「…光秀、何が不満なのだ?」

「…いや、だからですね。」

草木も眠る丑三つ時…尾張を治める最近名の知れてきあ大名織田家当主織田 信長。そして、信長を支える冷静沈着見目麗しい若き寵臣 明智光秀。彼らが何故言い合いとなっているかと言えば…。

「…ですから信長様、今宵の夜伽は幾人かの侍女をご用意して差し上げておりました筈ですが?」

普段織田軍の才高き軍師と言われる光秀も、こうなった信長の対処にはいつも頭を悩ませる。
目の前には、目付きは悪いが端正な男性が色っぽく自分を組み敷いて体を求めて来る。決して嫌では無い。というか、うん、まあ、好きですね。知り合って5年も経つし、一番信頼もされてますし。

ですがね、私、明智光秀なんで。百歩譲って森乱丸とかだったら、喜んで寵愛を受けますがね。

「…ならぬ。侍女など俺の体目当て、小姓もつまらぬ者ばかり。俺が心から供に居たいのは、お前だけだ…お光よ。」

そう色っぽく囁かれる。前の世界では歴史が恋人だった私すら陥落させる信長の魅力か。女だと知られる前から結構色目を使われていた物だが、知られた途端これだ。

うん、だが、私は元の世界に戻る為あの文献を実行せねば!
『覇王の天下統一を達せよ』
つまり、織田信長の天下統一を手伝えという事だ。明智光秀の私が彼を裏切らなければ済む事。時間軸の狂ったこの世界でも、信長の力は強大な筈。

考え込む光秀の頬に口付ける信長に「な!」と声を上げつつ、必死の抵抗をする。考えろ私、織田信長から貞操を守る方法を。…あ、信長って奥方が居なかったか?濃姫とか…思い出せ……………あ!

「信長様。」

「…?」

ふと、普段の冷静な声音へと戻し、何とか信長を押し退けて座らせると目の前に腰を下ろす。不満そうな相手に内心気まずく思うも、一つ咳払いで場を正す。

「次の尾張を強化する策を思い付きました。」

「全く…何故今なのだ。」

不機嫌に眉を寄せる表情は、織田家の者なら恐怖で逃げ出すだろう。うう…このままでは話しにならないな。仕方ない機嫌をとるか。
光秀は信長の手を取りそっと頬づりをする。この時、上目遣いでなくてはならない。

「…信長、国を強くしたいんですよ。貴方と一緒に。」

「…っ光、本当に愛い奴。」

そのままぎゅーっと力強く抱き締められる。ふう、何とか機嫌を損ねずに済んだが…これで次の作戦が言えるな。

次の作戦、斉藤道三との和睦交渉を。歴史通りなら娘の濃姫が信長に嫁いで来る筈。…この世界、時間軸が狂ってるから少々心配だけどね。


「…新人指導ですか?」

「うむ。明智殿にお願いしたいのだが。」

織田家に以前より仕える少々強面の臣下、柴田勝家に頼まれ少し考えるも直ぐに了承した。どちらかと言えば策を練る文を担当する光秀に、軍を指揮し鍛える武を担当する柴田に今回頼まれたのは、柴田が体調を崩してしまった事らしい。

どうしてそうなったのかは、よくよく聞いてみれば信長が最近拾ってきている新しい若武者達のせいらしい。信長は町の視察がてらよく人材を集めてくる。しかし、その後の育成はほとんどしないらしい。
そういえば近臣達も洩らしていたな。

何とか柴田が鍛えているらしいが、纏まりも無く元気が有り余りやる気だけはある様で、柴田が手を焼いて精神にきてしまった様だ。あの柴田殿が体調を崩してしまった程の者達か…正直恐ろしい。
いやいや、他の家臣達は斉藤道三との和睦交渉を進める最中、信長に美濃に行くなと止められている中、多少の苦労ぐらいしなければ。

さてと…。
光秀が外用の草履を履こうとした時、何か違和感に気付いた。うん?何か暖かい気がするんだが。

「…温いな。」

ぽそりと呟いたそれを聞き取ったのか、何処からか粗末な着物の少年が駆け寄って来た。

「…あ、あのすみません!お寒いかと思い、勝手に僕の懐で暖めてしまいました…。」

手をついて謝る少年に驚きつつも、確かに胸元が汚れている事に気付き「そうか、気にするな。面を上げよ」と声を掛け、上げられた顔に目が釘付けとなる。

うっわ、すっごい美少年。なんだこれ、え?人間?
顔に出さず感動しつつ、まるで少女の様な美少年を観察し、滅多に浮かべない微笑みを向けておく。

「…中々の働き者だ。そなた名は?」

「……………あ、木下…藤吉郎と。」

震える声には、感嘆が込められる。木下と名乗った少年も、光秀に見とれていた。というか、光秀の草履だから暖めていたのである。
明智 光秀といえば、むさ苦しく恐ろしい織田軍の一輪の花。中性的な美貌と凛とした佇まいはお殿様の寵愛を一身に受けている。

(うわあ、きれい過ぎて見とれてた。名乗り遅れて怒らないかな?)

「…そうか、木下。覚えておこう。」

木下の思いなど杞憂で、光秀は美しく一つに縛った髪を揺らし去っていく。更に木下藤吉郎の憧れは強まるのであった。

…木下 藤吉郎って、豊臣秀吉じゃないか?!ええ~あの美少年が?全然猿じゃないな。いや、それより信長と会わせないと。

そんな事を思いつつ歩いていく内に、若武者達の鍛練場に着いた。とりあえず声は掛けずにまずは観察をする。確かに意欲は有る様で、遊んでは居ないが…「おらあ!」「どるあ!」「…ああん?!てめえ、ぶつかっただろ!ぶっ殺すぞ!」「…はあ!?てめえだろーが!」

ああ、何か何処かの不良漫画みたいな光景だなあ。確かにこれは大変そうだ。
うん?一人すっごく派手な格好の子がいるな。うーんと、何だっけ?確か、歌舞伎者とか言う。そういえば居たなそんな人物…前田慶、次とか。

「…てっめえ!俺の刀がぶっ壊れたじゃねーか!」
「知らねえよ!お前が振り回してたからだろ!」

未だケンカを続けている派手な前田?が持つ刀は半分から刀身が折れている。戦場に出ない若武者の武器や防具はあまりよろしく無いのだろう。手柄を立てないとだからなあ、その辺はシビアだ。

「…そこの者。」

凛とした声に、騒がしかったその場が静まり視線が集まる。
「おお!」「…わ、明智様だ」「格好良い」「…本物だ」

声を掛けられた前田?は、慌てて転がる様に光秀の前に膝をつく。
ふーん。派手な身なりだが、良い瞳をしてる。背丈もあるし。

「刀が折れているなら、戦場にでられないな。」

「…っは。真に口惜しい限りで!」

うーん、良い声だ。活躍しそうな人物に見えるな。光秀は深く考えず、自らの腰の刀をそのまま相手の前に放る。

「使え。長らく使っているが、直ぐには壊れん。」

相手は一瞬ポカンと呆けるが、直ぐに破顔したかと思えば顔を引き締め地面に額をつけ声を上げる。

「このご恩!決して忘れませぬ!この前田 犬千代、織田家の為、そして明智様の為にこの身を捧げまする!」

「…(え、前田犬千代…利家なの?)よい、そなたが戦場で活躍する事で織田家の為となろう。」

少々疲労した為、指導は今日はやめておく事にするか。柴田殿には悪いけれど。内心の思いなど知られまいと、周囲の若武者達に視線を巡らせ
、魅了する微笑を送った。

「…そなた等、精進致せ。期待しておるぞ。」

にっこりと笑い誤魔化し、無駄に美しく去っていく。
織田軍の若き精鋭達が育つのには、時間はかからないだろう。後に体調の回復した柴田が、妙に真剣な彼らに首を捻ったらしい。

美濃の蝮こと、斉藤 道三との会談を三日後に備えつつある最中であった。信長と話しを煮詰める光秀の元に、急使が飛び込んで来た。

「…殿、失礼を致しまする!急な知らせで今川軍が動き出したとの事!」

「…何だと?」「?!」

この時期に今川が尾張を攻めるだと?元々がずれていたが、やはりこういった所まで表れたか。急使の話しでは、美濃との会談の為油断する織田けを潰そうと動き出したのかもしれない、らしい。
僅かに眉を寄せただけの信長だが、直ぐに良い笑みを浮かべる。心底楽しんでいる笑顔なのだが、急使は悲鳴を上げて怯えている。

「…クックック。今川と戦を始める良い好機か。おい、家臣達を集めよ。」

「…っは!」

信長の命に素早く動いた急使が駆けていき、光秀と視線が合わさった。

「さて、光よ。既に案は定まった頃か?」

黙り込んでいた光秀はやっと顔を上げる。軍師的な自分が策を練るのはいつもの事だが、歴史通り以上に兵の損失が出ない様に考えている。今川 義元との戦か。…桶狭間だったか?

「…ええ。まだ思案中ですが、時期に。」

「ああ、頼りにしておる。」

軍議の場に向かいつつ、何とか考えを纏めておく。今川義元、今川義元。…ああ、やはり共に案を練りあう仲間が欲しい。今の織田軍にはまだ、頭脳派が少ないんだよなあ。友人の細川藤孝くんとか来てくれないかな…ああ、立場上駄目か。
…竹中半兵衛とか、欲しいよね。まだ居ないかな?

重臣の集まる場にて、若き当主は圧倒的な存在感で腰を据える。光秀は重臣や老臣に気を遣い敢えて最も下座へと腰を落ち着けた。

「…聞き及んでいると思うが、今川軍が動いておる。何か案の有る者はおるか?」

眼光鋭い信長に怯みつつ、老臣達は案を上げ始めた。
「…籠城で…」「全軍で…」「…いや、部隊を分けて」

柴田は何やら思い悩み口出しせずにいる中「では、光秀?」と名指しし目を向けさせる。老臣や重臣の中には若く美しい才高い光秀に良くない思いを抱く輩もおり、あくまで重臣達を立ててから発言をするのだ。

「…殿、実行してみたい案がございます。軍を一隊お借りしたいのですが。」

意志の強い瞳、涼やかな声にその場が吸い込まれる。しかし、嫌う輩は「何と身勝手な」と騒ぎ立てている。
煩いな、私だって色々考えてみたんだよ。貴殿方の策だと絶対無理だろ、今の戦力差では。確かに織田軍は強いが、最強になるのはこれからだ。

「光秀。それが最善の策か?」

「はい。私なりに出した最善です。」

信長の良い所は、ぐだぐだと悩まずスパッと決めてくれる所。瞳で会話をしあい、深く頷いてくれた。

「…よし。許す、やってみろ。」

その言葉に不満が漏れかけるも、直ぐに信長は畳み掛ける。

「この光秀の案でこれまで損害があったか?」

いえ、と口ごもる重臣達に見下した視線を巡らせ、光秀に行けと促す。まだまだ人材の少ない織田軍の中では、この様な愚かな家臣が多いが、いづれその者らも切りたいのだろう。

さてと、了承も得たし動くか。

薄暗くなってきた空を見上げ、普段後ろで縛る髪を高い場所で纏める。空は素晴らしき曇天だ。あと、もう少し。

騒がしい家中を駆け抜けて、元気の良い声の響く鍛練場へ辿り着く。私の使いたい部隊は、彼ら若武者達だ。億さず素直に聞き、状況で動いてくれる。正直重臣達の部隊など、面倒だしたぶん簡単に死ぬだろう。

「明智様!」「いらしゃったのですね!」「うわー見てって下さい!」」

何だかあれ以来、妙に懐かれたものだ。少し年下程だから話しやすいのは良いけれど。キラキラと見つめてくる彼ら全員に行き渡る様に、声を張り上げた。

「そなた等も耳にしているだろう今川軍との戦だが、私は若きそなた等を使いたい!しかし恐ろしく思うものは勿論辞退して良い。我こそはと思うもの、私について参れ。」

それだけ言い踵を返すと、張り裂けんばかりの雄叫びや歓声が爆発する。明智光秀に選ばれた、戦いの場を得られた…それが今の彼らだ。

よしよし、良い雰囲気だ。
後は上手く雨が降れば…彼らと今川軍に奇襲をかける。

ポツ、と頬に当たる冷たい滴。…天にも味方をされたか。

甲冑を身に付け、馬へと飛び乗り息を吸い込む。

「貴殿らの力、今川へ思い知らせよ!!勝利は必ず我らが元に!!」

うおおおおおおおお!!と鴇の声を上げて大地を踏み進んで行く。ちょっと恥ずかしいんだよな、いつも。
斜め後ろからの前田からの敬慕する視線に、恥ずかしく思う。前田犬千代の今日の装束もやはり無駄に派手である。

そんな折、光秀率いる部隊を駆け抜けて行く存在感を放つ1騎。やはり来ましたね。うん、まあ…じっと待ってるとは思いませんでしたが。

「…者共!殿の後に続けー!!」

全く、早すぎだ信長!もっとスピードを落とせって。

織田信長自身の働きも有り、今川軍は直ぐに壊滅するのだが、この世界が歴史とは全く異なると実感するのは直ぐ後である。



「此度の戦、我が軍の勝利だ!」

信長の高らかな声に続き、歓声が織田家に満ちていく。光秀の評価も更に上がり、若武者達への報酬も続々と渡っていくのだが、当の光秀は複雑な胸中であった。

「何とめでたい!今川義元が降伏し信長様の下に付いたとは!ですよね、明智様。」

「…ああ、真に。そなたの頑張りもあるのだぞ?」

晴れやかに光秀に言いかける前田に、胸中を知られぬ様に相手を誉めておく。途端に今時の若者らしい顔が赤く染まり「恐縮です」と素直に喜びを表す。…本当に裏表が無く好ましいな。
ちゃっかりと光秀の隣をキープする事など気付かず、少しヤンチャだが素直で気の良い奴だと思う。

「おい、光秀此方へ来い。」

何故か不機嫌そうな主君に呼び止められ向かうと、空の杯を差し出されたので静かにおかわりを注いでみる。
何か…怒ってる?
杯を煽り、小さく舌打ちさえする信長の横顔をじっと見つめる。やはり無駄に顔が良いな。

「…何だ?」

光秀の視線に気づく信長の怪訝そうな疑問に「いえ」と返し少し笑う。

「殿に見惚れておりました。この度、戦に出向いて頂きありがとうございました。殿が居り皆の士気も上がりましたので。」

「…そうか。お前もか?」

あれ?機嫌が直った?お前もって…士気が上がったかどうかだよな。

「勿論。信長様は、私のただ一人の主君にございますよ。」

まあ、それで良い。と頷く信長は妙に嬉しげで、何処かを見て勝ち誇った様に鼻で笑っている。うん、よく分からない。

(馬鹿め、新参者が気に入られたと調子に乗るな)
(…いくらお殿様であろうと、明智様を独り占めなさるなど…)

光秀の知らぬ所で、男達の牽制が繰り広げられている等勿論知る由も無い。

勝利の宴も終わり、友人の細川藤孝に手紙を出したり、馬小屋の掃除に勤しむ木下藤吉郎と雑談を交わし就寝するのだった。木下とはなるべく友好を深めねば!いつか討たれたくないし。




斉藤道三との会談を明日に控えた今日、今川義元が同盟という名の傘下に入る為の調印にやってきていた。光秀は少々心配な事があった。歴史的には、今川義元を討った後に松平 元信(徳川家康)と信長が同盟を結んでいた筈なのだ。

しかし、今川義元は生きている。どうなるんだ?
次期に訪れた前触れに気付き、家中が今川義元を受け入れる準備を始めている。

気持ちがどうしても落ち着かず、何となしに馬に乗り早がけに出てみたりした。尾張の国も大分活気が出てきたなあ。これまで信長と試行錯誤してきた事を思うと感慨深い。

「あの、そこの方…」

「え?ああ、はい。」

馬から降りて町を眺めていれば、ふいに背後から声が掛かりゆっくりと振り返る。光秀の一つに縛った髪が靡き、中性的な容貌が日の光で輝く。

「…っ!失礼を。実は供の者とはぐれてしまい、道をお聞きしたいと。織田軍の方と見受けられますが?」

光秀の顔を見て僅かに頬に朱を差す青年は、穏やかな口調で話を続ける。という事は、今川義元の供か?まさか…今川義元じゃないよな。名を聞こうと思うが怪しまれると思い、先に自ら名乗る事とした。

「…はい。明智 光秀と申します。私でよろしければ、ご案内致しましょう。」

明智光秀…と相手が呟き、パッと花が咲く様に笑みを浮かべる青年。

「おお!あの、才高く麗しく、織田信長様の寵も厚き明智殿ですか。お会い出来て嬉しい限りです。」

ええ?そんなに知られてるの私?ちょっと嫌なんですが。
此方こそ、とにっこり笑えば眩しそうに目を細められた。

「ああ、名乗り遅れました。某は松平 元信と申します。」

松平 元信?!徳川家康じゃないか!
ええ~?こんな優しげで爽やかな好青年だとは…今川義元に会うよりも重要では無いか?

ほんの一瞬思考に投じ、直ぐ様返事を返すと城までの案内を始める。さて、どうしようか?今川の元に居る限り徳川家康が生まれない訳だが。

「…松平殿、よろしければ少しだけお時間を頂けますか?」

光秀の、行き当たりばったり徳川家康作戦?が始まるのであった。

手近な茶屋に入り、二人ぶんの茶と茶菓子を頼み話しを切り出す。徳川軍をどう使うかが、これからの天下統一に重要となってくるのだ。まずは、松平を徳川家康にしなければ。

光秀の申し出に二つ返事で快諾した松平は、やはり元来気が良いのだろう。
というよりも、噂の明智光秀と話してみたい気持ちが多少あったのだろうが。

「…それで松平殿、話し…なのですが。」

「?はい。」

「今川殿が織田軍へ準じる中で、松平殿はどうなさるのかとお聞きしたいのです。」

運ばれてきた茶を一口啜り、松平は口を閉ざした。本人も考える所があったのだろう。暫く静寂に包まれる中で、光秀は特に促しもせずにただ待つことにする。

やはり忍耐の人物だな。歴史的には信長、秀吉の次に天下を得るだけはあるか。しかしこう顔が整った者が多いなあ…この世界は。

「幼き頃より今川様の元で人質として過ごして参りました。しかし、今川様が織田軍に追従するならば、某もそうするのが筋かと。」

そう言いつつも悩んでいるらしい。光秀と視線が合わさる事は無い。ふむ、少し後を押せば上手くいくかもしれないな。

「本当にそれでよろしいのですか?松平殿は以前織田家に居り、信長様の遊び相手を勤められたとか。…今まで様々な場所にて忍耐強く生きてこられた、敗軍の将に準じるよりも今川を出て一人たつべきでは?」

この言葉には驚き目を見張っている。少々言い過ぎたか?だからと言って撤回する気は無いが。お咎めを食らったらまあそれまでだ。

驚き固まる松平だが、直ぐに動揺を隠して口を開く。

「…明智殿は何故、そこまで某を買ってくださるのですか?」

まあ、当然の疑問だ。
織田家にて一定の地位を持つ者が、態々この様に時間を割いてアドバイスをする意味は無いのだから。

「松平殿の、質素堅実で努力家な噂を耳にしておりまして。会ってみたいと思っていたのですよ。」

「…そう、なのですか。」

瞬きする相手は、照れ隠しに頬を掻いた。
どうにか松平の気持ちを変えねば!

「実際に会えて嬉しく思いますよ。思っていたよりも、ずっとお優しい…此方のお助けしたくなる方でしたので。」

絶対魅了の微笑みで、松平の瞳を離さない。この時期を逃してはいけない気がする。直感的にそう思ったのだ。

(…何と此処まで誉められたのも期待を持たれたのも、始めてだ。明智殿の声はなんと耳に柔らかく響くことだ。)

「…明智殿。」

「はい、松平殿。」

「ずっと悩んでいた事がありましたが、貴方との話しで心が定まり申した。」

それは良かった、と深くは聞かずに頷く。そんな点も松平には好ましく思えたようだ。雰囲気も良い方向に向かった事だし、この茶菓子を食べるか。うう、この時代は干菓子が多いなあ…ケーキとか、プリンが食べたい。

モグモグとそれでも干菓子を堪能する姿に、松平は「某のもどうぞ」と差し出してくる。
ええ!?うわ、この人良い人だ。甘い物を好む光秀はついついほだされ、嬉しく頬を緩めていた。勿論、相手の心情など分かる筈も無い。

「有り難く頂きます。松平殿は良き方だ…。」

その表情に見惚れ、また甘い物を送ろうと決心する松平である。






食べ終えると、城まで案内をし既に到着していた今川義元に挨拶をする。公家風の化粧を施した冷たい雰囲気の男だが、話した雰囲気は悪く無かった。それでも一つ解せない事もある。

うん。滅茶苦茶下手な和歌を送られたのだ。確か今川義元は趣味人だったっけ?領主としての腕は良いが、此処は尊敬出来ないね。
なので「次はもっとマシな歌を作ってください」という意味の和歌を丁重に送って置いた。

「…なんと無礼な!」

顔を真っ赤にして睨んできたが、素知らぬ振りを通す。松平は信長と面識があったので、何か話しを交わし会っていた様だ。今川からの独立を果たしてくれれば良いが。

むきー!とぷんすか怒る今川義元を見送り、にこりと爽やかに笑う松平を丁寧に挨拶を交わし見送る。松平の側に居たあの体格の良い少年…彼も戦国武将っぽいな。いずれ、また会うだろう。

「…明智様、細川殿からでございます。」

「ああ、すまぬ。礼を言う。」

最近信長の小姓となった少年から自分宛の手紙を受け取り、部屋に戻り開く。

「…ふむふむ。え?今度来るのか。」

細川藤孝の訪れに、僅かの波乱と期待を思う光秀であった。




儂にとって、明智光秀は光だ。光秀は…実際には光秀とは呼べないが。光秀はよく、細川君は最も親しい友人だと言ってくる。嬉しい限りだが、それでも友人の枠は抜けない様だな。

儂の周りは本当に阿呆ばかり…手紙すらまともに書けぬ者も多いが、光秀の字の優美さや文の秀逸さには脱帽せぬばかりじゃ。男と思えぬ柔らかな美しさ、どの様な下じもの者にすら施す慈愛。

きっと、光秀が全てを敵に回す事は無いだろうが、光秀が全てを敵に回そうと儂は裏切らぬと誓おう。あれだけ隙が無いように見えて、意外と気の抜けた様を出してしまうからな…しっかり守ってやらねば。


「おい、藤孝。」

「っは。何でございましょう、公方様?」

友人明智光秀への手紙を書き終わった頃、自身の仕える主に呼ばれ慌てずにのんびりと向かう。常に余裕を持ち、あまり表情を変えない糸目の藤孝は少々苦手意識を持たれがちである。
あくまで本人は気にしていないが。

「…私の上洛について何か決まったか?」

…煩わしい。日に最低5回は聞いている気がする。しかし、主の兄にも仕え自分が主を見つけ出した責任もある。粗雑には扱わんが。

内心で溜め息を吐き、目の前の足利 義昭を飄々と見つめる。上洛に対して苛立つのも分かる…現在頼ってみている六角氏や朝倉氏の良い返事は得られないからだ。

「公方様…一つ案がございまして、友人の仕える方が近頃力を付けていると聞きまして、現在その縁を頼っている所でございます。」

「ふむ?して、その者とは?」

ほう、悪くは無い様子か。何の力も無いが、気位は高いのでどうかと思うたが。

「…尾張の織田 信長殿です。」

尾張、と呟き首を捻っている。織田家の噂もここ最近の話であるので、尾張の国自体聞き慣れぬ様だ。というより、基本的に対した知識は持たれていないがな。

「うむ。では、織田だか何だか知らぬが、早よう動いて欲しいものじゃ。」

ええ、と相槌を打って置く。こんな我が儘な主とはさっさと別れたいものじゃ…。織田信長よりも、光秀からの手紙が早く読みたいのう。

足利義昭との話しも終わり、各地に放っていた斥候からの情報を集めて置く。ふむ、今川家は織田の下に付いたか。更には、斉藤道三との会談があるだと?上手く行けば良いが。
武田や上杉も侮れんな…浅井や朝倉といった古くからの大名も控えておるし。まず第一に、明智光秀の健康と細川家の安泰を祈らねば。

本人が聞けば突っ込みたくなりそうな思いなど、知られる筈も無い。あくまで光秀と過ごす時には、冷静で大人な細川藤孝で居るのだから。

早よう光秀に会いたいものじゃ。