「早速で悪いが岸島くん、この帳面の算勘を頼む」
「はっ」
岸島に手渡されたのは請け払い帳である。
が。
中身を見ると。
「三番隊、隊士四名共々島原にて慰労を致す」
などとあり、どうやら隊長が隊士を遊郭へ息抜きにつれてやらねばならなかったらしい。
「河合どの」
まるで蔵屋敷のときと変わらぬ様子で、岸島は河合を呼ばわった。
「いかがした、岸島くん」
「この三番隊の請け払いでありますが、いささか額が高く見受けられるように思いますが」
と岸島が指をさしたのは、三番隊の平隊士たちが島原遊廓へ登楼したときの金額である。
通常平隊士ならば月の手当てが十両つく。
「しかしながら」
とさされたそれは、四人で四両二分、つまり一人あたま一両二朱となり、日当と手当てを差し引くと、一人あたり二分は多い計算になる。
岸島はそれを指摘したのである。
が。
河合は苦笑いをしながら、
「日頃の隊務では命懸けで京の民のために働いておるゆえ、たまにはと羽目でも外したのであろう」
「しかしながら、二分は高うございます」
一人二分、すなわち四人で二両の無駄を削れば、それで新式の武器を買う足しになるはずであろう。
ちなみにこの時期は一両が四分、一分が四朱、一朱が二百五十文で、四千文が一両となる。
親子五人が楽に暮らせる額が一両二分であったことから考えると、決して安い額ではない。
とかく武家というものは、と岸島は、
「民が汗水流して納めた年貢を、さもさも当たり前がごとき調子にて湯水のごとく金子を使ってしまう」
これで民の心が分かると言われても、何の得心にもならない…というのである。
言われてみれば。
およそその通りであろう。
播州の商家から出てきた河合はふと、父親が同じような愚痴をこぼしていたことが頭によぎったのか、
「なるほど副長に申し上げてみる」
といい、席を立った。
河合から言上を聞いた土方は、
「確かにそこは岸島くんの申し分には一理ある」
と言った。
土方も江戸の試衛館で近藤勇に師事する前は日本橋の商家に奉公しており、散薬の行商もしていた時期があったからか、金を稼ぐことがどれほどの労苦かを悉知していた。
それだけに、
「われらは京の水に馴染んで、武家であろうとすることに無用に囚われていたのやも知れぬな」
と、その場で人を遣って、件の平隊士たちに二分の返還を命じた。
このようにして。
岸島が河合と見直した請け払いの金額は二十両あまりとなり、これが近藤の耳に入ると、
「われらも新式の銃を買わねばなるまい」
という話となった。
そこで近藤が声をかけたのが、旧知の山本覚馬という会津侯の家中の砲術師範であった。
少し余談となる。
山本と近藤の邂逅は江戸にまだ佐久間象山の塾があった時期で、近藤家のかかりつけの医師であった手塚良仙と佐久間象山が、公儀奥医師の伊東玄朴を通じた知り合いであったところに端を発している。
のちに手塚は幕府で近代化で洋式陸軍を組織した際に軍医となり、将軍の上洛に伴って従軍した折、
「お前の消渇(淋病のこと)を塗り薬で治したのは俺だぜ」
と満座の前で言い放ち、土方に渋面を作らせたこともあった。
その手塚と緒方塾で同窓であった古川春英という医師が佐久間塾出身の山本と親交があり、いわば手塚の縁で新撰組と山本覚馬は他の会津藩士にないつながりを築いていたのである。
話を戻す。
土方は岸島を連れ、上立売の守護屋敷の長屋にいた山本覚馬を訪ねた。
一通り土方から話を聞いた山本であったが、
「新式銃は金がかかりますぞ」
と、佐久間塾仕込みの俊才でもある山本は答えた。
「岸島くん、例の帳面を」
「はっ」
岸島が携えていたのは例の請け払い帳の見直しで出た余剰金の帳面である。
ちなみに。
この時期、山本はすでに白そこひ(白内障)を患い始めており、口入屋の大垣屋清八から遣わされた時栄という女中が、目の代わりをつとめている。
「では読み上げます」
若々しい時栄の声で金額が読み上げられてゆくと、
「…思ったよりあるな」
山本は呟いた。
しかし、と山本は続けて、
「今少し足りない。何挺揃えられるおつもりか」
と訊き、
「取り敢えず新式銃はいくつか種類がある。まずそこを決めてからでも良かろう」
という話となった。
屯所へ戻ると、
「おーい、そこのそろばん侍」
とからかうように声をかけてきたのは、原田左之助という八番隊の組長である。
「これは原田どの」
と岸島は、頭を下げてやり過ごそうとした。
が。
行く手を遮った。
「あのな岸島くん、実は少しばかり…金子を用立ててもらいたいのだ」
小声で原田は、どうも金策に来たらしい。
「それがしは新参、その用向きは河合どのか副長どのに申し上げられるがよかろうかと存ずる」
岸島は答えた。
確かに勘定方とはいえ、新参の平隊士に頼むよりは、勘定方頭取の河合か、副長の土方に頼むほうが借りやすいはずであろう。
「しかしだな…頼みづらいのだ」
なんとかならぬか、と原田は拝んだ。
「…して、金子の用向きは?」
岸島は渋い顔をした。
「実はおまさに新しい着物を買ってやると約束をしてしまったのでな」
おまさとは原田の妻で、娘のおしげともども屯所へ時折やってくるので、岸島も一度だけだが見かけたことはある。
そういうことなのだ、と原田は岸島を拝み倒すように頼み込んだ。
「なれど、法度には金策を勝手にいたすまじきこと、とあります」
これは局中法度のことで、前にはあちこちで借財を作ったことで切腹になった隊士もある。
と。
「原田さん、また新参いびりですか」
明らかに沖田総司の声である。
「いや、おまさの着物の金を借りに来ただけだ」
「それじゃあ僕が貸しますよ」
と沖田がいきなり懐から一分銀を出し、
「これなら文句はないでしょう、まして貸したのは僕ですし」
それを言われると原田は退かざるを得ない。
「…あとから必ず返す」
そういうと原田は門を出た。