『4月12日《金》午前11時45分』
今日も、空は快晴。京都の平均気温は、13度と涼しい気候。最高気温は20度にまで上がるとヤフーニュースに載っており、この服装が丁度良い。
『59号系統のバスが到着しました。ご乗車の方は、後ろのドアからお入りください。』
御室仁和寺駅のバス停で待っていると、11時40分到着予定のバスが5分遅れてやって来た。
「‥‥‥‥‥‥」
僕は、開いた後ろのドアからバスに乗り込む。平日の昼時の時間帯のせいもあってか、車内は空いている席が多く見られた。僕は一番後ろの窓際の席に座り、耳に黒いイヤホンを付ける。そしてユーチューブから好きな音楽を聴き、呆然と外の景色を見る。目まぐるしく移り変わる景色に、心が奪われた。バスも標識の制限速度40キロを守りながら、右左に曲がる。それと同時に、バスの車内の人も増えていく。
「昨夜の殺人事件見た?」
僕の隣から、女性の声が聞こえた。
「‥‥‥‥‥」
「僕はちらりと、声のした方に視線を向けた。視線の先に、若い男女のカップルの姿が目に映る。僕よりも少し年齢は高く、大学生に見える。
「見た。見た。娘が強姦されて、その父親が同じ大学の男子生徒に復讐した事件だろ。」
若い男が、満足そうに答えた。
ーーーーーー昨日のニュースだ。
僕はiPadの音楽の音量を下げ、二人の会話をこっそり聞く。
「でも、あの風俗で働いていた女性、かわいそうだよね。」
若い女性がしんみりとした顔をし、抑揚のない声で言う。
「どうして?」
若い男が首をかしげて、低い声で訊く。
「ネットのある掲示板に書かれていたことなんだけど、強姦された風俗嬢、彼氏と結婚間近だったらしいんだ。あ!でも、ネットのことだから、嘘か本当かは分からないよ。」
若い女性は切ない表情を浮かべた後、無理やり明るい笑顔を見せた。
「ふ〜ん。」
それを聞いた若い男性は、うんうんとうなずく。
ーーーーーーなんて、メチャクチャな奴らだ。そんなことを聞くと、僕がハサミを投げたことなんか全然大したことなように感じる。確かにナイフで人を刺すのは復讐にはやりすぎな行為かもしれないが、人の幸せを潰すのは誰にも出来ない。
僕はなんとなく、娘さんの気持ちが分かる気がした。そして、ーーー
「刺されて、当たり前。」
と、ボソッと呟いた。
「でも、その彼氏さんも、彼女が強姦されてよかったと思ってんじゃねー。」
「え!」
「え!」
僕と若い女性は若い男性の発言を聞いて、同時に驚いた声を上げた。
「ど、どういうこと‥‥‥。」
若い女性が、若い男性の方に視線を向けて質問した。
「だから、本当は彼氏さんも嬉しかったんだと思うぜ。考えてもみろ。風俗嬢が、彼女なんかおかしいだろ。」
「あ!」
その発言を聞いて、若い女性が口をあんぐりとさせる。
ーーーーーー僕は、分からない。
「だろ〜。きっと彼氏さんも、別れ話を切り出せなかったんだよ。きっと今まで色々奢ってもらっていたから、言いにくかったんだよ。要は、彼氏は彼女のことを金づる女としか見ていなかったんだよ。だから、男子大学生に復讐しなかった。彼氏じゃなく、代わりに父親が復讐した。本当の彼氏なら、大切な彼女があんなひどい目に遭ったら普通彼氏がするはずだろ。」
若い男性は自分の推測を、自信たっぷりに話す。
確かに一般理論の見解では、そう判断するのが普通じゃないだろうか。
「‥‥‥‥‥」
でも、風俗嬢がなぜ、今の日本の社会から批判的に見られているの分からない僕は、ただただ考える表情を浮かべた。
「ま、俺たちには関係のない事さ。風俗で働く女は普通の女じゃないし、彼女に風俗で働かせるなんて普通の男じゃないわ。」
そう言って若い男性は、自分の体の方に若い女性を引き寄せた。
「‥‥‥」
若い女性は顔を赤くし、若い男性の肩にもたれた。

五十分ぐらい経過したところで、バスは四条通りを走っていた。いつの間にか僕は眠っており、バスの車内はたくさんの人で溢れていた。
「平日の昼間なのに、京都の繁華街は人が多いな。」
そう呟くと同時に、
『四条河原町に、バスが到着しました。』
59号系のバスが、四条河原町のバス停に到着した。いつの間にか満員になっていた車内も、前から一斉にぞろぞろと降りる。僕も、その人の流れに沿ってバスから降りた。
「‥‥‥‥‥」
平日の京都の繁華街は、どこもかしこも人だらけ。人人人。スマートフォンを片手に持ち、視線を落としながら歩いている人や、耳にイヤホンを付けて歩いている人。ほんの数年前まではインターネットなんか僕は知らない言葉だったのに、今は、情報化社会と言われている世の中だ。今の世の中、情報を活用するにもテレビから、インターネットに変わりつつある社会。この京都の街の光景を見ると、スマートフォンは今の日本の社会の生活の必需品だと言うことが分かる。
「‥‥‥‥‥」
カラオケ店や、パチンコ店。コンビニや、ゲームセンター。百貨店や、洋服屋。四条河原町を人混みに紛れて歩いていると、様々な物が目に映る。それと同時に、人の喋り声が近くから僕の耳に届く。昼間の時間帯のせいもあってか、四条河原町はビジネスを着た営業マンが多く見られた。
ーーーーーー僕は知的障害者だから、将来普通のサラリーマンになるのは無理だろうな。
「は〜。」
口からため息をひとつこぼし、僕はごく普通のサラリーマンを憧れの目で見た。
「ん。」
そのとき、僕の目に張り紙が飛び込んだ。コンビニの壁に、『高校生アルバイト募集!時給850円。』という、人手不足を感じさせる張り紙がしてあった。
「美希さん‥‥‥」
ふと、彼女が学校帰りに仕事をしているということが頭によぎった。高校生のアルバイトは校則では禁止されてないが、彼女がどこで働いているのが無性に気になった。
「ダメだ。ダメだ。」
一瞬、ものすごい勢いで込み上げるストーカー行為を首を左右に振って抑え、美希さんは学校にいるということを頭の中で強引に意識する。そしてその場から、早足で離れた。


正午過ぎ。左手付けてある、安いデジタル式腕時計に視線を落とすと、虹30分を表していた。
「2時30分か‥‥‥‥‥」
四条河原町の人混みの中から抜け出し、僕は木屋町通りの細い路地を歩いていた。怪しい看板が立っており、その横に中年のヒゲを生やした男性が立っている。昼間なのに木屋町通りは人取りは少なく、不気味感と怪しさが一気に漂う。
「ゴクリ。」
僕は、生唾を飲んだ。そして強張った表情を浮かべ、木屋町通りを歩く。
「お兄さん、どうぞ。」
中年のおじさんがにっこりと微笑み、僕に優しく声をかけた。
ーーーーーー声をかけられた。高校生なのに、店に入れるのかな?
僕の心臓が一瞬ドクンと跳ね、目を大きく見開いた。
「安いですよ〜。30分、四千円。どうですか?」
お店の従業員と思われる男性が、誘うように言う。
「‥‥‥」
様子を見て辺りを確認すると、違う店の男性従業員が同じような手口で男性客を呼び込んでいた。その呼び込みに上手く乗せられ、男性客がいかがわしい店に入る姿が見える。