『4月10《水》午後一時五分』
学校内のルール説明を受け、僕は交通手段のプリントにバス通学とチェックした。そしてアルバイトはせず、女性の教頭先生の話を長々と聞かされた。
「帰ろうぜ。」
「いいけど、ゲーセン寄って行かね。まだ、時間あるし。」
「無理、金ない。それに、今日からバイト。」
「マジで、早速バイト!」
「「マジで。バイクの免許取りたいし、遊ぶお金も欲しいから。あと、お金も貯めたいから。悪いな。」
「いいけど、バイトがんばれよ。風俗の。」
「違うわーー!俺、男だし、女でも絶対あの仕事は無理。」
「ははは。」
僕のクラスメイトが、次々に教室から出て行く。この短期間で、たくさんの友だちが出来たらしい。
「僕も、帰るか。明日も学校だし、バイクの免許はてんかんで取れないし‥‥‥‥‥‥。」
そう呟きながら、カバンを右手に持つ。教室から出ようとすると、視界に佐伯美希さんの姿が見えた。教室の窓の外から景色を眺めており、春風が美希さんの黒い髪をなびかせる。
ーーーーーー友だち出来なかったのかな?てか、午前中も、窓の外から景色を眺めていたな‥‥‥‥。
僕は、心の中で彼女のことを不思議に思った。生徒のほとんどの人が教室から出で行く中、彼女は呆然と窓の外から景色を眺めている。
「佐伯さんのような綺麗な人なら、友だちなんて簡単に出来ると思ったのに‥‥‥‥‥。」
「帰らないのですか?」
「え!」
僕のぼそりと呟いた声が聞こえたのか、彼女が歩み寄ってきた。僕は目を丸くし驚き、ぎこちなく一歩二歩と後ろに下がる。
「だから、帰らないのですか?」
彼女はむっと顔を近づけ、僕に質問する。
「はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。」
呼吸が異常に荒くなる。緊張がピークに達し、頭が真っ白になる。変な汗が体中に流れ出し、心臓が波打つ。
「君は‥‥‥‥君は、帰らないのですか?もう、みんな帰ったみたいですよ。」
「帰りたいけど、今から仕事なんです。」
そう言って彼女は、また窓の方に視線を向けた。彼女の横顔は見とれるようにとても綺麗なのに、なぜか、声が沈んでいるように感じた。
「仕事‥‥‥‥‥ですか?」
緊張が支配している為、意識的に敬語で話す。高校生にもなると、アルバイトをするのが普通のことだと思えた。
「途中まで一緒に帰りませんか?私、府立体育館前でバスに乗るんです。桑山さんですよね。前の席なんで名前すぐに覚えましたし、最初すごい殴られていたから印象は強かったです。見てて、辛かったけど‥‥‥‥‥。」
そう言って彼女は、ぎこちない笑みを浮かべる。
「‥‥‥‥うん。」
僕は首を縦に振り、彼女と一緒に学校を出た。外に出ると雲一つない青空が広がっており、新鮮な空気を感じる。昼間の時間帯のせいなのか、京都の街中は人も多い。
「桑山さんは、アルバイトや仕事はしないのですか?」
洛陽総合を出て、府立体育館前のバス停に向かって歩いている途中、彼女がこんな質問をしてきた。
「え、しないです。」
僕は彼女と目線を逸らし、ぎこちなく返事を返した。
「いいなぁ〜。それって仕事もせずに、お金があるっていう意味ですよね。」
「別に、そういうわけでは‥‥‥‥‥‥。」
彼女が目をキラキラと輝かせながら、僕を見る。しかし、僕は困ったように笑う。
ーーーーーーお金はない。ただ、仕事のやり方が分からないだけ。この療育手帳のせいで‥‥‥‥‥。
「でも、しんどくないですか?学校終わってから、仕事もするなんて‥‥‥‥。」
「しんどいけど、お金は大事だから。がんばらないと。」
ーーーーーー何か、目的でもあるのかな?
僕は、心の中でそう思った。


ーーー数十分後ーーー
僕たちは、府立体育館前のバス停に到着した。
「何号系統のバスに乗るんですか?」
僕は緊張した面持ちで、美希さんに質問した。
「えーと、10号系統のバス。それか、26号系統のバス。まだ時間あるし、桑山さんは帰ってもいいですよ。」
彼女はバスの時刻表を見て、僕に言った。
「いや、バスが来るまで一緒に待ってるよ。家に帰っても暇だし、やることないから。」
僕は恥ずかしそうに彼女に言い、ポッと赤くなった自分の頬をぽりぽりと指先でかく。
「暇なら、バイトでもしたらいいじゃないですか?やっぱり、桑山さんはお金持ちじゃないですか?」
彼女に半眼で見つめられ、心臓がドキドキする。まるで心臓が、自分の耳元にあるようだ。
「美希さん、違うってば。ははは。」
僕は、乾いた笑い声を上げる。
「それより、美希さん。出席簿のとき、どうして返事遅れた‥‥‥」
「あ!バスが来た。」
僕の声を遮るように、美希が大きな声を上げた。
『10号系統のバスがご到着しました。ご乗車の方は、後ろのドアからお入りください。』
前のドアが開き、老人や若者の降りる姿が見える。
「じゃあね、桑山さん。ありがとう。」
そう言って美希は、後ろのドアからバスに乗り込んだ。
「‥‥‥‥‥‥‥」
僕は呆然としたまま、発車するバスに右手を上げて小さく振った。
「‥‥‥帰るか。」
そう言って僕は、家路へと向かった。



『4月10《水》午後3時12分。』
「ただいま。」
玄関のドアを開けて、室内に入る。まだ誰も帰っておらず、家の中はシーンとしていた。
「美希さん、なんの仕事してるのかな‥‥‥‥?」
柔らかい白いソファーの上にカバンを放り投げ、床に寝転ぶ。そして、頭の中で美希さんのことを考える。天井に取り付けられている、LEDのシーリングファンライト。その眩い光が、僕の顔を激しく照らす。
「‥‥‥寝よ。」
僕は電気を消し、自分の部屋に寝に行った。