【完】『そろばん隊士』幕末編


話を戻す。

土方は岸島を連れ、上立売の守護屋敷の長屋にいた山本覚馬を訪ねた。

一通り土方から話を聞いた山本であったが、

「新式銃は金がかかりますぞ」

と、佐久間塾仕込みの俊才でもある山本は答えた。

「岸島くん、例の帳面を」

「はっ」

岸島が携えていたのは例の請け払い帳の見直しで出た余剰金の帳面である。

ちなみに。

この時期、山本はすでに白そこひ(白内障)を患い始めており、口入屋の大垣屋清八から遣わされた時栄という女中が、目の代わりをつとめている。

「では読み上げます」

若々しい時栄の声で金額が読み上げられてゆくと、

「…思ったよりあるな」

山本は呟いた。

しかし、と山本は続けて、

「今少し足りない。何挺揃えられるおつもりか」

と訊き、

「取り敢えず新式銃はいくつか種類がある。まずそこを決めてからでも良かろう」

という話となった。




屯所へ戻ると、

「おーい、そこのそろばん侍」

とからかうように声をかけてきたのは、原田左之助という八番隊の組長である。

「これは原田どの」

と岸島は、頭を下げてやり過ごそうとした。

が。

行く手を遮った。

「あのな岸島くん、実は少しばかり…金子を用立ててもらいたいのだ」

小声で原田は、どうも金策に来たらしい。

「それがしは新参、その用向きは河合どのか副長どのに申し上げられるがよかろうかと存ずる」

岸島は答えた。

確かに勘定方とはいえ、新参の平隊士に頼むよりは、勘定方頭取の河合か、副長の土方に頼むほうが借りやすいはずであろう。

「しかしだな…頼みづらいのだ」

なんとかならぬか、と原田は拝んだ。

「…して、金子の用向きは?」

岸島は渋い顔をした。

「実はおまさに新しい着物を買ってやると約束をしてしまったのでな」

おまさとは原田の妻で、娘のおしげともども屯所へ時折やってくるので、岸島も一度だけだが見かけたことはある。





そういうことなのだ、と原田は岸島を拝み倒すように頼み込んだ。

「なれど、法度には金策を勝手にいたすまじきこと、とあります」

これは局中法度のことで、前にはあちこちで借財を作ったことで切腹になった隊士もある。

と。

「原田さん、また新参いびりですか」

明らかに沖田総司の声である。

「いや、おまさの着物の金を借りに来ただけだ」

「それじゃあ僕が貸しますよ」

と沖田がいきなり懐から一分銀を出し、

「これなら文句はないでしょう、まして貸したのは僕ですし」

それを言われると原田は退かざるを得ない。

「…あとから必ず返す」

そういうと原田は門を出た。




「かたじけのうございます」

深々と丁寧に、岸島はお辞儀をした。

「君が岸島くんか」

そろばんの腕を見込まれ、土方の一声で入隊が決まった話は聞いていたようで、

「うちの勘定方は酒井さんがあんまり丈夫ではないから、酒井さんが仮に除隊になったときのことを考えて入れたんだと思うけど」

見回りもあるだろうから、体には気をつけるように…と諭すと沖田は道場の方へ去った。




しばらくして。

勘定方の詰所へ岸島が来ると、酒井兵庫の姿がない。

「河合どの、酒井どのは…」

「酒井さんなら、病で除隊となられた」

沖田の言う通りであったらしい。

「われわれ勘定方はいつも人が足りないのに、ついに二人になってしまった」

河合は人手を足してもらいたいらしいが、何しろ武家はそろばんや金子を不浄と思う向きが強い。

「そういう面で酒井さんは貴重な方であったが、病とあってはなぁ」

こればかりは河合にもどうしようもないことであったらしい。




年が改まった。

この年の春、屯所の移転があって、それまでの壬生村から西本願寺の境内の一画へと引っ越したのであるが、これが騒動であった。

何しろ平隊士だけで二百人近くある。

そこへ小荷駄隊、あらたに山本覚馬の提言で編成された大砲隊などの荷物もあり、

「殺生禁断の境内に武具を持ち込むのはどうか」

と意見した僧があった。

すると隊内もっとも文武に秀でていた藤堂平助が、

「まぁ本願寺も織田信長と戦っていたときには境内は武器まみれでしたからねぇ、いろいろあるのでしょう」

とやり返し、それ以降は苦情らしい苦情は出づらくなった。




そうしたなか。

岸島芳太郎は組替で八番隊の組長となった谷三十郎の配下となり、平隊士から伍長に昇進し、給金も二十両に増えた。

伍長になると部下が五人つく。

そこで目端のききそうな芦名鼎という平隊士に、そろばんを教え始めた。

この芦名鼎、隊士としては剣が強い方ではなく、

「そのままでは見回りで斬られるのが関の山だ」

という岸島の配慮で、そろばんを身につけさせることにしたらしい。

ともに一刀流居合の同じ流儀で、生国も岸島が丹後宮津で芦名が但馬出石と近かったのも手伝って、すぐに打ち解ける間柄となった。




いっぽうで。

八番隊に組み入れられたことで、市中見回りの役目もせねばならない。

かつて恐れられた段だら縞の浅黄羽織は、この時期になると隊士でも着ている者がほとんどなかった。

「だいたいあの羽織、大丸で仕立ててもらうのにどれほど入り用か知っておる隊士も少なかろう」

岸島はあれが一枚だいたい一両弱かかることを知っている。

しかも大丸といえば老舗で物がよい。

値もそれなりに張る。

そのため、

「袖印をつけてあれば黒羽織でもよかろう」

というのが、この頃の組の風潮ですらあった。

質素な木綿の羽織であった岸島にくらべ、芦名は出が出石の商家であったからか金回りは悪くなかったらしく、友禅の裏地がついた、芦名家の三つ引き両の紋が打たれた御召の羽織を使っていた。




他方で芦名のそろばんはというと、出が商家だけに飲み込みは早く、

「これなら酒井さんの穴が埋められそうだ」

と河合耆三郎も、岸島が連れてきた部下の能力に安堵した様子であった。

少しずつ勘定方の仕事を芦名に任せ始めた頃、八番隊に見回りの当番が来た。

組長の谷は、

「岸島伍長の隊と、赤座伍長の隊とで十二人でゆけ」

と命じた。

見回りは基本的に伍長二人、隊士十人が一組で、二組がそれぞれ分かれて見回る。

場合によってはここに副長助勤が加わるが、この日は加わっていなかった。

共に回る赤座伍長は水戸の出で、無念流の使い手だがやや粗暴の気があって、池田屋の頃からいるにもかかわらず伍長どまりという人物である。

赤座にすれば、新参でしかも勘定方でもある岸島と回るのが気に入らないらしく、

「俺は部下と別を見るから、岸島伍長は向こうへ回ってくれ」

などと突き放すような言動をあらわにする始末であった。