【完】『そろばん隊士』幕末編


土方は理心流の太い木刀に正眼の構えである。

が。

岸島の構えを見て、土方は動かなくなった。

(これは)

どうやら居合でも腕は立つほうと見たのであろう。

土方が間を詰める。

岸島が下がった。

切っ先を動かして誘う。

まだ岸島は抜かない。

しばらく、過ぎた。

土方が切っ先を降り下ろすと同時か早いか、岸島は膝をついて一閃、ブンという鈍い音を立てて抜き放った。

「それまで!」

近藤の声がかかる。

「ただいまの勝負、岸島くんの勝ち」

わずかに。

岸島の胴が早かったらしい。




その後。

岸島は勘定方のまま、留め置かれることとなった。

これは、

「あれだけの腕なら、むしろ後詰めに回したほうが、何かと融通が利く」

という土方の意見がそのまま通ったかたちとなった。

いっぽうで。

「勘定方として優秀な岸島くんを戦列に加えると、代えがきかないから困る」

という意見もあった。




斯くして。

勘定方に留め置かれることが決まって数日後、

「岸島くんはいるか」

急に声がかかったので行くと、原田がすでに鎖帷子を着込んで戦支度をしている。

「岸島くん、油小路に行くぞ」

岸島は意味がわからなかった。

しかし。

何か取り急ぐべき案件が出来したことだけは察せられたようで、徳田が持ってきた鉢金をつけ、鎖帷子をまとうと、

「羽織を」

と袖印のついた黒羽織を手早く羽織って外へ出た。




油小路七条の辻に駆けつけると、辻の真ん中に仰向けに何やらある。

月が照った。

明らかに遺体である。

「あれが伊東甲子太郎の、成れの果てよ」

原田が顎で指し示した。

「亡骸を弔うのか」

岸島は訊いた。

「違う」

原田はニヤリと笑い、

「まぁ見ておけ」

隠れろ、と言われるがまま天水桶の陰に身を潜めた。

しばらくして。

ばたばたと足音がした。

「…あったぞ!」

聞こえたのは加納道之助の声である。

「伊東先生、なんということに…」

藤堂平助である。

「あれは…あのときの」

まぎれもなく、面接のときのあの武士ではないか。




加納の指図で、

「戸板を」

と運ばれてきて伊東の亡骸を乗せ、去ろうとしたときである。

「藤堂くん」

「…斎藤さん」

たたずんでいたのは斎藤一である。

「悪いが、君たちはもう帰れない」

これが合図であったらしく、

「藤堂くん、覚悟!」

永倉新八が斬りかかった。

「永倉さん…そういうことでしたか」

原田が天水桶の陰から馳せ出ると、加納を槍で突く仕種をした。

「加納、お前だけは許さん」

原田は何か加納に遺恨があったらしいが、今となってはわからない。

たちまち斬り合いが始まった。

岸島はまだ天水桶の陰にいる。

が。

柄に手をかけ、抜く瞬間を狙っていた。

その間にも。

壮絶な斬り合いで、火花と音で辺りは騒然としていた。




永倉と藤堂は鍔競り合いになっていたが、

「永倉!」

原田の声で一瞬離れた。

藤堂は翻った。

その時。

「…!」

藤堂を一刀で斬ったのは、三浦常三郎であった。

「岸島さん、やりました!」

声がする。

視線を切った。

その一瞬、岸島の左腕に痛みが走った。

わずかな隙をついて、毛内有之助の切っ先がひらめいたのである。

次の刹那。

岸島の刀は地を摺るように下から毛内を斬り上げた。

「…さすが居合の岸島というだけはある」

しかし。

人斬り鍬次郎こと大石鍬次郎が毛内に斬りかかり、激しい打ち合いとなった。

岸島は再び刀をおさめ、息を整えた。




声が飛んだ。

「加納が逃げたぞ!」

確かにすでに加納の姿がない。

原田の槍を受けたはずなので、遠くへは行っていないはずであるが、

「逃げよったな!」

猛者で知られた横倉甚五郎の猛々しい声がする。

「岸島さん、頼む!」

声がした。

そこには二刀流の服部武雄を前に、数人がかりで取り囲んでいる。

が。

手を出せずにいる。

「…服部どの、武士ならば潔く腹を召されよ」

岸島は言った。

「岸島くん、君と一度手合わせをしたかったのだ」

言われたら仕方がない。

二刀流の構えの服部に居合の岸島という間合いになった。

睨み合った。

服部の左が動いた瞬間を岸島は逃さず振り抜いた。

左の手首から先が斬られて飛んだ。




服部の左手は脇差を握ったまま、天水桶に当たって落ちた。

「さすがは一刀流の居合」

服部には右手がある。

が。

岸島は抜いたら普通に戦わねばならない。

居合は抜いたあと、撃剣として戦わなければならないのだが、これはあまり得手ではない。

服部の振りの早さは尋常ではない。

岸島は体が崩れた。

もはやこれまでかと思われたとき、

「…っ!」

身代わりのように立ち塞がって服部の刀を受けたのは徳田であった。

「岸島さん、早く!」

二人がかりになった。

間を詰めながら横に動いた。

爪先に、猫がいる。

服部が猫に視線を切った瞬間、

「…!」

原田の槍が服部の腹を突いた。

そこへ徳田が斬りかかった。

が、徳田は跳ね返され袈裟懸けに斬られ倒れた。

間があった隙に岸島は刀をおさめ、再び居合の構えに戻っている。

「岸島くん、次は君だ」

これが服部の最期の言葉となった。

言うが早いか、岸島の刀は素早く服部の首をはねていたからである。




徳田に岸島は駆け寄ったが、ほぼ即死であったらしく、すでに息はない。

「…徳田くんは実に勇敢であった」

原田は徳田に合掌をした。

岸島は服部の羽織の袖をちぎると、首を包んで小柄を添えた。

これは敵の首を討ち取った際、羽織か小袖の袖で首を包み、身に付けていた物を添えて物証とする、昔ながらの戦の作法であった。

「岸島くんは、作法をわきまえているなぁ」

後ろにいた永倉が見ていたようである。

「ひとまず引き揚げるぞ」

徳田をはじめ、数人斬られた隊士を戸板に移し、引き揚げが始まった。

「敵の亡骸はいかがいたしましょう」

岸島は訊いた。

「そのまま打ち捨てよ」

またいずれ誰か来る、そのときまた討ち取れば良い、というようなことらしかったが、

「首も置いて行け」

という指示なので、亡骸の脇に添えるように置いて合掌し、油小路を立ち去った。



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