『誰にも言うなよ?』



ドン、と菜々に押され


わたしは床に尻もちをついた。


「黙って言うこと聞いてればそれでいいって、なんでわかんないわけ?」


――そうか。


「素直にハイって言っときゃいいのよ」


良い子を演じるなんて、無意味なんだ……。


「あのダサ眼鏡の代わりに、イケメン教師でも来てくれないかなぁ〜」


ニヤニヤする、愛美。


「それな。あんな地味でキモいやつじゃなくてさ」


わたしの控えめな態度が、こいつらを調子に乗らせるだけなのだとしたら。


もう――こうするしかない……。



「……そんなにわたしに相手して欲しいの?」

「は?」


ゆっくり、立ち上がる。


「して欲しいのかって聞いてんだよ……金魚のフン!!」


声を荒げたわたしに動揺する愛美と菜々。


まさか強気に言い返されるとは思っていなかったのだろう。


「調子のんなよ、チビ」


つり気味の目で睨みつけてきたのは、菜々だ。


背が高いだけに迫力もある。


ああ、もう、引き返せない。


そう思ったわたしは、菜々を睨み返した。


……大丈夫。私、負けてない。


目つきと口の悪さなら負ける自信がない。


エリカはひたすら沈黙を続けている。


やはり他の二人とは違うオーラがエリカにはある。


一番冷静で大人しいのにエリカにだけは歯向かうのが怖い。


「調子乗ってるのはどっちかなぁ」


ひるむもんか。こんな雑魚(ザコ)に。


「素子のクセに生意気……!!」

「『弱い犬ほどよく吠える』とは言ったものだけど。あなたたち、ほんと煩(うるさ)いよね」

「っ、」


どうしたの。

ほら。

そんな悔しそうな顔しないで、言い返してきなよ。

二人で。


まとめてわたしが論破してやるから。


「……エリカ、コイツしめちゃおうよ?」

「…………」


エリカは腕を組んだまま黙っている。

菜々の問いかけに答える様子もない。


「エリカ? どうしたの?」


愛美にそういわれ、エリカがクスッと笑ってわたしを見てこういった。


「なんだ。ただの人形じゃなかったんだ?」


どこか楽しそうな様子の、エリカ。


怒りを露にさせている愛美と菜々と違って笑顔のエリカが奇妙でならない。


「無抵抗な人形ほどダメージの与え甲斐のないものはないもんね」


——!!


ゆっくりと、わたしに近づいてくる。


一歩。


また、一歩。


「ふぅん。それが優等生、木乃素子の本性なんだ? ボロをだすくらいあの教師のことが大事なんだ?」


……やばい。


この子は、やばい。


「そっか。だったら、もっと楽しませてもらおうかな。高校生活は始まったところなんだから。ね?」


嬉しそうに微笑むエリカの顔を見て、わたしは心底後悔した。


この子は、絶対に敵にまわしちゃいけない相手だったんだって。


#06 サヨナラ優等生



.*



午後の授業は、いつも通りざわついた教室でやる気のない連中と受けた。


移動教室のとき、廊下ですれ違いざまや遠巻きにこっちを見てコソコソとなにか言っている子たちがいた。


今朝の一件で妙な噂が出回っているせいだろう。

いったいどれくらい広がってしまったのかな。


ひとまず気にしないでおこうと思う。

家に連絡されたり狼谷先生が処罰を受けたりすれば放ってはおけなくなるが、今のところそんな様子もないから。


――エリカのグループに啖呵を切った。


それが、いちばんの問題。


もう、戻れない。

ただの大人しい優等生には。


わたしがどんなやつかってエリカたちにバレた。

バラした。


……そうするしか、なかった。

あいつらのいいなりになるわけにいかなかった。


嘘をついて狼谷先生に迷惑をかけるなんて……


退職に追い込むなんてことは、
絶対にしたくなかった。


先生は変人ではあるけど、悪い人じゃない。


いや、たとえ先生が悪人だったとしても

他人を罠にかけるなんてあってはならない。



――サヨナラ優等生。



恐れるな、木乃素子。


相手は同じ高校生。


ギャルがなんだ。不良が仲間にいるのがなんだ。


集団でしか手が出せない、腰抜けだ。


なにか対策を練れば勝てないわけがない。


……なんて、考えていた矢先。


「しばらく頭冷やしてな」

「あたしらに逆らったこと後悔すればいい」


――悲劇が起きた。


掃除の時間。

あろうことか、資料室に閉じこめられた。


「ちょ……」


びくりともしないドア。

きっと廊下側から扉があかないように固定されているんだ。


ここは、4階。

この部屋に窓なんてない。


「誰か、いませんか!!」


ドア越しに廊下に向かって叫んでみるも、反応はない。


見回りの先生や警備員さんが発見してくれるのを待つしかないの?


「……ケータイ、あればなぁ」


携帯電話を持っていないことを、生まれて初めて後悔した。



 ◇


――同時刻、別所にて。


「あ、狼谷。ちょうど良かった」


狼谷と青山雅人が廊下で鉢合わせになる。


「どうかしましたか」

「素子見なかった?」

「……はい?」

「教室にいないんだ。待ってろって言ったのに」

「照れて帰っちゃったんじゃないです?」

「マジ……?」

「下駄箱に靴があるかどうか確認してみたらどうですか」

「それもそうだな」


二人が昇降口へ向かう。


「なあ、狼谷」

「はい」

「なんで素子と保健室行ったの?」

「……どうしてそれを知ってるんですか?」

「携帯にまわってきたんだよ。今朝のラクガキが」

「青山くんのところにまで?」

「ああ。アレ、広がってるみたいだぞ」

「そうですか」

「そうですかって……そんなのんびりしてていーの?」

「あれは木乃さんがケガしたから、付き添いですよ」

「ケガ?」

「誤解されるようなことは、なにもしてません」

「……だったら、ちゃんと解いてやれよ。じゃなきゃ、素子が可哀想だろ」


狼谷はなにも答えない。

そんな狼谷を見て相変わらず薄気味悪い男だな、と雅人は思った。


「ここですね、木乃さんの靴箱は」


狼谷がそういうと、雅人が靴箱の扉を開く。




「ないですね。木乃さんの靴」

「……逃げられたか」


ささくさと靴を履き替える雅人。


「帰るんですか?」

「素子いないならもう学校に残ってる意味ないしな」

「……そうですか。さようなら、青山くん」


数秒後、

雅人のいなくなった昇降口でため息をつく狼谷。


「ツメが甘いなぁ、青山は」


呆れたように肩をすくめたあと、なにやらあたりを詮索し始めた。


そして――、あるものを見つけた。


そう。


狼谷がゴミ箱から拾い上げたのは、

素子のスニーカーだった。


「上靴も外靴もないなんておかしいだろう。……で、肝心のアイツはどこに隠されてるんだ?」


ニヤッと笑うと狼谷は歩き始めた。