「おい、喋れよ」
私の心を踏みにじるような一言と笑い声。
怒りたくても、泣きたくても、苦しくても出ない私の声。
何度泣いても心で悲鳴をあげても、誰にも届かない。
そっか、世界は結局……歪な私を受け入れてはくれないんだって気づいたあの日から。
私はひとりで生きていくんだって思っていたのに……。
「よう、冬菜!」
そんなときに、君が現れた。
「これ、俺からのプレゼントな」
君がくれたもの。
春の桜に夏の朝顔、秋の紅葉に冬の雪だるま。
それから……。
「だから、早く俺のために笑えって!」
溢れんばかりの、想いでした。
【冬菜side】
4月。
日の光が丸みを帯びて柔らかくなり、風は穏やかに、芽吹いた幾千の花々が甘い香りで大気を満たす春の季節がやってきた。
パリッとした真新しい制服に袖を通し、長い黒髪を後ろに束ねた。
きっちり第一ボタンまでしめた、シワ一つ無いワイシャツ。
スカートの丈も捲ることなく、そのままにした私の格好は、高校デビューなんて言葉とは無縁の地味さだった。
今日から私は、高校生になる。
「これで、よし……」
スクールバックの中に筆記用具と愛読書、スマホと眼鏡を入れてリビングへと向かう。
今日は始業式と自己紹介を兼ねたホームルームがあるだけで、昼前には学校が終わる。
持ち物は必然的に軽くなり、私の新学期への期待のなさに比例した重さだと私は皮肉にも思った。
「おはよう、冬菜」
リビングに入って右手すぐにあるキッチンから、愛犬ベリーのごはんの皿を手にお母さんが笑顔を向けてくる。
「おはよう、お母さん。それから……」
ハッ、ハッと荒い息で、千切れんばかりにしっぽを振る黒いトイプードルとチワワのミックス犬。
興奮したように足元にピョンピョン飛びついてくる愛犬を両手で抱き上げると、頬をすり寄せた。
「ふふっ、おはようベリー」
「わふっ!」
女の子なのに男の子なみの活発さで、たまに手を妬くけれど、この頬に当たるふわふわの毛並みに顔を埋めると、すごく癒される。
朝から幸せな歓迎を愛犬から受けつつ、私は椅子に座った。
「おはよう、冬菜。今日は高校の入学式だったな」
「おはよう、お父さん。うん、そっちは大事な会議があるんだっけ?」
お父さんは商品開発の仕事をしていて、今日は新商品の企画を発表する大事な日だと昨日話していた。
「あぁ、今日も母さんと冬菜のために頑張るぞ」
「ふふっ、いつもありがとう、お父さん」
先に席についてブラックコーヒーをすするお父さんと、笑顔でたわいもない話をする。
これが、原田家の日常で、私が唯一幸せだと感じる時間だった。
「カウンセリングは明後日よね、お母さん車で送ろうか?」
「ううん、ひとりで行けるから大丈夫」
カウンセリングか……。
気が乗らない私は、お母さんに曖昧に笑って答えた。
私、原田 冬菜(はらだ ふゆな)は、原因不明で起こるとされる場面緘黙症だ。
一見普通に見える私の病気は、家では普通に話せるのに、学校など特定の場所では話している姿を見られることが不安で、全く話せなくなるというもの。
私の場合、家にいても家族以外とは親しい親戚を除いて全員話せなかった。
話そうとすればするほど、緊張して体がこわばってしまう。
隣駅には私がカウンセリングを受けている心理センターがあり、週二回、学校が終わった後に通ってる。
お母さんの言うカウンセリングとは、このことだ。
カウンセリングを受けていて思うのは、話せって言われたって、心から誰かに伝えたい、繋がりたいと思わない限り、言葉にはならないってこと。
私はある日を境に、そういった繋がりを望むことをやめた。
それ以来、家族以外の誰かに理解されたいとか、学校での居場所が欲しいとか、普通の恋がしたいとか、思わなくなった。
そんな気持ちが治らない原因なのではないかと、最近は思う。
***
校門を抜けた瞬間、空気が振動するような興奮に包まれた。
掲示板の前にはわらわらと人の壁ができており、中学からの友人だろうか、同じクラスだったことに喜ぶ生徒や、別のクラスになり落ち込む生徒の温度差がちらほら見受けられる。
人の波を縫って掲示板の前に立つと、【1年A組 原田 冬菜】の文字を見つけて、すぐにその場を離れた。
入学式が終わると、それぞれ発表されたクラスへ別れることになった。
私は1階にある1年A組の教室の前へやってくると、扉に貼られた座席表を真っ先に確認する。
席は窓際、一番後ろの席。
人に囲まれてない上にすぐ隣が中庭なため、景色も眺められる最高の席だった。
「あ、はじめまして」
「同じクラスなんだ、よろしくね!」
教室に入るなり、たくさんのクラスメートに話しかけられた。
体が緊張で強張り、一瞬足を止めてしまう。
「ねぇ、中学どこだったの?」
やめて、たくさん話しかけてこないで。
たぶん、自分の落ち着くグループを見つけたくて躍起になっているんだろう。
一人でいられない、群れる人間は弱い。
高校を卒業したら『ずっと友達だよ』『親友だよ』なんて言葉を交わした相手とも、簡単におさらばできるくせに。
場所が変わるたび、また群れを作る無駄な行為。
「えーと、聞こえてる……かな?」
「…………」
哀れなモノでも見るような気持ちで、私はクラスメートを無言で見つめた。