『第1章・ひとめぼれ』
『4月10日《水》午前6時10分』
東の空が明るくなり、眩い陽射しが僕の部屋に明かりをもたらす。
苦痛な日々。変わらない毎日。退屈な日常。
今年の三月に通っていた双ヶ丘中学校を卒業し、四月から高校生になった。別に、なりたくてなったわけではない。無理やりなった感じだ。高校ぐらい卒業しないと、仕事がないと親が言ったから。京都で一番最低クラスの高校に入学した。しかも、専願で。
ーーーーーー京都私立洛陽総合高校ーーーー
僕は、逆に思う。こんな頭の悪い学校を卒業しても、就職なんて無理。どこの企業も、僕みたいな奴を雇うわけがない。
中学生の頃も、そうだ。僕はひどいいじめを受けていて、学校なんか行きたくなかった。でも、『義務教育』だから、学校に行きなさいと、両親が言ったから無理に通っていた感じだ。中学校の時はいじめが原因で自殺も試したが、結局怖くて死ねなかった。今まで生きてきて友だちと呼べる人は誰もいなし、僕を友だちと呼ぶ人もいない。彼女なんか、もってのほかだ。中学生の頃に金に耳にピアスを開けた、ものすごい不良に靴を奪われ、ゴミのように女子トイレに投げ入れられた。その靴を無理やり取りに行かされたら、ギャルメイクをしたものすごい不良の女子生徒に罵声を浴びせられた。驚くことに僕をいじめたのをきっかけに、二人は付き合うことになったのだ。
僕は、思う。彼女という言葉は最初に言った人は、モテナイ男性の嫌がらせの言葉でしかない。現に、僕の嫌いな言葉ワースト一位を獲得しているし、街中のカップルを見ると自然と殺意が込み上がる。
小学生の頃に人より知能指数が低い桑山君は、これからみんなの授業についていくのは難しくなってくるから、支援学校を勧められた。しかし、僕は断った。理由は、一つ。双子の兄に迷惑がかかると思ったからだ。弟が支援学校に通っていることがバレたら、双子の兄までいじめられると思ったからだ。だから僕は支援学校を断り、義務教育の双ヶ丘中学校を卒業した。でも、支援学校に行くのは断ったが、療育手帳だけは取得することを病院の担当の先生や、周囲の人たちが勧めていた。
ーーーーーー将来、桑山君の役に立つ物だから。恥ずかしい物ではないよ。とか言って。
だから僕は、母と一緒に療育手帳を病院まで取りに行った。白衣を着た先生が、何度も何度も僕に簡単な質問をする。それと、誰でも出来る、簡単な積み木のパズルを僕に完成させる指示を出した。同じ検査を繰り返し受け、僕の基準値を決めていた。そしてようやく、療育手帳を取得出来た。療育手帳の中身は、自分のさえない顔写真が一枚貼ってあった。メガネをかけており、産まれてから一度も染めたことがない黒髪ショートヘア。
特徴はなく、どこにでもいそうな男性。その次のページには、Bと英字で大きく表記されていた。このことは家族以外誰にも言わず、双ヶ丘中学校を卒業した。