愕然とする人たちの中で、杏奈ちゃんと汐李ちゃんの会話は続く。
「あー、そう言われると確かになぁ。
じゃあ他に何すりゃいいと思う?
デマでも何でも流して、こいつの家潰す?」
「それも簡単過ぎるじゃん」
「えー、じゃあ汐李は何かないのかよ?」
「んー、そうだなぁ……」
そう言って斜め上を仰ぎ見た汐李ちゃんは、数拍の間を置いて、悍ましい笑みをその顔に浮かべた。
「……じゃあ、〝いじめ〟れば?」
「おっ!いいねぇ〜、そうするか!」
桜の顔から血の気が引いていく。
この先に待ち受ける未来を想像してのことだろう。
「楽しみだねぇ〜?」
「キャハハハハハ!!」
耳障りな甲高い声で笑う二人の姿は、悪魔に見えた。
次の日、教室へ入った私は見た。
全体的に落書きされ、、花の入れられた花瓶を置かれた机と、その席に俯きながら座る桜の姿を。
それを見ていられずに、親友の花帆(カホ)に相談した。
「うん、あたしも我慢できないよ」
「だから私、桜を助けたい!」
私がそう言うと、花帆は悲しそうな顔から真剣な顔になった。
「結菜。 桜を助けたいなら生半可な気持ちじゃダメだよ。
『自分もいじめの対象になる』っていう覚悟をちゃんと持たないと。
結菜はそれを理解していてもなお、桜を助けたい?」
私は迷わず頷いた。
花帆はその答えに「結菜ならそう言うと思ってた」と顔を緩めた。
「さあ、そうと決まったら早速行動しなくちゃね」
桜のところへ行った花帆は、花瓶を持ち上げると、教室の後ろの棚の上へ置いた。
「……え? 結菜と花帆……?」
困惑する桜に私は言う。
「桜。 私たちは親友でしょ?
私たちも一緒に戦うよ」
「だから……」
「あんた達、何やってんだよ?」
私の言葉を遮る声に振り向けば、笑顔の杏奈ちゃんと汐李ちゃんがいた。
けれどその笑みからは、怒りが滲み出ているのがはっきりと分かる。
「あんた達もいじめられたいの?」
杏奈ちゃんの、私たちを蔑む瞳をしっかり見つめ返し、花帆が答える。
「そんな物好きなわけないでしょ。
けれど、あたしたちは桜と一緒に戦う」
私もこくりと頷いた。
二人は顔を見合わせると、ニヤリと笑った。
「ふーん、面白いじゃん。
これから楽しませてもらうからね?」
「キャハハハハハ!!」
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その次の日から、私たち三人はいじめられるようになった。
靴箱には画鋲が溢れるほど入っていて、引き出しの中には〝死ね!〟や〝消えろ〟などの紙が沢山。
教室から一旦出てから戻ると教科書はボロボロ。
そして極めつけに、花の入った花瓶は、机の端に接着剤で固定されていた。
先生たちも二人には説教すらしない。
親の権力も理由の一つではあるだろうけど、最も大きな理由は〝面倒事に関わりたくない〟というものだろう。
いじめている側の二人とも、いじめられている側の三人とも目を合わせようとしない、
あからさまなその態度に、私は教師という存在に失望した。
終わることなく、飽きることなく続くそのいじめ。
日に日に私は精神的にボロボロになっていった。
こんなことでダメになるなんて弱いなぁ。
その思いさえも、自分の心を責めて追い討ちをかけた。
何度も〝死にたい〟と思った。
けれど桜と花帆と一緒に戦うと決めたし、
行動に移さなかったのは何より、隣のクラスの親友、舞華の存在があったからだった。
舞華……舞ちゃんは、保育園からの優しい親友、むしろ神友だと……そう信じていた。
それなのに、裏切られた。
忘れ物をして、放課後、教室へ取りに行った時、聞こえてしまったんだ。
隣の教室からする杏奈ちゃんと舞ちゃんの話し声が。
頭では聞かない方がいいと分かっていたのに、私はつい耳を欹(ソバダ)ててしまった。
───聞かなければ良かった。
そう後悔することも知らずに……
「なぁ舞華。 あいつとはどうなった?
上手く騙せてるのか?」
「あいつって結菜のこと?
えぇ勿論。 私が声をかけると何も知らずにニコニコするわ」
クスリと笑うのが聞こえた。
「ほんと、馬鹿で哀れな奴だよな。
余計なことに首突っ込まなきゃ良かったってのに。
まあ、こっちとしては楽しみが増えて良かったけどな」
二人で甲高く笑う声が、嫌でも耳に届いた。
嘘だと思いたかった。
自分の耳を疑った。
杏奈ちゃんと話しているのは誰なの?
本当にあの舞ちゃんなの?
泣き出しそうになった私は、静かにその場から走り去った。
ただひたすら走って、走って───
気が付くと、家の前だった。
私は自室へ駆け込むと、枕に顔を埋めて泣き続けた。
泣き疲れて眠るまでずっと……
───目が覚めた時には、私の瞳は絶望に満ち溢れていて、光を失っていた。
ある日、いつものように学校へ行くと、結菜の様子がどこかおかしいことに気が付いた。
椅子に座ったまま、その瞳は宙を彷徨っていて、何より……光を失っていた。
暗闇の中のように何も映していない、絶望に満ちた瞳。
そして無表情の結菜に、私は底知れない恐怖と悲しみを感じた。
「……ゆ、結菜?」
恐る恐る私が声をかけると、
「ん? どうしたの?」
いつもの調子でそう言って笑ってくれた。
でも、私には分かった。
それが作り笑いだということが。
何故ならその瞳は、さっきと何も変わっていなかったのだから。
「大丈夫……?」
私が聞くと、結菜は儚げに笑い
「……私、本当に馬鹿みたいだよね。
信頼していた人に、裏切られたっていうのに、嘘だと願い続けてるなんて」
徐に、昨日の放課後のことを話してくれた。
話し終わった結菜は泣いていて、
私はただただ、消えてしまいそうな目の前の少女を抱きしめることしかできなかった───
桜に昨日のことを話した後、抱きしめてもらったことが嬉しかった。
でも、いつの間にか私は壊れていた。
全ての意味を、追求するようになったんだ。
───人間が生きてる意味って何? 子孫を残すため? 残してどうするの?
もう訳が分からない。
それに、桜と花帆のことも疑ってしまうようになってしまった。
───本当は桜と花帆も、杏奈ちゃん達側の人間なんじゃないの?
───信じたいよ。 信じたい。
でも今の私じゃ……人間不信になりつつある私じゃ、もう無理だよ。
ポロポロと涙が零れていく。
……涙が枯れた後、私は一人、部屋に篭って読書をしていた。
物語の世界の中でだけ、存在価値を見出せる……当時はそう思っていたから。
そして、とある本を読んでいた時に気が付いた。
私が〝死にたい〟と思ってしまう感情の名前を知った。
それは…………『寂しさ』だった。
───クラスの人たちに……皆に異変に気付いてもらえなくて寂しかった。
誰も手を差し伸べてくれなくて寂しかった。
自分だけが隔離されてしまったようで……
そこで漸く、私は理解するのだった。
───私は最低だ。
桜と花帆を疑った上に、悲劇のヒロインぶって、自分だけが辛くて苦しいと思っていた。
私は臆病で、一人じゃ何もできないような弱い人間で、そんな自分が嫌いだった。
───でも分かったことがある。
人間は一人ひとり違うことをして、違うことを考える。
人間は一人じゃ生きられない。
けれど、自分のことが分かるのは自分自身だけ。
だから私が、自分の力で変わらなければいけないんだ。
まだ人を信じられなくても、いつかきっと、前みたいに笑える日が来る。
その未来を、私は信じてる。
───ねぇ、もし君がいじめられたりしたらどうする?
───私はね、怖いよ。
いつ終わるか分からない、ずっと続くかもしれないと思うと。
───でもね、決めたんだ。
私は私らしく、前を向いて進もうって。 歩んで行こうって。
これからも、私いじめに立ち向かう。
桜と花帆と一緒に。
明るい未来へ向かって。
明日を信じて。
✝︎end✝︎