そして、無事に松井家のおつねと夫婦(めおと)になった。
私はその縁で、ある藩の剣術指導をしてくれぬか、と頼まれた。
その依頼を受けたとき、私は跳び跳ねるほど、嬉しかった。
剣術で生計を起てるのは、私の夢だったからである。
だが、世の中というものは、理不尽だった。
「何?剣術指南の役目を断られただと?」
私は、その話が嘘であってほしかった。
「えぇ。残念ながら。」
役人は顔を俯かせて言った。
「何故ですか?」
「拙者も近藤さまがよろしいと思ったのですが、…」
役人は急に言葉を止めた。
あぁ。私は理解した。
問題なのは私の剣術でなく、出自なのだと。
私は近藤家の養子になったとかて、農民の出であることに代わりはないのだ。
私は何かを本気で、望んではいけないのだろうか?
私が本気で、望んだものは全て私の知らぬところへすり抜けていく。
しかし、もしかしたら、そうでは、ないのかもしれぬ。
葉月が私の守り神だったのかもしれぬ。
彼女のおかげで、惣次郎だった少年を総司に育て上げることができた。
彼女が道場の客をもてなしたから、試衛館には、それぞれの流派の剣客が集まった。
彼女が笑っていてくれたから、私は日々を穏やかに過ごすことが出来た。
私の願いは葉月が戻ってこない限り叶いそうもなかった。
私は日々を穏やかに過ごすことを止めた。
葉月がいないなら、いっそうのこと、葉月を探しにいく、旅へ出かけようと、本気で、考えたことも、あった。
だが、現実的な問題から考えると、それは、無理なことだった。
「かっちゃん、最近、脱け殻みたいだぜ。」
歳はそんな私を気にしてくれていた。
「どこがだよ?別にふつうだろ?」
歳はその美しい顔をゆがめて言った。
「やっぱり、夫婦約束は断るべきだったんだよ。」
そう嘆くように歳は呟いた。
「なぜ、そのようなことを言うか?松井家と縁を深くすれば、近藤家にとって、必ず良いことが起こるのではないか?」
「かっちゃん、それ、本気で言っているか?」
歳は更に眉をひそめた。
「本気だ。何も間違ったことを 口にしてはいないだろ?」
歳は押し黙った。
「…だが、かっちゃんはどう考えている?他の女に勇さんと呼ばれたくないんだろ?」
歳は核心をついてきた。確かに、私は他の女、いや、女だけでなく他の者の全てにおいて、我を″勇さん″と呼ばせることを許さなかった。
「他の者には、何があっても、そう呼ばせない。」
勇さんとは、葉月だけが呼んで良いものである。
「フッ、かっちゃん、意外と女々しいんだな。」
歳は私を嘲笑うようなことを言ったが、嫌みはなかった。
「おらぁ、そっちのかっちゃんの方が好きだぜ。」
江戸っ子なまりの歳の言葉は私をあたためた。
その日から、私の考えは、変わった。私は、葉月といたときの我を再現することにした。
私がそうあれば、葉月も安心して、私の元へ、戻ることが、できるであろう。
私は無理に変わらなくて良いのだ。葉月を愛し、葉月のことで頭が満たされているのも、私の本来の姿なのだから。