時は、幕末

国のため、故郷のため、愛する者のため、
奮闘した若者達がいた。

その暁に明治時代をむかえた。

だが、道は違えど、日本という国を守り、幕末をその眼で見た集団がある。

その名は、新選組である。





1868年、4月25日
「私は、どこで道を間違えてしまったのだろうか?」


目を閉じると私の生涯が走馬灯のようにおぼろげによみがえった。





あの年の私は19歳である。

私は、ちょうど一昨年、天然理心流という流派を修める試衛館に入門したばかりであった。

私は豪農の四男坊で昔からそれほど苦労を知らなかった。

だが、父は私を清く正しく強い男にするために、剣術や三国志、他、様々な戦史を教えこんだ。

私もそれは嫌いではない。

そのため、約2年前、試衛館に入門した時は毎日が、楽しく、剣の世界にのめり込んでいき、実力をつけていった。

そして、昨年、嶋崎家の養子にとられ、身分としては、帯刀や、名字を名乗ることを許される。

この後に、私は道場長の近藤氏の養子にとられることが決まり、胸踊る気持ちであったのだ。


私はよく、悩み事のない様に見えると言われた。

手前がそう感じているのは幸いであった。
私はそう振る舞っているのだから。

だが、私にも不安というものが存在した。

私は元々豪農の出だから、金で養子縁組を買ったのではないか、という噂があとを断たなかった。

それに対して私は認めてもらうために片っ端から、試合の依頼を受け、勝ち進んだ。

天然理心流特有のあの重い木刀を持つと、天才と称される剣術を披露することができた。

けれども、試合の前にはいつも、
負けた時のことを想像してしまい、
胸が締め付けられ、息苦しくなり、
終いには、手足の痙攣がとまらなかった。

それさえも
『いつか、試合中に症状が出て、怖じけ付いたと馬鹿にされるかもしれない。』
と、私の不安の種になった。

私は不安を決して外に出さなかった。




そう、そんな時期だった。貴方に逢ったのは。








1851年、4月22日
そう、この日はいつもと違っていた。苦しくて苦しくて堪らなかった。

今日こそは負けてしまうかもしれない、そう思った。

私には、何か悪い霊が憑いている。

なぜかそんな気がした。

そして、気が付くと足が進み、天然理心流がたびたび奉納している八坂神社へとたどり着いた。

「私は何をしているのだろうか。」

私がそう嘆いたことは、17年経った今でも鮮明に覚えている。




なぜなら、
「あっ、人間だ。」

訳もわからない言葉をかけてきた当時の私と同じ歳位の少女がいたからだ。

「拙者、嶋崎勝太と申す。貴公の名はなんとおっしゃるのか?」

私がそう声をかけると貴方は言った。

「うっそ。忍者だ!…あれ?これは違うかアハハハ
うん、お侍さんだね。ほら、刀持ってるし…。危ないなぁー…逃げた方がいい感じですか?」

何やら焦っているような感じが伝わった。

不思議な少女だった。

※当時、人間という言葉は存在しませんでした。
私は貴方に興味を持った。

よく、貴方の顔を見てみると、とても綺麗な顔立ちであった。
こんな美しい女性を私は初めて見た。

そして、奇妙なことに気が付いた。貴方は和服を召していなかったのだ。

そして、私は以前、一度だけ行ったことのある遊郭の女郎たちの着物よりもさらに際どい着物を召していた。

男を誘っているのか?

だが、不審なところはあるものの貴方は私の想像しているような者ではないと直感的に察した。

「あ、あのー。私の顔に何か付いているんですか?」

私ははっとした。
しばらくずっと貴方の顔に見とれていたようだった。

「いや、はや。失礼。あまりにも美しいのでつい、見とれてしまいました。」

私は、嘘を吐けない性分であった。少しばかり気恥ずかしかったが、正直な気持ちを貴方に伝えた。