動揺していた

「…やっぱり、麻陽は…」

麻陽の後ろにいた陽美を見て、ずんずん近づいてくる花奈

「…初めまして。
私、麻陽の幼馴染みの菱本花奈

…あなた、一年生よね?良かったら水泳部にでも入らない?」

少し嫌味がかった口調で、麻陽の幼馴染み、と強調して言う

「…」

花奈が早口過ぎたのだろう

何を言っているのか分からない、という顔をする陽美

前にいた麻陽の袖をちょいちょい、と引っ張るとまた文面を見せる

“この人、だれ?”

「…あぁ、俺の幼馴染みなんだ」

“幼馴染み?”

「うん、菱本花奈。俺のクラスメイトでもある」

“じゃあ、先輩なんだ!”

「…そうだな」

くしゃ、と笑う麻陽は俺もだけどな、と陽美の頭を撫でる

「…ねぇ、」

さらに怒ったように花奈が割り込む

「なんでその子、喋らないわけ?
私が自己紹介しても無視?

…それどころか、麻陽にしか懐いてないみたい。感じ悪い」

「ちょ、花奈。言い過ぎだぞ!」

ムッとなり、言い返す麻陽

「…なんでこんな子なんかに」

ボソッと呟く花奈

ーつんつん。

花奈の腕に、陽美の指が触れる

“花奈先輩、初めまして。

一年の逢坂陽美です

私は生まれつき、耳が聞こえません

なので、麻陽くんとはこうやって文面でやり取りをしていました

花奈先輩とも、こうやってお話する事は可能ですか?”

文面を見た花奈は一気に青ざめ、同時に大きく目を見開いた

「…あなた、耳が聞こえないってことは

…喋れないの?」

麻陽が文面でそのまま伝えると、小さく笑い、頷く陽美

「あ…ぁ…」

その場に耐えられなくなった花奈は、本屋を飛び出した

「…」

花奈が走り去った方向を寂しげに見つめる陽美に、麻陽が言う

“ごめんな、花奈が。

でも、あいついいヤツだからさ

もし今度会ったら、相手してやってほしい”

麻陽が見せると、うんうん!と頷く

「…それじゃあ今日はもうこんな時間だし、帰るか」

外に出ると、空はもうすっかり暗くなっていた


「はあ…はあっ…!」

近くの駅のホームまで走ってきた花奈

時間も時間で、ホームの人はまばらだった

「…私…なんて事言っちゃったの…」

ぽろぽろと涙を零しながらうずくまる

「…私……最低だ…」

ずっと、ずっと麻陽の事が好きだった

恋愛に無頓着な麻陽は、ほかの誰にも取られないだろうと安心した自分がいつもどこかにいた

それがどうだろう

先ほど見た麻陽は、花奈が今まで見たことないような顔をしていた

…麻陽が陽美を見つめる顔は、愛しい人を見つめる、優しい瞳だった

「…っく…ひっく……」

自分の中に、こんな醜い感情があるなんて知らなかった

麻陽を取られたくない

麻陽は私が…

ずっと、そう思っていた

「…ごめん…ごめんね…」

とめどなく溢れ出る涙を拭いながら、何度もそう呟いた

「ねえ」

突然頭上から降ってくる声に、顔を上げる

「…」

「…ひっく……結斗…」

「…」

黙って花奈を見下ろす結斗は、花奈の頭に自分のタオルを被せた

「こんな時間にこんな所でうずくまって泣いてるなんて、君らしく無いね」

「…うるさい」

「まあ大方、結斗とあの一年生の子のことだろうけどね」

…分かってるならいちいち言わなくてもいいじゃない

「…麻陽は、あの子に恋をしてるんだ」

唐突に、分かりたくなかった現実を突きつけられる

「初めて人を好きになった麻陽は、まだ自分が恋をしていることにすら気づいていない

…いや、気づいているのかもしれないけど、どうしていいのか、分からないんだ」

「…どういう意味よ」

軽く結斗を睨みつけると、いつもの調子でふはっと笑う

「そのままの意味さ

…君にもまだ、チャンスはあるってことさ」

「…っ、!!」

「それじゃ電車来たし、帰るね」

開いたドアから電車へと乗り込む結斗

その後、結斗が振り返ることは無かった
第四話 過去の鎖

ーピッ。

とあるマンションでカードキーをかざし、家のドアを開く

「…」

ガチャ、とドアを開けると、真っ暗で電気もついていない部屋は何も見えない

部屋の壁を手で伝いながらリビングまで来るとカバンを置き、外のベランダへと出る

ー今日は満月、か…

神々しく光る満月は、雲一つない空に悠々と浮かび、より際立って輝いていた

「…」

しばらくベランダから月を眺めた彼女は室内へと戻り、カーテンを閉めた

…おなか空いたなぁ

キッチンへ行き冷蔵庫を開ける

…あんまりこれといって無さそう

仕方なく先ほどコンビニで買ってきたおにぎりを頬張り、テレビをつける

「…」

暗い部屋でテレビをつけても、彼女にその音が聞こえるわけではない

「…」

何かのドラマだろうか、役者らしき人たちが口論している場面だった

「…」

こうやって大の大人が口論している所を見ていると…

何となく、昔を思い出してしまう

食べる手を止め、下を向いてうずくまる彼女

そんな時、手元で振動を感じた

「…?」

触れたのは、インターホンのリモコンだった

鳴っても気づかない陽美はこうやって、誰かが来た時分かるように振動するリモコンを持っていた

…蘭ちゃん?

インターホンの画面には、蘭が映っていた

ガチャ、とドアを開けると蘭が驚いたように言う

「ちょ、陽美!あんたなんで電気も付けずにいるの?!目が悪くなるよ?!」

慌てて部屋の電気をつけ、先程まで陽美がいたリビングへと入る蘭

「あんたまたご飯それで済ませて。
ちゃんと買い出しあるならいつでも行くって言ってるでしょ〜?も〜」

呆れながらそう言う蘭はキッチン借りるからと持っていたスーパーの袋の中身を取り出す

「…!」

陽美が横から材料らしきものを除くと、どうやらカレーをつくってくれるらしい

「カレーなら二〜三日持つだろうし、陽美も食べれるでしょ?」

うんうん!と大きく頷く陽美

「あんた料理出来るんだから、ちゃんと定期的に買い出し行かなきゃだめよ?」

陽美の頭を優しく撫で、料理を始めた


蘭が料理をしている間、陽美は安心したのかソファで夢を見ていた

..

懐かしい昔、陽美が住んでいた家での夢だった

「あんたのせいでしょ?!あんたがそんないい加減だから…!」

お皿の破片がソファの後ろに隠れていた陽美の足元まで飛んでくる

「お前だってそうだろう!母親のくせに子供たちの面倒もまともに見られないのか!」

「何ですって?!
私だって仕事がしたいのよ!子供たちだってもう自分たちでいろんな事が出来る!

私がそんな干渉する必要ないじゃない!」

…当時、陽美の父親と母親の中は最悪だった

できちゃった結婚で陽美の兄が生まれ、不本意の中家族という形になったらしい

「…おい陽美、大丈夫か?」

十二も年上の兄・遼河(りょうが)は耳が聞こえない陽美をいつも心配していた

ソファの後ろで小さく震える陽美を、優しく抱きしめる遼河

「…おいあんたら。いい加減にしろよ!
陽美が脅えてんのが分かんねえのか!!」

遼河が陽美を抱き上げ、二人に向き直ると同時に怒鳴り声を上げた

「なっ…親に向かっておいとはなんだ、遼河!

全く…お前がちゃんと教育しないからこんなことになるんだ…!」

「何でもかんでも私のせいにしないでちょうだい!

…私だって、好きで産んだんじゃない!」

母親のそんな心無い言葉を、遼河は今までに数え切れないほど受けてきた

…そんな時、耳が聞こえない妹を羨ましく思うこともあった

だけど

耳が聞こえない妹に、少し安心していた部分もあった

…こんな会話、絶対に聞かせてはいけない

幼いながらに、たった一人の大切な妹に、それが聞こえないことで少し安心していた

「…もういい。
俺も去年学校卒業して、働き出して、金が溜まってきた頃だ

こんな家、出て行ってやる!」

遼河が悲しげな顔で大声を上げると、父親が慌ててなだめる

「り、遼河…!お前は大切なうちの跡取りなんだ、そんな事をする必要は無い」

「…あんたの跡取りになる気なんてない」

「そ…そんな事は言わせない!
…うちの病院を継げるのは、お前しかいないんだぞ!」

「…あんたの経営するあの病院、この間不正がばれて今営業停止してるじゃん

そんな所に俺は行くつもりは無い」

「…遼河!出ていくなら、母さんも連れて行ってよ!
ここまで誰が育ててやったと思ってるの!
少しくらい恩を返しなさい!!」

去年、見事医者の免許を取った遼河は頭も良く、学校を首席で卒業したため地元でも有名な大きい病院で働いていた

…金目当てで息子に縋るほど、金に困っているのかこの女

「…母さん、また借金したの」

静かに遼河が口を開くと、おずおずと笑いながら言う

「い、いやぁ…母さんだって、遊びた…いや、休暇が欲しいじゃない?

あなた最近すごく稼いでるみたいだし…少しくらい、いいでしょ?ね?」

「…お前、遼河にいくら借金してるんだ」

父親が重く低い声で問うと、動揺した態度で目を泳がせる

「ええと…さ…三万くらいじゃないかしら…?」

母親は息子に目配せするが、ばっさりと切り捨てたのは遼河だった

「違うね。正確には三百万」

「なっ…!!」

「お前、息子になんて金額の借金しているんだ!
しかもまだ借金したいだなんて…!」

呆れを通り越して信じられない、といった父親

「…これで分かったでしょ?
俺が必要とされるんじゃなくてこいつは俺の稼いだ金が欲しかっただけ。

…最も、俺がいない時勝手に通帳から度々お金を下ろしていたことも知ってるけどね」

「…っ、!!!!」

「お前、最低だな」

父親からも哀れみの目を向けられた母親は足の力が入らず、その場に座り込んだ

「俺は陽美を連れてこの家を出る。
…こんな大人、二度と見たくない」

父親が何か言いかけたが、遼河は陽美をその場へと降ろし、部屋を出た

「…」

残された三人の間に、しばらくの沈黙が流れる

「…」

陽美は割れたお皿の破片を踏まないように母親の元へと行き、背中を撫でた

「…?」

だいじょうぶ?

口を動かしても声は出ず、ただただ静かに、小さな手で母親を撫でた

「…陽美……」

父親はある決心をし、棚から一枚の紙を取り出す

「…万亜(まや)、離婚しよう」

離婚届けには、既に父親の欄に全て記入されていた

「陽美が成人するまではと思っていたのだが…早い方が良さそうだ

これ以上、幼い陽美にこんな所を見られるわけにはいかない」

二十歳になった兄と八歳になる陽美

八年前のこの日、家族はバラバラになった


それ以降父親は自分の病院の再建に尽くし、子供たちに会うことは無かった

母親は…その後行方をくらまし、今どこで何をしているのか分からない


「…なみ、陽美!」

蘭の声に目を覚ますととても頭が重く、とても起き上がれそうになかった

「陽美大丈夫?何か変な夢でも見た?」

陽美の涙を拭いながら陽美を抱きしめる蘭

「…大丈夫。私はここにいるからね」

背中を赤ちゃんのようにトントン触れられながら、陽美はまた眠りについた


…ピンポーン

しばらくして、陽美の家のインターホンが鳴る

陽美の手元にあったリモコンは机の上に置かれ、寝ていた陽美は気づいていなかった

「はーいどちら様…って、お兄さん!」

蘭がドアを開けると、遼河の姿があった

「やぁ蘭ちゃん。また来てくれたのか」

「はい!…陽美いま寝ちゃってて。
なにかご用でしたか?」

「あー…いや、寝ているなら大丈夫
そんなに急ぎの用事じゃないからね。

陽美が起きたら明日の放課後、陽(ひなた)総合病院まで来るように伝えてくれるかな?」

「お兄さんの働く病院ですね!分かりました!」

蘭が元気よく答えると、嬉しそうに遼河は笑う

「いつもありがとう、蘭ちゃん。
陽美のこと、よろしくね」

そう言うと、遼河は帰っていった


ーぎゅっ。

ドアが閉まると同時に、蘭に抱きついてきたのは陽美だった

「あれ、ごめん起こしちゃった?」

ううんと首を降る陽美はまだ少し、寝ぼけているようだった

「…ご飯、食べよっか!」

ご飯を食べつつ先ほどの事を陽美に話すと分かったと頷く

「…お兄さん、いま結構忙しいんだって?
やっぱり手術専門のお医者さんとなると休みも無いのかな〜」

手術専門ドクターの遼河は年中ほぼ休み無しで勤務すると聞く

あの日、二人で家を出てから現在まで陽美を支えてくれているのは遼河の存在がとても大きい

遼河も隣の家に住んでいるが帰ってくることはほとんどなく、陽美が定期的に訪れては掃除をしたりしていた

「…陽美はさ、将来したい事とかあるの?」

蘭にそう問われ、うーんと悩む

「…」

「…」

「……」

「……」


しばらく考え込んだ陽美だったが、全くと言っていいほど何も思い浮かばなかった

「…難しいか!」

そう言って笑う蘭

自分のしたい事、か…

まだ見えない将来に不安を感じつつ、色んなことを考えていた

…そういえば…麻陽くんは将来の夢、とかあるのかな

不意にそんな事を考えつつ、ごちそうさまをして蘭と眠りについた

〜♪

「ん〜…こんな時間に誰よぉ…」

陽美の着信音で目が覚めた蘭

勝手に見るのは悪いと思いつつ、ぐっすり眠っていた陽美を起こすわけにもいかなかったので画面を開く

「…?非通知?」

陽美は連絡先を自分の知り合いなら全て名前で登録していたため、非通知は珍しかった

「っていうか、陽美に電話したって聞こえないんだからかける人なんてまず居ないと思うんだけど…

間違い電話かな?」

間違い電話なら非通知でかかってくる事もあるか

「…間違いですよーって言えばいいか」

そう何気無く電話に出た蘭

「もしもし?」

「…っ!?」

電話の向こうの相手は…ひどく動揺していた

「?…もしもーし!どちら様ですか?」

「……」

何も言わない電話の向こうの相手にイライラしてきた蘭

「…このまま無言なら切りますよ?
いいんですね?」

「まっ…待って!!」

電話の主は女性だった

「なんだ、喋れるのか

…で?どちら様です?お宅、電話かける場所間違ってません?」

「…間違って、ないわ

…万亜、万亜よ。あなた、陽美じゃないわね?」


ーーードクンッ、

万亜、という名前を聞いた瞬間、蘭の身体が凍りついた

第五話 愛と追憶の日々

「…なんで、連絡先知ってるんですか」

もう二度と、陽美に会わせてはいけない人…

唐突に陽美のトラウマでもある陽美の母親から、電話がかかってきた

蘭だって当然、ひどく動揺していた

蘭は万亜の事をあまり良く知らなかったが、兄である遼河から話を聞いていたため思わず身構えた

「…」

「…答えないん…ですね

陽美やお兄さんを大事に出来なかった人が、今更なんのご要件ですか」

「あなたは…遼河の事も知ってるのね


…陽美のお友達?」

陽美の……か

「はい。

…それで?要件は何ですか」

陽美の友達、と言われて正直に応えようか実際少し迷った

しかし蘭がはいと肯定した時、わずかに電話の向こうでホッと胸をなで下ろすような息が聞こえた気がした

「…本当に、私は自分勝手な母親だったの

あなたは…陽美や遼河から、話を聞いているかもしれない

…聞いているかしら?」

「えぇ。…子供を子供として扱わず、自分のしたい事を優先して育児放棄していたあなたの話は、よく覚えています」

これ見よがしに嫌味を含んだつもりだったが…蘭自身も少し、胸が痛かった

大事な大事な陽美を産んだ、紛れもないこの人は陽美の…母親で。

信じたくはないけれど、
過去に何をしていたとしても…

万亜は、生涯陽美の母親なのだから。

「…なんと言われても仕方ない、わよね

…勝手な母親から、最後にもう一つだけ、勝手なことを伝えに連絡したの」

その声は、話に聞いていたような威勢は全く感じられず…
夜の静けさをもってしても、か細く聞こえるほどだった

「…陽美が起きたら伝えます」

不問ではあったが蘭も少し気になっていて、万亜の言葉を受け入れた

「ありがとう。実は……」



翌朝。

「ん〜…まだ眠い〜…」

昨夜の事もあり、蘭の寝起きは珍しくぐずっていた

先に起きた陽美がつんつん蘭をつついているが一向に起きる気配も無く…

「…」

諦めた陽美はベッドから降り、テレビをつけて朝のニュース番組を観ていた

画面にはデカデカと“人気俳優〇〇が、ついに結婚!”という見出し

「…」

結婚、か…

昨日見た昔の夢がまたフラッシュバックした

結婚しても、離婚をしてバラバラになったうちの家族

それならいっそ、“家族”という形を作ることすら疑問に思えてくる

というかそもそも、あの家にいた私たちは本当に家族だったのだろうか?

蘭の家は両親共に小さい時から海外出張だったので母親の祖父母と共に暮らしてきた家族の形がある

麻陽くんにだってきっと、家族という形があるだろう

「…っ!」

そう考え出してしまうと、自分の境遇にひどく心を痛めてしまう

周りと自分を比較する事は自分をいつだって苦しめる

だから、極力比較しないようにしてきたのに…

「…っはぁ…はぁ…」

過呼吸になりそうなほど、胸が締め付けられる

「…っく……はぁ…」

落ち着け…落ち着いて……

夜が明けた朝になっても、こんな事を考えてしまう日は大体何事も上手くいかない

「…ふぅ」

天井を煽り、窓の外に目をやる

「……」

部屋の時計はまだ朝の六時過ぎ

部屋の外は薄暗い明かりで照らされ、陽美の心を溶かしていった


ソファに座ったままの陽美はうずくまり、そのまま深く目を閉じた


「…」

次に陽美が目を覚ましたのは、夕方の四時過ぎだった

…やば、寝過ぎちゃった……

幸い、今日は土曜日だったため学校を欠席する事も遅刻する事もなかった

「…あ、陽美。おはよう」

後ろからトントン、と肩を叩かれ振り向くと蘭が上から見下ろしていた

「よく寝てたねぇ…いい夢は見れた?」

笑いかける蘭にううん、と笑って返す

「…ねぇ、陽美?実はさ…その…」

蘭にしては珍しく、随分と歯切れの悪い口調だった

「…あ、とりあえずお腹空いて、ない?ちょっと外にでも食べに行こうかなって

…どう?」

蘭の誘いに嬉しくなってうんうん!と大きく頷く

ホッとした蘭は準備してくるよう促し、自分も準備支度を始めた

「よし、陽美はどこに行きたい?」

うーん…と考えた陽美はハンバーグが食べたい!と蘭に伝え、地元のファミレスへと足を運んだ

「いらっしゃいませ!何名様ですか?」

「二人で!」

蘭がピースを作って示すと奥の席へと案内される

「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」

ぺこっとお辞儀をしたウエイトレスが去るとメニュー表を開く

「んー…陽美はどれにする?」

目をキラキラさせながらメニューを食い入るようにみる陽美は可愛らしかった

これ!と陽美が指したハンバーグのセットと自分はトンカツの定食を注文し、ドリンクバーの方へと二人で向かう

「…あれ、逢坂?」

不意に後ろから聞き慣れない声がした蘭は振り返る

…え、誰?

蘭の視界には見覚えの無い男の子と、側には双子らしき小さな女の子が二人いた

「えっと…陽美のお知り合い、ですか?」

恐る恐る蘭が問いかけると陽美も何かと後ろを振り返る

「!」

「あ、やっぱり」

陽美を見た彼は優しい顔で笑いかける

状況が掴めない蘭が陽美の方に目を向けると…

しばらく見ていなかった、幸せそうな顔をしていた

「茅ヶ崎麻陽、同じ高校。逢坂の友達」

淡々と告げる彼は柔らかく笑い、落ち着いた雰囲気だった

陽美の…友達?

いつの間に友達なんて作ってたの?

耳が聞こえないハンデがある分、交友関係を広げることが人一倍難しかった陽美

そんな陽美に友達が、しかも異性の友達が出来ていたことは蘭にとっても喜ばしい事だった

ちょいちょい、と陽美に袖を引かれた蘭は陽美の持っていたスマホのメモを見る

“彼、一つ上の先輩なの。

図書室の仕事を最初にした時、偶然出会ったの”

「そ、そうだったんだ…!」

チラッと彼の方を見ると、幼い双子がドリンクバーでジュースを汲むのに苦戦していたのか、笑いながら代わりに汲んでいた

「…その二人は、妹さん?」

「あぁ。海未と瑠海、小学二年生の双子なんだ」

妹、か…

遼河との過去を思い出した陽美

…お兄ちゃん、昔から何にしても忙しくしてたから、こんな風に一緒にご飯に行ったりとかした事ないなぁ

決して仲が悪いわけではない

だけど、こうやって普通の兄妹のような関わりはあまり無かった気がする

「…あ。そう言えば今日お兄さんの所、行かなきゃだね」

蘭が陽美にふと思い出したように言う

ご飯食べてから行こっか、と笑う蘭に頷く

「それじゃあ茅ヶ崎先輩、また」

「あぁ。またな」

陽美もぺこっと会釈をしてその場を去る

「…茅ヶ崎先輩、かっこいいね!」

席へと戻り、こそっと陽美に笑いかける

「…!」

今まで見せたことのないくらい顔を赤くし、頬を覆う陽美

…なるほど、そういうことか。

察した蘭はそれ以上何も言わず、タイミングよく来たご飯を食べて遼河の元へと向かった

「…やぁ、随分と遅かったね?」

「あー…今日学校は無かったんですけど二人してのんびりしてて」

あはは…と蘭が言うと特に気にする様子もなく遼河は笑う

「…さて、早速だが本題に入ろう。
陽美、昨日誰かから電話が無かったか?」

「…っ、!」

反応したのは蘭だった。

「…その反応、出たのは蘭ちゃんか」

「すみません…陽美が寝てる時、しかも非通知だったので間違い電話かと思って…」

陽美は何の事かわからず、相変わらず首を傾げている

「いや、それはいいんだ。

…電話をかけてきた人物から、何か要件を聞いたかい?」

「……はい」

冷や汗をかきながら、蘭は答える

「それじゃあ、その要件を陽美にそのまま伝えてもらえるかい?…いまここで」

いつもの遼河とは違う、真剣な目つきだった

「…っ、…」

覚悟を決めた蘭は閉じていた目を開け、陽美に向き直る

「…言いにくいんだけど、さ
どうしても…あんたに言わなくちゃいけない事があって…」

「…?」

首を傾げる陽美としっかり視線を合わせ、ようやく決意したように蘭が口を開く

「実は……」



蘭の口からその言葉を聞いた時

陽美は大きく目を見開いて、その大きな目から、大粒の涙を零した

「…っ、…」

「…陽美…」

そして…声にならない声で、泣き崩れた
第六話 家族の形

「……」

陽美と蘭、遼河があの後訪れた場所

それは、陽美と遼河の父親が経営する、あの病院だった

「…嘘」

集中治療室のガラスの向こうでたくさんのチューブに繋がれ、酸素マスクや様々な機械に囲まれていた一人の女性

「あれが……万亜さん…?」

昨日、あんなに話したのに

昨日、普通に話していたのに

蘭は状況が掴めず、いまだ混乱していた

「確かに昨日、万亜さんからその事は聞いていたけど…あれだけ普通に話していたのに…!」

「…あの人、半年前に肺がんを患ったらしい
延命治療を望まず、痛みを緩和するだけの治療を選択したと聞く」

遼河は何とも言えない顔をしながら、そう呟いた

「……っ…」

数年ぶりに見た母親の姿は…

あの頃の面影も少なく、まるで別人のようだった

明るい茶色にしっかりメイクをしていたあの母親は…

髪がすっかり抜け落ち、メイクなんて一つもしてなかった

「陽美…」

蘭が陽美に寄り添うが、陽美は微動だにしない

「髪の毛は…薬の副作用?」

蘭が問うと、遼河が小さく頷く

「…自分勝手に生き、周りをかえりみなかった罰だと、そう思いたかった

けど、どんなに恨んでも俺たち二人の母親は、あいつしか居ないんだよ」

悔しそうに遼河が下を向くと、奥の部屋から声がした

「…万亜はもう、手遅れだ」

低く、重い声がした

「…親父…!」

恨んでいた長年の積年が募ったかのように、怒りに震える声で向き直る遼河

「なんで…なんでこうなるまで俺たちを呼ばなかった!
どれだけ憎んで、恨んでも、変わらずこいつは…俺たちの…!!」

遼河が感情をあらわにしたのは、家族がバラバラになって以降、初めてだった

陽美はそんな兄の後ろ姿の向こうにある、久しぶりに見る父親の姿を視界に捉える

「陽美も…久しぶり、だな」

大きくなった息子と娘の姿をみて、僅かに目に涙を浮かべた

「…万亜が、拒んだんだ。

今まで散々お前たちに酷いことを言い、母親らしい事なんて一つもできなかった自分に、会いたいなんて言う資格は無い…と」

父親の言葉を受け、また俯き、拳を強く握る遼河

陽美は視線を万亜の方へと映し、そっと見つめる

「……」

口を静かに動かした陽美に、父親や蘭は驚く

“ちゃんと、お母さんしてたけどな”

「陽美…」

ニコッと蘭に向き直った陽美

“確かに、世間のお母さん達よりは上手にお母さんが出来なかったかもしれない

だけど、自分なりに頑張ってたと思うな、私”

「…どういう、事だ」

父親が信じられないといった顔で陽美を見つめる

「……」

陽美の頭の中に、たくさんの思い出が蘇る

毎日のように夫婦喧嘩をしていたあの家で

毎日のようにお皿の破片が飛んできたり物が飛んできたりしたあの家で

決して、楽しいことばかりじゃなかったと思う

だけど

陽美や遼河の誕生日には、決して美味しくは無かったし形は歪だったけど…毎年手作りのケーキを焼いてくれたし

耳が聞こえない陽美が学校でからかわれ、泣きながら帰ってきた時
真っ先に学校へ行ってからかった子たちを怒鳴り上げ、謝らせた事もあった

仕事が好きだった万亜は、子供に自分の時間が取られることが苦痛だった

だけど、自分が産んだ子供たちを無下にも出来ない

そんな葛藤の中、娯楽を探して狂ってしまったのだろう

「…可哀想な人、と俺はずっと思ってた」

遼河が静かに口を開く

「だけど…本当に可哀想だったのは、あの人を分かってやれなかった、俺たちなのかもしれない」

静かに病室の扉を開き、中に入った陽美

「……」

頬はやせ細り、手足もほとんど皮のようになり変わり果てた母親

「……」

冷たいその手を両手で包み、陽美は額を当てる

「……」

「…、な…み?」

微かに手が動き、陽美は顔を上げる

「…ごめん、ね…」

涙を流し、陽美を見つめる万亜

「ちゃんと…あなたを産んで…あげられなくて、ごめん…ね…」

陽美の視界が涙でぼやける

ぶんぶんと大きく首を横に振る陽美は声にならない声で訴える

「…っ!は…っく…!」

“そんなことない!だってお母さんは…!”

言いかけたところで、嗚咽に混じって言葉にならなくなる

伝えなきゃ、今、伝えなきゃ…!

耳は聞こえなくても、口の動きで何とか伝わってきた陽美

だけど、今ここでちゃんと私が伝えなきゃ…

きっとこの先、一生後悔するだろう


しっかりと息を吸いこみ、陽美は告げる

「お…かさ、ん…!わた…私…!」

目の前にいた万亜が目を見開く

「ひな、み…あなた…もしかして…」

陽美も驚き、自分の首元に手をやる

「…!」

自分の声が、聞こえる…?

これ、私の声…?

今聞いたのは、お母さんの、声…?

確かめたくて、何度も何度も呼びかけた

「お母さん…お母、さん…!」

紛れもなくそれは、陽美の声だった

「陽美……」

万亜の笑顔を見たのは、いつぶりだろう

慌てて病室に入ってきた三人も目を丸くする

「私…私ね…お母さんのおかげで今、とっても楽しいの」

笑顔を作ってみるが、嗚咽と涙で上手く笑えない

「お母さん…私を産んでくれて、ありがとう」

陽美の言葉に涙したのは、万亜だけでは無かった

後ろで聞いていた蘭に遼河、父親までもがみな涙した

過去にあれだけ産まなきゃ良かった、

こんな子たち邪魔にしかならないと…

あれだけひどい言葉を浴びせられ続けてきた陽美

それでも、この母親が好きだった

世界でたった一人の、陽美の母親

「お母さんが産んでくれたおかげで、蘭ちゃんにも、出会えた
たくさんの本を読むことも出来たし、新しい友達も、出来たの」

途切れ途切れになりながら、必死に言葉を繋げる

「…お母さん、会わせたい人がいるの

明日、連れてきてもいい?」

万亜はどう反応していいのか分からず戸惑っていたが…

陽美の後ろでため息をついた遼河と嬉しそうな父親を見て

精いっぱい、笑った



次の日

陽美はある人物をある公園に呼び出した

「悪い!遅くなって」

ぽん、と陽美の肩を押したのは麻陽だった

「お前から呼び出しなんて、珍しいな?
何かあった?」

少し嬉しそうな麻陽をみて思わず笑ってしまう

「…な、なんだよ」

くすくすと笑う陽美は、静かにスマホを取り出した

カチカチ…カチ…

“実はね、麻陽くんに伝えなくちゃいけない事があるの”

「俺に?」

うん、と頷く陽美はさらに文章を続ける

“私の昔話、聞いてくれる?”

そう麻陽に見せると、麻陽もうん、と深く頷く

一通り陽美の過去をメモに打ち込み、麻陽に見せる

「…っ、!!」

当然、麻陽はとても驚いた顔をした


ー本当は、言うのを躊躇っていた

こんな事を話して、普通ならドン引きされるだろう

受け入れてもらえる確率なんて、無いに等しいだろう

だけど、やっぱり麻陽は違った

「…辛かったな」

陽美のスマホにそう打ち込まれていた

「…それで、俺に過去を話したってことは、まだ何か続きがあるんだろ?」

察しのいい。

うん、と頷いた陽美は二人並んでいたベンチから立ち上がると、麻陽の目の前に立つ

「……」

そして、静かに口を開いた



「…私ずっと、麻陽くんが好きだった」



初めて聞いた陽美の声に驚き、目を見開く麻陽

「…昨日、お母さんに会ってきたの
そしたら末期の肺がんだって言われて。

…最後にちゃんと伝えなきゃ、って思ったら…克服、しちゃった」

えへへ…と照れくさそうに言う陽美は、次の瞬間とても暖かくなった

「えっ…ちょ…麻陽、くん…?」

麻陽に、抱きしめられていた

「…っ、初めて…お前の声、聞けた…!」

嬉しさが滲み出ていたその声は、じわじわと陽美にも染み込んできた

「ずっと…お前とこうやって話してみたかったんだ
どうにかして、お前と話せないかって、ずっと…考えてた」

麻陽の肩が震える

「…逢坂、俺も…お前にずっと、惹かれてたんだ

初めて会った、あの時から…!」

強く、強く抱きしめられた


どんなに心待ちにしていた事だろう

陽美とこうやって話せるようになる日を

自分の声が、陽美に届く日を

陽美の声が、自分に届く日を


涙で前がうまく見えない

陽美も同じように、麻陽を抱きしめた


ーーカシャン、

「…まひ、る……」

陽美の後ろから、か細い声がした

手に持っていたであろうスマホを落とし、呆然と立ち尽くす人が目に映る

「……」

顔を上げると、部活終わりの花奈が立っていた

「…やっぱり、麻陽は逢坂さんが好き…だったんだ、ね」

「花奈…」

その時ようやく、陽美は花奈の気持ちを知った

幼馴染み、と麻陽に紹介されてからそうとしか思っていなかった陽美

だけど、花奈はずっと、麻陽を想い続けていたのだ

麻陽からすっと離れた陽美は花奈に向き直る

「…花奈先輩、私絶対麻陽くんを幸せにします
先輩の想いの分まで、必ず」

「あなた…声……!!」

驚いた花奈

「…ごめんなさい。前あなたに会ったとき、まさか耳が聞こえないだなんて、知らなかったの

ひどい事言って、悪かったわ」

決まり悪そうに言う花奈を、歩み寄った陽美はそっと抱きしめた

「私…花奈先輩とも、もっと仲良くなりたいです

…だめ、ですか?」

陽美が告げると、花奈は涙目になりながら小さく頷いた

「うん…うん…」

ひとしきり泣いた花奈は吹っ切れたのだろう

「麻陽、陽美ちゃんを幸せに出来なかったら、許さないんだから!」

「…任せろ」

とびっきりの笑顔で麻陽にそう告げると、花奈は去っていった

「…それで、俺はどうしたらいい?」

「…お母さんの所に、一緒に来て欲しいの」

「お見舞いか?…分かった。行こう」

「お土産とか、いるかな?」

「好きなもの持っていったら喜ぶんじゃない?」

麻陽は陽美の手を取り、万亜のいる病院へと向かった


「…あーあ。やっぱりだめだったかぁ」

頭の後ろで手を組み、花奈の横で欠伸をする

「…でも、私の想いは無駄じゃなかったって、今なら思える」

「花奈はお人好しだね」

麻陽とよく通り歩いた並木道を、花奈と結斗はのんびり歩く

「僕はさ…少し、ホッとしてるんだ」

「…何それ。どういう事よ」

思わず食いついた花奈に慌てて訂正する

「い、いや!別に悪い意味じゃなくってさ?

んー…そのー…ええと…」

「なによ、私が振られたのがそんなに楽しいの?…趣味わるっ」

機嫌を損ねた花奈は少し早歩きになって進む

「ま、待って待って!別にそんなことは言ってないじゃないか」

「じゃあ何よ!」

ぐるん!と振り返った花奈は結斗に詰め寄る

「…っ、!

…はぁ。分かったよ、白状しますよ」

ふぅ、と落ち着いた結斗は真剣な顔つきで花奈を見つめる

「僕はずっと、花奈が好きだったんだ」

「…っ、!!」

「…知らなかっただろう?
花奈はずっと、麻陽しか見てなかったからね

僕がずっと想いを寄せていたことなんて、気づきもしないだろうって、思ってたし分かってた」

「ゆい…」

「あぁ、返事はすぐじゃなくていい。
失恋して消沈気味な女の子を急かすほど落ちてないからね」

少しおちゃらけたように言う結斗が何だかおかしくて、つい笑ってしまう

「まあせっかくここで言わざるを得なくなって言ったわけだし?

…これからは、覚悟しといてね?」

怪しい笑みを浮かべた結斗はまた歩き出す

「ちょっ…待ってよー!」

小走りで結斗を追いかけた花奈の頬もまた、赤く染まっていた

第七話 サプライズ

ーコンコン、

「…失礼します」

病室のドアを開き、中に入る二人

「…陽美」

「おはよう、お母さん」

うっすらと目を開けた万亜の隣に、陽美と麻陽が腰を下ろす

「お母さんに会わせたいって言ってた人…茅ヶ崎麻陽くん」

「茅ヶ崎麻陽です」

「麻陽くん、ね…

陽美、素敵な人を見つけてきたのね」

嬉しそうに言う万亜に、陽美も嬉しくなる

「…麻陽くん、陽美のこと、よろしくね」

「…はい」

静かに麻陽が頷くと、そこに飛び込んできたのは遼河だった

「なっ…陽美?!会わせたいやつって男だったのか?!」

血相を変えて飛び込んできた遼河の後ろから、やれやれと言ったように蘭と父親も入ってきた

「遼河、陽美も年頃だろう。
男の子の友達の一人や二人、いるさ」

「あれー?陽美、茅ヶ崎先輩って友達でいいの?」

茶目っ気たっぷりに陽美へと促した蘭

「なっ…まさか…!!」

遼河がありえない!と青ざめる

「か……彼氏………です」

小さな声で、陽美は確かにそう言った

「逢坂…」

横にいた麻陽も思わず照れてしまい、手で顔を覆った

「なっ、か、かかか彼氏?!?!!」

これには父親も驚き、遼河同様青ざめる

「あははっ、やっぱりちゃんと伝えられたんだね!
来た時の陽美の嬉しそうな顔みたら、すぐに分かったよ〜」

蘭が楽しそうに言うと、万亜も微笑ましそうに口を開く

「…楽しそうなあなたを見れて、これ以上ないくらい、嬉しい」

目に涙を浮かべながら、そう微笑む万亜

「…実はさ、陽美にもう一つ、サプライズがあるんだって!」

蘭が嬉しそうに言う

「サプライズ…?」

「じゃーーんっ!」

開き直った父親が白衣のポケットから取り出した一枚の紙、それは…

「…!」

陽美の目の前に出されたのは、婚姻届だった

「あれから色々考えて…万亜が発病した半年前に、既に再婚してたんだ」

「は、半年前…?!」

「ほんと、ありえねーよなぁ…
俺がどれだけ頑張って稼いでたか…

俺もそれを聞いた昨日、親父に殴りかかったからな」

あはは…と頭をかく父親を横目に睨みつける遼河

「陽美っ!…きっと、ここからまたやり直せるよ」

蘭が嬉しそうに笑いかける

「おう。…親父も俺もついてるんだ、余命だとか末期だとか、そんな言葉には絶対負けない

“家族”みんなで、また一からやり直そう」


これ以上無い、サプライズだった


陽美はずっと、その事を引きずっていた

もう二度と、家族に戻ることは無いだろうと…半ば諦めかけていた

だけど、それが今叶って。

とめどない涙が、陽美の思いを物語っていた

「…こほん、時に麻陽くん
これから先、どうなるか分からない

だが娘のこと…陽美の事を、大事にしてやってほしい」

父親が麻陽の方へと視線を移す

「…マジで陽美泣かすようなことがあったら、すぐさまぶっ飛ばしに行くからな!」

遼河も子供のように麻陽へと宣戦布告する

「二人なら、きっと大丈夫だよ!

私もついてる」

蘭がトン、と自分の胸を叩く

「みんな……ありがとう」

涙でいっぱいな陽美を、麻陽は優しく包んだ



あれから数ヶ月

陽美の環境は、目まぐるしく変わっていた

「逢坂っ!」

遠くから彼女の名前を呼んだのは麻陽

「麻陽くん。おはよう」

彼の声が聞こえるようになった幸せを、日々噛み締めていた

「…もうすぐ卒業、だな」

卒業式を間近に控えた麻陽たち

一学年下の陽美達とは一旦お別れになる

「でもきっと、私たちなら大丈夫だよ」

陽美が寂しさを隠すように笑いかける

「…万亜さん達、卒業式に来てくれるんだってな」

あれから容態が驚くほど回復した万亜

父親の病院へと移った遼河と父親の力あって、見事に病気を克服する手前まできた

その間、麻陽は医療関係の専門学校への進学が決まり、
花奈は地元のスイミングスクールのインストラクターに、
結斗は地元の大学への進学が決まったりと、色々な出来事があった

「ところで逢坂。
お前はもう進路とか、決まったのか?」

「…うん、決まったよ」

以前は問われても何も思い浮かばなかった陽美
だけど、この数ヶ月で沢山の人と触れ合い、自分のしたい事を見つけることが出来た

「…私ね、先生になろうと思うの」

自分と同じような境遇の子がいたら、迷わず手を差し伸べて助けてあげたい

そんな思いから、夢を見つけた

「…実際、いまの高校の先生はあんまり好きじゃなくて。

と言うより、親身になって相談に乗ってくれる人が少ないって感じたの」

教師という職に縛られ、自由が効かないことも勿論あるだろう

しかし、自分の時間を割いてまであまり相談に親身になって乗ってくれる人は少ないように陽美は感じていた

「耳が聞こえなかった私だからこそ、人と人とのコミュニケーションの難しさはよく分かる

…だからこそ、私の経験してきたことを次の世代の子達にも伝えたくて」

…大きく出すぎたかな?

そう言って、照れくさそうに笑う

「いいんじゃないか?お前らしくて」

麻陽もなるほどね、と笑う

「…あのね、麻陽くん」

「ん?」

急に立ち止まった陽美に振り返る

「…卒業前に、一つだけ、お願いがあるの」

「?」

「…っ…ええと…その……」

下を向いてもじもじと恥ずかしそうにする陽美

しばらくして心を決めたのか、ぱっと顔を上げる

「わた…私っ、麻陽くんに、名前で呼んでもらいたい!」

「…っ、?!」

突然そんなことを言われ、顔を赤らめる二人

「……だめ?」

数ヶ月付き合ってきた二人だが、いまだに名前で呼んでもらったことが無かった陽美

「…私はずっと、会った時から“麻陽くん”って呼んでた

…名字じゃなくて、ちゃんと“陽美”って、呼んでほしい……」

陽美の声はどんどん小さくなり、顔も徐々に紅潮してきた


〜…っ、ああもう!

半ばヤケになった麻陽は顔を真っ赤にして、陽美に向き直る

「…ひ、陽美……」

その声はいつもより小さかったが、確かに陽美の耳に届く

ぱあぁっと表情を輝かせた陽美は麻陽に抱きつく

「ちょっ…おうさ…陽美?!」

「嬉しい!麻陽くんがやっと私の名前、呼んでくれた!」

嬉しそうな二人の側に、賑やかな声が聞こえる

「あーあ。朝からいちゃいちゃしちゃって〜
もうすぐ学校着くんだから、自主してよ?」

「全く麻陽ったら…油断も隙も無いわね」

後ろで楽しそうにしていたのは結斗と花奈

あれから色々あったが…この二人も晴れて付き合う事となり、楽しい毎日を送っていた

ストン、と麻陽から離れた陽美は麻陽に改めて向き直る

「麻陽くん。

私ね…あの時、あなたと出会えた事、本当に良かったと思ってる

あの時出会えて無かったら、きっと今の私はいない

私を変えてくれたのは、麻陽くんなの」

一つ一つの言葉を大切にするように、陽美は続ける

「ありがとう。…麻陽くん」

「…っ…、!」

いい加減耐えられなくなった麻陽は、陽美を強く抱きしめる

「…これから先、何があっても陽美は俺が守る

もしもまた、お前の耳が聞こえなくなったとしても、俺はお前の傍にいる

約束だ」

優しい春の風が二人の横を通り抜け、厳しく辛い時は終わったのだと、春を告げる

「陽美ーーーっ!早くしないと遅刻しちゃうよー!」

学校の門の方から蘭の声がする

「蘭ちゃん!待ってよ〜!」

大きくこちらに手を振る蘭の元へと駆け出す陽美

しかしピタッと止まり、もう一度麻陽を振り返る

「…これからも、よろしくね!」

満面の笑みで麻陽にピースサインを送ると、蘭の元へと駆けた

「…あぁもう、可愛いかよ…」

耳まで赤くした麻陽の両肩に、それぞれ結斗と花奈が手を置く

「可愛い彼女を取られないようにしなくちゃな?」

「ほんっと!麻陽は幸せ者ねぇ」

「っっ、お前ら…っ!!」

笑いながら駆けてく結斗と花奈を追いかけながら、麻陽の表情も、楽しそうに笑っていた

これから先も、たくさんの試練が俺たちを待っているだろう

だけどたくさんの人が支えてくれて、自分も支えていく

俺たちなら、きっと大丈夫。


彼らの春は、ここから始まる…



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