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 たった一人の愛情すら得られない女がいた。憎まれる為に生まれた様な、親からへどを足先に艶かしく刻まれた女がいた。この女には、あの女神の魅力は分からない。 女神の名を万無(ばんな)。黒髪柔らかく青空に靡き、とても長い。その瞳二重。青々と宇宙を愛している。まるで青年を彷彿とさせる体を碧のゴブラン織の神衣で覆い、右足が垣間見える。丸で、斜めに切り替えが入ったマントの様だ。万無の両脚は青空と交わる白い雲を思わせる。余りにも長く、曲線は艶かしくは無いが、その美しさ秀逸である。
 万無は人間を救う。同じき神も救う。他に類を見ない救世を行う。阿呆の引け込んだ腰を美しき両脚で蹴り遣る事で完する。さて蹴り遣られた方は如何に。―幸せであった。阿呆は阿呆を忘れ、女神に愛された至福万極となる。つまり瞬間救われたる。万無の仕事である。しかし、神には通じる救世と言えど、人間にはなかなか理解伴わない。さすれば、あの様な女には。 
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女の名は然(しかり)。細い体を赤紫の留袖、帯は金、柄はレースという威容。右脚のみ真っ直ぐである。身分中級、草鞋は無く裸足である。生まれた時の因果により、右脚は薄汚れた緑色をしている。金髪は肩まで、髪留めで良い加減に纏め上げている。主人は何時だって右脚を隠せと言った。然は馬鹿で、敢然と裾を捲し上げて歩くから参っていた。碧眼は意味深で、常日頃見開いて奥深い。
 万無は全ての人間の引け腰を蹴り遣り、一瞬で青空に舞う。人間には意味が分からない事暫暫。何故此れが分からないのだろうか。神の微笑みは美しい。然は今朝も物憂げで、右脚見る度醜いと豪語した。主人は息吹き、汚くなんかなあいと一言溢した。瞳黒めかしく、然は溜息をついて、在れ至福万極とは何だろうと一人ぽつんと息吹いた。
 3
 通り行く万無は次あれはと溢し、本年も救世を決意していた。天羽る万無、実は精一杯、万物の祖では無い。いつも迷いつ焦りつの救世は、圧巻の美其は御美脚に留まり、もしかして意味は無いのかも知れぬわと思っていた。其でもと硬い金の髪碧眼に戸惑いつい馳せ参じたのは夕刻で、見給い引け腰かっぴらき脚と申した。睨んだ然は強気であった。一瞬も要らない、衝撃波に参った。昇天したのは万無ノ然。く、屈辱成りと一言。頬紅潮色気沙汰申した。因業晴れたり、右脚かっぴらきと言えども、白く真っ白。唖、今迄失礼を致した。未だ状況が分かっていない御様子。万無ほうよく分かったな?万無万無見目熱く愛と申した。空には西方の妖怪がどとにやりと笑っている。風景に松林と薔薇が真っ青顔の女を鏡と映した。主人は素知らぬ顔で洗濯物をたらいに掛けて洗っているではないか。万無はこの世には実は居なくて、遠い国にも居はしない。美し過ぎて、有り得ない事も判らないか。描かれた万無ノ然はこの世の中には無い宝石を砕いて絵の具にしたと言われていて、僧坊の杏里を驚かせたと言われている。
 面白い噺ね。一幅の掛軸に刻まれた万無ノ然の掛け合いは、二人が荒御霊である事実を彷彿とさせ江戸の世を一夜桜に花見させたものだ。闇夜の万無の圧巻の存在感やはり天界一であった。
 あの醜い金髪女は如何に。万無は酒を煽ってちらちら見て悦に入っている。右脚の因果緑色が解き放たれて蛇紋様が治っていた。細く美しく奇跡を享受した此の女を、主人は永遠に愛そうと思い始めていた。にっ。万無のいつもの可愛らしい笑み。可愛くも無い民を興味も救った。今日はもういいだろうと、万無の御神酒が溢した。