葉月は労咳の知識は山崎が船の上で亡くなる前に充分に習得していた。

しかし、葉月はどこか労咳に対して己を犠牲にしてもよいという余裕があった。

以前その事を葉月に指摘すると、

「私はかかりにくいのです。」

と言って笑った。

どこからそのような自信が湧いてきたのだろうか。

私は葉月をこれ以上なく心配していた。


そして、葉月は労咳にかかってしまった。

葉月のあの自信は総司のために身を尽くしたいという

気持ちから来たのだろうか。

葉月は支えたいと思っていた総司よりも早く逝った。

私は葉月の最期の苦しみの混じった笑顔が記憶に強く残っている。

彼女の遺体は総司に任せた。

ゆっくりと葬儀をしてあげたかったが、

時代は私にその時間は不要だと言った。

葉月が亡くなるやいなや隙を狙ったかのように

不運なことが重なり続き、私は全てを諦め、

時代に身を任せていた。

私はいつしか板橋の処刑所にいたようだ。

しかし、せめてもの歳との最期の約束で

何をされようと、己が近藤勇であると言わなかった。

葉月を本当に亡くした私にはそれ以上のものは

苦痛と感じなかった。


1868年、4月25日
「私は、どこで道を間違えてしまったのだろうか?」


目を閉じると私の生涯が走馬灯のようにおぼろげによみがえった。



…私は今までの人生を振り返り、笑ってしまった。

私の人生は葉月に出逢った時から、

もう葉月なしでは生きられなかったのだ。








葉月のいないこの世などもう未練はない。

私は葉月の笑顔に惚れた。

だが、あの幼く、美しい笑顔は今では、少し足りと
も思い出せなくなっている。

それは…

葉月の最期の苦しみの混じった笑顔が記憶に濃く残っているからだ。

葉月の人生を私は狂わせてしまったのだろうか。

もしそうだとしたら…

葉月は結局、誰を想ってこの世に別れを告げたのだろうか。

葉月が最期まで握り締めていたあの簪は、

私が昔、買ってやったものだった。

そう、葉月と接吻を初めて交わした時のあの…






それは、私を想っていた故なのであろうか?


そして、葉月が最期に残したあの言葉は…

私に向けられたものだったのだろうか。



私はおもむろに頭を下げた。



そして、葉月と同じ言葉を残し、この世を去った。






また、逢う日まで………





最後まで読んで下さり、ありがとうございます*_ _)

感動作を目指したつもりでしたが、どうでしたでしょうか?



私なりの言い回しや文法の解釈で

読みにくい部分が多々あったと思います。


随時、修正も加えていくつもりなので

何かご意見がある方は感想ノートまでお願いします。


また、一文でも感想を頂けたら幸いです。

どうぞよろしくお願いします(৹~৹)♡