第五話 愛と追憶の日々
「…なんで、連絡先知ってるんですか」
もう二度と、陽美に会わせてはいけない人…
唐突に陽美のトラウマでもある陽美の母親から、電話がかかってきた
蘭だって当然、ひどく動揺していた
蘭は万亜の事をあまり良く知らなかったが、兄である遼河から話を聞いていたため思わず身構えた
「…」
「…答えないん…ですね
陽美やお兄さんを大事に出来なかった人が、今更なんのご要件ですか」
「あなたは…遼河の事も知ってるのね
…陽美のお友達?」
陽美の……か
「はい。
…それで?要件は何ですか」
陽美の友達、と言われて正直に応えようか実際少し迷った
しかし蘭がはいと肯定した時、わずかに電話の向こうでホッと胸をなで下ろすような息が聞こえた気がした
「…本当に、私は自分勝手な母親だったの
あなたは…陽美や遼河から、話を聞いているかもしれない
…聞いているかしら?」
「えぇ。…子供を子供として扱わず、自分のしたい事を優先して育児放棄していたあなたの話は、よく覚えています」
これ見よがしに嫌味を含んだつもりだったが…蘭自身も少し、胸が痛かった
大事な大事な陽美を産んだ、紛れもないこの人は陽美の…母親で。
信じたくはないけれど、
過去に何をしていたとしても…
万亜は、生涯陽美の母親なのだから。
「…なんと言われても仕方ない、わよね
…勝手な母親から、最後にもう一つだけ、勝手なことを伝えに連絡したの」
その声は、話に聞いていたような威勢は全く感じられず…
夜の静けさをもってしても、か細く聞こえるほどだった
「…陽美が起きたら伝えます」
不問ではあったが蘭も少し気になっていて、万亜の言葉を受け入れた
「ありがとう。実は……」
翌朝。
「ん〜…まだ眠い〜…」
昨夜の事もあり、蘭の寝起きは珍しくぐずっていた
先に起きた陽美がつんつん蘭をつついているが一向に起きる気配も無く…
「…」
諦めた陽美はベッドから降り、テレビをつけて朝のニュース番組を観ていた
画面にはデカデカと“人気俳優〇〇が、ついに結婚!”という見出し
「…」
結婚、か…
昨日見た昔の夢がまたフラッシュバックした
結婚しても、離婚をしてバラバラになったうちの家族
それならいっそ、“家族”という形を作ることすら疑問に思えてくる
というかそもそも、あの家にいた私たちは本当に家族だったのだろうか?
蘭の家は両親共に小さい時から海外出張だったので母親の祖父母と共に暮らしてきた家族の形がある
麻陽くんにだってきっと、家族という形があるだろう
「…っ!」
そう考え出してしまうと、自分の境遇にひどく心を痛めてしまう
周りと自分を比較する事は自分をいつだって苦しめる
だから、極力比較しないようにしてきたのに…
「…っはぁ…はぁ…」
過呼吸になりそうなほど、胸が締め付けられる
「…っく……はぁ…」
落ち着け…落ち着いて……
夜が明けた朝になっても、こんな事を考えてしまう日は大体何事も上手くいかない
「…ふぅ」
天井を煽り、窓の外に目をやる
「……」
部屋の時計はまだ朝の六時過ぎ
部屋の外は薄暗い明かりで照らされ、陽美の心を溶かしていった
ソファに座ったままの陽美はうずくまり、そのまま深く目を閉じた
「…」
次に陽美が目を覚ましたのは、夕方の四時過ぎだった
…やば、寝過ぎちゃった……
幸い、今日は土曜日だったため学校を欠席する事も遅刻する事もなかった
「…あ、陽美。おはよう」
後ろからトントン、と肩を叩かれ振り向くと蘭が上から見下ろしていた
「よく寝てたねぇ…いい夢は見れた?」
笑いかける蘭にううん、と笑って返す
「…ねぇ、陽美?実はさ…その…」
蘭にしては珍しく、随分と歯切れの悪い口調だった
「…あ、とりあえずお腹空いて、ない?ちょっと外にでも食べに行こうかなって
…どう?」
蘭の誘いに嬉しくなってうんうん!と大きく頷く
ホッとした蘭は準備してくるよう促し、自分も準備支度を始めた
「よし、陽美はどこに行きたい?」
うーん…と考えた陽美はハンバーグが食べたい!と蘭に伝え、地元のファミレスへと足を運んだ
「いらっしゃいませ!何名様ですか?」
「二人で!」
蘭がピースを作って示すと奥の席へと案内される
「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
ぺこっとお辞儀をしたウエイトレスが去るとメニュー表を開く
「んー…陽美はどれにする?」
目をキラキラさせながらメニューを食い入るようにみる陽美は可愛らしかった
これ!と陽美が指したハンバーグのセットと自分はトンカツの定食を注文し、ドリンクバーの方へと二人で向かう
「…あれ、逢坂?」
不意に後ろから聞き慣れない声がした蘭は振り返る
…え、誰?
蘭の視界には見覚えの無い男の子と、側には双子らしき小さな女の子が二人いた
「えっと…陽美のお知り合い、ですか?」
恐る恐る蘭が問いかけると陽美も何かと後ろを振り返る
「!」
「あ、やっぱり」
陽美を見た彼は優しい顔で笑いかける
状況が掴めない蘭が陽美の方に目を向けると…
しばらく見ていなかった、幸せそうな顔をしていた
「茅ヶ崎麻陽、同じ高校。逢坂の友達」
淡々と告げる彼は柔らかく笑い、落ち着いた雰囲気だった
陽美の…友達?
いつの間に友達なんて作ってたの?
耳が聞こえないハンデがある分、交友関係を広げることが人一倍難しかった陽美
そんな陽美に友達が、しかも異性の友達が出来ていたことは蘭にとっても喜ばしい事だった
ちょいちょい、と陽美に袖を引かれた蘭は陽美の持っていたスマホのメモを見る
“彼、一つ上の先輩なの。
図書室の仕事を最初にした時、偶然出会ったの”
「そ、そうだったんだ…!」
チラッと彼の方を見ると、幼い双子がドリンクバーでジュースを汲むのに苦戦していたのか、笑いながら代わりに汲んでいた
「…その二人は、妹さん?」
「あぁ。海未と瑠海、小学二年生の双子なんだ」
妹、か…
遼河との過去を思い出した陽美
…お兄ちゃん、昔から何にしても忙しくしてたから、こんな風に一緒にご飯に行ったりとかした事ないなぁ
決して仲が悪いわけではない
だけど、こうやって普通の兄妹のような関わりはあまり無かった気がする
「…あ。そう言えば今日お兄さんの所、行かなきゃだね」
蘭が陽美にふと思い出したように言う
ご飯食べてから行こっか、と笑う蘭に頷く
「それじゃあ茅ヶ崎先輩、また」
「あぁ。またな」
陽美もぺこっと会釈をしてその場を去る
「…茅ヶ崎先輩、かっこいいね!」
席へと戻り、こそっと陽美に笑いかける
「…!」
今まで見せたことのないくらい顔を赤くし、頬を覆う陽美
…なるほど、そういうことか。
察した蘭はそれ以上何も言わず、タイミングよく来たご飯を食べて遼河の元へと向かった
「…やぁ、随分と遅かったね?」
「あー…今日学校は無かったんですけど二人してのんびりしてて」
あはは…と蘭が言うと特に気にする様子もなく遼河は笑う
「…さて、早速だが本題に入ろう。
陽美、昨日誰かから電話が無かったか?」
「…っ、!」
反応したのは蘭だった。
「…その反応、出たのは蘭ちゃんか」
「すみません…陽美が寝てる時、しかも非通知だったので間違い電話かと思って…」
陽美は何の事かわからず、相変わらず首を傾げている
「いや、それはいいんだ。
…電話をかけてきた人物から、何か要件を聞いたかい?」
「……はい」
冷や汗をかきながら、蘭は答える
「それじゃあ、その要件を陽美にそのまま伝えてもらえるかい?…いまここで」
いつもの遼河とは違う、真剣な目つきだった
「…っ、…」
覚悟を決めた蘭は閉じていた目を開け、陽美に向き直る
「…言いにくいんだけど、さ
どうしても…あんたに言わなくちゃいけない事があって…」
「…?」
首を傾げる陽美としっかり視線を合わせ、ようやく決意したように蘭が口を開く
「実は……」
蘭の口からその言葉を聞いた時
陽美は大きく目を見開いて、その大きな目から、大粒の涙を零した
「…っ、…」
「…陽美…」
そして…声にならない声で、泣き崩れた