もう二度と会う予定の無かったアンとの再会は思いの外早く訪れた。
夏休みに入って丁度一週間が経ち、7月も残りわずかになった頃。買い貯めてた本も読み終わってしまい、他にこれといって趣味のない俺は新しい本を物色しに行くために駅へと向かった。
外は唸るような暑さで、もうすっかり夏本番と言わんばかりに蝉時雨がコンクリートを叩く。ゆっくりと歩いてるにも拘らず汗ばんできた肌。たまらず自販機の前で足を止めた。
財布から取り出した千円札を入れる。ランプが点滅したことを確認して、ミネラルウォーターのボタンを押そうとした瞬間にランプが消えた。
後ろからにょきっと伸びてきた白い指が、他のボタンを押したのだ。
一瞬、呆気にとられるもすぐにそれが誰だかわかってしまった。黒いネイルにゴツいリング。そんな物騒な手をしてる人間はそうそう多くない。少なくとも俺の知ってる限りでは1人だけだ。
「ごち。」
……せめてごちそうさまと言え。
にしし、と笑うアンを振り返り、冷めた視線を投げる。けど、アンはその視線を華麗にスルーすると腰を屈め、出てきた飲み物を取り出した。
細い指がプルタブに引っかかる。プシュッ――といい音がして、中から半透明な液体が溢れ出てきた。アンは「おっと、」なんて言いながら唇を寄せる。おちょぼ口になってるその表情があまりにも間抜けで文句を言う気も失せた。
「あー! 最ッ高!」
……最高で何より。溜息を吐いて、もう一度自販機に向き直った俺は今度こそミネラルウォーターを買おうと手を伸ばし、今度もアンの手に阻まれた。
すぐに聞こえるガコンッ――という落下音に、眉を顰めずにはいられない。
「なんのつもり。」
二度も邪魔されて刺々しくなる声。自分でも不機嫌になってるのがわかる。それが自分の悪い癖だということもわかってる。
淡白な顔立ちらしい俺は無表情さと相俟ってあまり近寄りやすい雰囲気を持ち合わせてない。そこに冷たい口調まで加わると人としての仕上がりは最悪だ。
中学の時も三年に上がる頃には同級生の一部から気取ってるだとか性格が悪いだとかって言われてたのを知ってる。
別に人に好かれたいわけじゃない。嫌われることを怖いとも思わない。ただ煩わしかった。ありもしない噂話を立てられたり、意味のわからない因縁をつけられたりするのにうんざりしてた。
だから、高校では同じ轍を踏まないようにって、他人に反感を買わないように徹して。
余所行きの笑顔を貼り付け、心にもない言葉を吐き出す。それが最善だと思った。そうしないといけないとさえ思ってた。
「だって、わざわざ金払って水買うなんてバカげてんじゃん。同じ払うならおいしーもん買った方が得だって。」
けど、アンは俺がどんなに素っ気ない態度を取ろうが気にするそぶりすらなく、惜しみない笑顔を向けてくる。
「金も払わずに自分の飲み物買う人にバカとか言われたくない。」
「ケチケチすんなよ。弁当のお礼だと思えば安いもんじゃん。」
「弁当って……。無理やり押し付けといてよく言うよ。」
「でもうまかったっしょ? それにデート代は男が払うって昔から決まってんだよ。」
これがデート? 冗談も休み休み言え。
明からさまに不服そうな顔をする俺。けどアンは怯まない。それどころか俺が顔色を変えるのを面白がっている様子すらあった。
「まあ、しのごの言わずに飲んでみ? うまいから。」
ニィっと笑って差し出されるサイダー。
小さな水滴を無数に纏った水玉模様の缶は太陽の光に照らされてキラキラと光っていた。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ胸が高鳴る。でもそれを悟られるのは癪だから渋々って感じで受け取った。
キンキンに冷えたサイダーが喉を滑り落ちてく。久しぶりに感じた炭酸の刺激は思いの外強くて、少し噎せてしまった。そんな俺を見てアンはゲラゲラ笑いながら、「もしかして炭酸ダメ系?」なんて大分バカにしたように言う。
「つーかソウっていくつなの? こーこー生?」
笑い終えたらしいアンは自販機に背を預け、グビグビとサイダーを飲みながら、ちらり俺を見上げる。
「……俺は高校生だけど、ソウって誰?」
「え? 染谷クンだからそーくんでソウじゃん。」
「あんたの思考回路意味不明。」
「あんたじゃなくて、アンな。」
気なるのそこなんだ。
「こーこー生ってことは、アレだ、夏休みだ?」
「そうだね。」
日差しが肌に痛い。
日陰に移動しようと思ったけど、近くにある日陰は既にアンに占領されてる。そこに侵攻しようとは思わなかった。2人で入るには狭すぎるから。
「ソウは夏休みもぼっちなのかぁ?」
「うるさいよ。」
「マジで友達いないの?」
日陰にすっぽりはまってるアンの顔には影が落ちて、その彩度を下げる。
「悪い?」
「ひゃー寂しー。」
それでも陽に照らされてる俺よりもずっとアンは明るく輝いていた。
コロコロ変わる表情の所為だろうか? ……きっとそれもある。けど、それだけじゃない。そういうのだけじゃなくて内面の明るさが滲み出てるからのように感じた。
「じゃあさ、おねーさんと遊ぼっか。」
「は?」
「あたしも休みなんだよ、今日。だから、遊びに行こーよ。そだなぁ、カラオケとかボーリングとか。ど?」
「断る。」
「なんで⁈ どーせ暇でしょ?」
ずいっと迫るように顔を近づけられて、用意してた断り文句が飛んだ。
視界の中をアンの顔が埋め尽くす。近すぎるその距離がアンの香りを俺に届ける。良い香りがした。香水とかじゃない、女の子特有の甘い香り。それがアンのものだって理解した途端、柄にもなく少し動揺した。
何も言えずに固まる俺の視界の中、
「サイダーのお礼させてよ。」
小首を傾げたアンが勝気に笑う。