「あの…」

静かに、彼女が離れた。

その表情があまりに冷静だから、狐につままれたような心地で私は尋ねた。

「あの、今」
「ごめん」
咄嗟に声が出た様子の彼女は、目を合わせずに早口で告げた。

「ごめん、自分でも何をしたのか分からない。忘れて」

その言葉に、さっきのことが夢ではなかったと知覚した蝶は、無意識に後ずさっていた。

それが、決定打になるとも気付かずに。

私が彼女との間に距離を作ったことで、彼女はひどく傷ついた顔をした。

「…ごめんなさい。私、そういうのじゃないのに。あなたも。なんて言えばいいのか分からない」

そういうの、というのが同性愛者を指しているのだと分かり、蝶は謝り続ける彼女に向かって首を振った。

「さよなら」
踵を返した彼女を、引き止めることが出来なかった。

呆然と立ち尽くしていた蝶は、その後ろ姿も見えなくなると、その場に座り込む。

「どうしたらいいの…」
掠れた声が、風にさらわれて消えた。