ひとりぼっちの夜は、君と明日を探しにいく


安田さんは本当になにも知らないのか。それとも知っているけど言えないのか。

とてもズルいことが頭に浮かんだ。だけどその前に少しだけ試してみる。

「詩月は今の自分が嫌だって。昔の友達も分からないって。詩月の仲が良かった人とか遊んでた人とか、できればそういう人たちと会わせてあげたいんだけど……」

「……あーえっと。世那は友達が多いほうじゃなかったし不良仲間たちとも上辺だけの関係だったから……会ってもあんまり意味がない気がする」

その口調はとても不自然なくらい、たどたどしかった。

だからほら、またズルいことを考えている。


「そっか。色々と話してくれてありがとう。安心して。詩月に話した内容は喋らないから」

まるで私もカメレオンになったかのようにニコリと笑みを見せた。すると安田さんはホッとしたように肩を落とす。


「最初から失礼な態度をしてごめんなさい。世那に対しての気持ちはとっくに整理したはずなのに久しぶりに会えて嬉しかったからつい……」

「ううん。平気。またどこかで会えたらいいね」

私はそう言ってわざと握手を求めた。

自然な流れ。絶対にバレずに触れる方法。私はいつからこんなにズル賢くなったんだろうか。

安田さんはなんの疑いもなしに手を差し出して、その右手と右手が重なり合った。

――『世那待ってよ!私の告白の返事は……』

暑い暑い夏。いつも遊んでいるメンバーで花火大会に行ってその雰囲気に身を任せて告白をした。

だけどいつものようにスルー。実はこれで3回目。今日こそは返事を!と、みんなと解散したあと内緒でその背中を追いかけた。

足の長いきみは歩くのも速くて、見失いそうになったところでやっと発見。

立ち止まるその横顔に声をかけて、何故だかバチバチと夜なのに辺りがオレンジ色になっていた。

ハッと目線をずらすと、そこには燃え盛る炎。
大きな一軒家が音を立てて崩れていく。

  
『か……火事?』

その暑さは風に乗ってこっちにまで伝わってきて思わず後退りをしてしまうほど。気づいた近所の人たちが大声を出していて辺りは騒然としていた。

だれの家かは分からない。

だけど大変なことになってることは分かった。

『は、早く消防車を呼ばないと……っ!』

ポケットからスマホを出した。その時、周りの人たちの声が耳に入ってきて「詩月さん家が燃えている!」と、誰かが私よりも早く消防署に連絡をしていた。

詩月……さん家?

聞き間違いじゃなければ、確かにそう言っていた。


『せ、世那……。ここ世那の家なの?』

恐る恐る、そう尋ねた。

返事は返ってこない。いつもそうだ。いつもきみは他の人とはなにかが違って、たまにすごく遠い瞳をしている。

〝あの家をめちゃくちゃにしてやりたい〟

少しだけ見えたきみの本音。

不謹慎だけど、嬉しかった。きみに近づけた気がして。心を許してくれた気がして。

ああ、なんて私はバカなんだろう。


きみのことをなんでも知りたくて追いかけて。
その遠い瞳をする理由も、いつか知りたいと思ってた。

バチバチと燃える家。屋根が崩れ落ちて、庭先に咲いていた白い花が黒く散っていく。

私は見た。

見てしまった。知ってしまった。 
   
きみの口角がわずかに上がったところを。燃え盛る自分の家を見つめるその横顔が何故かひどく安心したような表情に見えて。

その頭に浮かんだ真実を探らない代わりに、この時のきみの姿は絶対に誰にも言わないと心に決めた。


それから暫く経って、あんなにうるさかったセミの声がいつの間にかなくなっていた。ジリジリと照りつけていた太陽は落ち着きを取り戻して、今日から新学期がはじまる。

「おはようー!」「久しぶり」

そんな声が飛び交う中で、衣替えをした制服がなんだか窮屈で教室に向かう足が重たい。

学校の空気、学校の匂い。やっぱり私は好きじゃない。


「おはよう、羽柴」

教室のドアの前で躊躇していると、後ろから声をかけられた。それに押されるように私が教室に足を踏み入れると詩月はニコリと笑う。

少しだけ日焼けした肌。詩月が席に着くとまたすぐにクラスメイトたちが集まって輪を作った。

9月1日、2学期。そんなふわふわと浮かれている教室で私は静かに自分の席に座る。

「夏休み中いっぱいメールしたのに無視したでしょー?」

「はは、ごめん。色々と忙しくてさ」

また詩月のカメレオン生活。私は「はあ……」と
ため息をついて、ぼんやりと窓の外を眺めた。

「羽柴ってやっぱり学校だと雰囲気違うよな」

そしてまた水曜日がやってきた。切り取られたように外部からの音がしない放送室。最近ハマっているコンビニのメロンパンを食べながらお茶で流し込む。

詩月は2学期になってもあの放送を続けていて、今日も投稿ボックスにはたくさんの相談用紙。

「そういえばさ、なんかあった?」

詩月が読み上げる相談内容を選びながら言った。


「……なにかって?」

「ほら一緒に出掛けたあの日以来、メールしても電話しても返ってこなかったし。スマホ忘れたとか言って電車に乗らなかったから、なんか怒らせるようなことしたかなってずっと気になって」

詩月はそう言って真っ直ぐに私を見つめる。

悔しいぐらい整ってる顔。そんな求めるように見つめられたら大抵の女子が心臓を高鳴らすだろう。

私からの連絡を待っている時間があったなら、
クラスメイトたちへの返信ができただろうに。

「私、詩月が思ってるほど暇じゃないんだよね」

嘘。1000ピースのジグソーパズルを完成させちゃうぐらい暇だった。


「暇だなんて言ってないだろ?あ、やべ。そろそろ時間だ」

詩月が相談用紙を手に取ってマイクの前に座る。いつものように〝しー〟と合図をして校内放送のスイッチを入れた。

『皆さんこんにちは。水曜日のなんでも相談コーナーの時間です』

なんだかその背中が見慣れたものになってしまって、大人しくスピーカーから聞こえる詩月の声に耳を傾けた。

『今日最初の相談は3年4組の……』

暇だった。暇だったくせになんだかとても寝不足だ。詩月の低い声はやたらと眠気を誘ってまぶたが自然と重くなる。

私が詩月の連絡を無視したのは、こうして普通に顔を合わせるため。今まで数えきれないほどの思念を読み取ってきて、心を病んだものなんていくつもある。

だけどあの日。安田さんから読み取った2年前の思念。

彼女の心と一体化して、ざわざわと胸が騒いで。そして私も〝見てしまった〟詩月のあの横顔。

熱風で火傷しそうなほど熱い炎。

ずっとあの光景が頭から離れなくて、その余韻に苦しんで。やっと今、普通の私になっている。

安田さんに触れたことに後悔はない。あれは自分で決めたことだから。


またきみに一歩近づいて、言えないことが増えて。私の中に芽生えたひとつの可能性。

詩月の心が真っ白なのは、詩月の記憶が抜け落ちているのは誰のせいでもない。

自分で自分のことを閉じこめているんじゃないのって、そんな勝手な憶測ばかりを考える。


その日の帰り道。私はいつものようにひとりで歩道を歩いていた。家までのルートと違うのは駅前でノートを買う予定があるから。

これでも一応授業は真面目に受けている。まあ、成績は平均的だけど。

……友達と話してばかりいる詩月がどうしてあんなに頭がいいのか。その要領よく生きる術を私に少しは教えてほしい。

そんなことを考えながら色々な店が並ぶアーケードを通りすぎて、文房具店に入ろうとした時。

向こう側の道を歩くふたりの男女が目に止まった。

ドクンと心臓が跳ねたのは男の人の顔を見た時。親しげに女性と肩を並べて街並みへと消えていく。

……父親だ。いや、正確には父親だった人。

久しぶりに顔を見た。全然変わっていない。隣の女性が当時浮気をしていた相手かどうかは分からなかった。

だけど見たくないものを見たという事実に変わりはなくて……胸焼けしたみたいに気持ち悪い。

離婚して家を出てからの間。私のスマホに何度か父親からの着信があった。でも私は出ていない。

なにを話すのか、なにを話せというのか。

今さら、あんなに尋ねても教えてくれなかったのに。だから私はこんな力を得てしまったというのに。

少しは反省して改心したのかと思えばこの現実。
ああ、本当に本当に嫌になる。

結局私はノートを買わずに家に帰った。買う気分になれなかったことと、街をうろうろしている父親と鉢合わせになることが怖かったから。

静かに玄関のドアを開けて靴を脱ぎ捨てる。心を落ち着かせようとリビングに向かって水を1杯だけ飲んだ。

するとバタバタと足音が聞こえて、閉めたはずのリビングのドアが再び開いた。


『うん。今家に着いた。まだ仕事の予定がはっきりしないんだけど次会えるのは……』

左手に買い物袋を持って右手でスマホを耳に当てる。そんな母と目が合って母は慌ててスマホを離した。


「お、おかえり」

「………」

私の前だと都合がわるい電話なのに、いつも危機感がないというか注意が足りない。

まだ〝相手〟と繋がっているスマホを私は睨みつけて、自分の部屋へと階段をかけ上がった。

「……っ!」

そのままクッションを床に投げつけて、怒りと不満で頭がどうにかなりそうだ。

知りたくないことに限って次々と目にしてしまう最悪な悪循環。

あんな汚い大人にはならない。嘘だらけで真っ黒な人間にだけはなりたくない、なんて虚勢を張って。じゃあ自分がキレイなのかと聞かれたらそうじゃない。

私だってもし誰かに感情を見られてしまったら、それはドロドロして黒くて醜さの塊だらけだと思う。


次の日。今日は1限目から体育で、しかも大嫌いなチームプレーのバスケット。体育館の空気は息苦しいほどモヤモヤとしていて、動いていないのにじんわりと汗が出るほど蒸し暑い。


「じゃあ、まずはふたり一組になって準備運動から」

体育の先生がピッと笛を鳴らすと、みんな隣同士の人とペアになった。

一番嫌いな作業。すごくすごく逃げたくなる。
早く終わらせたほうがラクなのに隣の女子と触れあうことができない。

「先生ー。羽柴さんが」

ただ立ってるだけの私を見て、隣の女子が困ったように声を上げた。

「羽柴。早く準備運動しなさい。友達を困らせるんじゃないぞ」

「………」

友達じゃないし。そもそも準備運動なんて個々でやればいいのに、どうしてペアなの。

みんなの視線。〝やっぱり羽柴さんって変わってるよね〟っていう心の声がただ漏れ。

昨日から続く悪循環。こっちを見るな。放っておいて。頭がクラクラする。

そういえば昨日もあんまり寝てない。朝ごはんも食べてない。足が床に着いてるかどうかも分からない。

バタン!と大きな音がして、気づくと私はそのまま体育館で倒れていた。