放課後の、漫研部の部室。
大好きなものに囲まれたこの空間はいつだって私を癒してくれる、居心地の良いところだ。
右を見ても左を見ても、漫画本。机の上には誰かしらがちょっとずつ持ち込んだフィギュア(主に美少女たち)。
そして、この部室に集うのは、こういった空間を一切否定しない人たち。つまり同士。
オタク趣味というのは今でこそ広く認知されたけれど、それでもまだ白い目で見られることが多い。漫画を読むことはそこまで言われなくても、自分で描くとなると「良い趣味ですね」とはなかなか言われないだろう。
この部室のフィギュアたちも、「自分の部屋に飾ると掃除に入った親に何を言われるかわからないから……」と言って先輩たちが持ち込んだのを知っている。
でも、この部室内ではどんな漫画を読んでも、描いても、フィギュアを飾っても、誰も何も言わないどころか、ある程度のことは共有して楽しむことができる。
だからここは、私にとってホームだ。居心地の良い、私が私になれる場所。
その居心地の良い場所を今、自分で殺伐とさせてしまっているのだけれど……
「筋肉……筋肉……きん、にく……二人のぶつかりあう、筋肉……」
ネームを切りながら、サナがうわ言のように何かを呟いていた。プロットを見せてもらったかぎりでは、サナの推しカップリングが些細なことで喧嘩をして、何故か裸になって殴り合って、最後は熱い抱擁を交わして仲直りするという筋書きになっていたから、今はたぶん山場である喧嘩シーンを描いているのだろう。
サナの悪いくせは、萌えるシーンはとことん引き伸ばしてしまうことだ。だからあと少ししたら止めてやらないといけない。そうでないときっと、「殴りすぎ! 死んじゃうから!」という展開になってしまう。
「……はぁ、決まらない」
サナの場合はいい。甘々イチャイチャが始まるまでの、良い意味での定番と呼べる流れを自分の中に持っているから。
問題は、私。萌えるシチュエーション、描きたいシーンは山ほどあるのだけれど、それに至るまでの流れがなかなか思いつかないのだ。
毎度毎度、産みの苦しみ。こうして悩むたび、自分には才能がないんじゃないかって悲しくなる。でも、やっぱり描きたいから、苦しくても悲しくても手は止めない。そうしたら、出来上がったときの喜びはひとしおだから。
あの喜びを知ってしまったら、もうやめられない。二次でも一次でも、曲作りでも。
「神よ……! 降りてきて!」
私は雨を願う敬虔な人々のように、目を閉じて何かがアイディアをもたらしてくれるのを待った。
「部長さん、何だか姫川と真田の様子がおかしいんですけど」
「締め切り近いからね」
「締め切り?」
「そう。もうすぐ同人イベントがあって、それに本を出すためには間に合うように印刷所に原稿を提出しなきゃいけないんだよ」
「ああ、本の締め切りなんですね」
「そう。それで二人は煮詰まってて……あんまり何を呟いているかは聞かないであげて。というより、聞かない方がいいよ。特にサナさんのは。また腐海の毒にあてられて熱が出たらいけないからね」
「……はい」
今日も北大路は部室に来ていた。そして原稿に取りかかった途端に様子がおかしくなった私たちを目にして狼狽(うろた)えたらしい。
おかしくなっているのは自覚があるけれど、まだ良い方だ。特にサナ。彼女のいよいよ追い詰められた姿というのは、見慣れない人間にはきっと刺激が強いだろう。
「北大路、部室にひっついて来てるとこ悪いけど、こんな感じで入稿できるまで余裕ないから、曲のほうはまだできないよ」
「別に構わん。俺は心が広い男だからな」
「そう」
北大路はどうやら漫画を読みに来たみたいだ。
ショック発熱事件のあと、成人向けの過激な同人誌は部長が責任持って自宅へと持ち帰ったらしい。そのおかげで、今の部室には禁書・悪書の類いはない。だから北大路が勝手に本棚を漁っても、悲鳴をあげる心配も熱を出す心配もなくなったのだ。
あんなに衝撃的なものを目にしたのに、北大路はめげずに漫研の部室にやってくる。そして漫画を読んでいる。それが少し意外だった。
北大路みたいなモテるリア充は漫画なんてヒット作しか読まないし、オタクのことも道端の石ころ以下だと馬鹿にしているのだろうと思っていた。
でも、北大路は私たちのことをオタクだと馬鹿にすることはなかったし、漫研部に馴染みはじめてすらいる。
馴染むなよ、と言いたい。ここは私の日常だ。
まぁ、一曲作ってやれば納得して、もう私には関わらなくなるだろうけれど。
「なぁ、姫川はどんな漫画を描いてるんだ?」
「教えないよ」
「まさかお前もびぃ……」
「メーちゃんは腐ってないよ。メーちゃんは描くのは男女カプだけなの」
「まあね。男同士もおいしくいただけるけど、あれは才能いるからね。私にはうまく描けない」
「愛し合う気持ちは男女も男同士も基本は変わらないはずだよ?」
「そうよね……でもさ、男同士ならではの切なさとか儚さみたいなのがあるでしょ? あの境地に私はまだ達してないわけ!」
「わかるー! だって想像するしかないもん!でも……」
「だから萌える!」
「イェスッ!」
北大路そっちのけで、私とサナはガシッと握手を交わした。ふたりとも自己投影型の萌えの消費の仕方をしないから、ああだこうだと盛り上がることができる。
世の中にはサナのような男同士の恋愛に萌える腐女子という人種のほかに、自分を作中のキャラに見立てたり自分が感情移入するためのキャラを登場させたりしてヒロイン気分を楽しむ夢女子という種類のオタクの人もいる。そういった人とはネットとかで同じ作品が好きだということで交流を始めても、公式ヒロインの扱いが微妙だったり、男キャラ同士の話題にも気を使わなくてはならなかったりする。どちらが左か右かなんて話は、間違ってもできないし、私のように公式カップリング至上主義の人間は、その気がなくても夢女子さんにとっての地雷をばらまいてしまっている。
ヒロインも含めその作品が好きな私は、サナのようにヒロイン容認派の腐女子さんとのほうが気が合うことが多いのだ。
「……部長さん」
「だから、あまり触れないほうがいいって言ったでしょ」
いつの間にか私とサナで盛り上がってしまい、またもや北大路は部長に泣きついた。普段の光景なのだけれど、慣れない人間には恐ろしかろう。気持ち悪かろう。
でも、できればドン引きしてそのまま帰って欲しい。ここはリア充の来るべき場所じゃないの。
そうやって紳士然とした部長だって、他に男子部員がいるときは萌え談義に興じているのだから。まあ、私たちのように盛り上がりすぎて声が大きくなることは滅多にないけれど。
大好きなものに囲まれたこの空間はいつだって私を癒してくれる、居心地の良いところだ。
右を見ても左を見ても、漫画本。机の上には誰かしらがちょっとずつ持ち込んだフィギュア(主に美少女たち)。
そして、この部室に集うのは、こういった空間を一切否定しない人たち。つまり同士。
オタク趣味というのは今でこそ広く認知されたけれど、それでもまだ白い目で見られることが多い。漫画を読むことはそこまで言われなくても、自分で描くとなると「良い趣味ですね」とはなかなか言われないだろう。
この部室のフィギュアたちも、「自分の部屋に飾ると掃除に入った親に何を言われるかわからないから……」と言って先輩たちが持ち込んだのを知っている。
でも、この部室内ではどんな漫画を読んでも、描いても、フィギュアを飾っても、誰も何も言わないどころか、ある程度のことは共有して楽しむことができる。
だからここは、私にとってホームだ。居心地の良い、私が私になれる場所。
その居心地の良い場所を今、自分で殺伐とさせてしまっているのだけれど……
「筋肉……筋肉……きん、にく……二人のぶつかりあう、筋肉……」
ネームを切りながら、サナがうわ言のように何かを呟いていた。プロットを見せてもらったかぎりでは、サナの推しカップリングが些細なことで喧嘩をして、何故か裸になって殴り合って、最後は熱い抱擁を交わして仲直りするという筋書きになっていたから、今はたぶん山場である喧嘩シーンを描いているのだろう。
サナの悪いくせは、萌えるシーンはとことん引き伸ばしてしまうことだ。だからあと少ししたら止めてやらないといけない。そうでないときっと、「殴りすぎ! 死んじゃうから!」という展開になってしまう。
「……はぁ、決まらない」
サナの場合はいい。甘々イチャイチャが始まるまでの、良い意味での定番と呼べる流れを自分の中に持っているから。
問題は、私。萌えるシチュエーション、描きたいシーンは山ほどあるのだけれど、それに至るまでの流れがなかなか思いつかないのだ。
毎度毎度、産みの苦しみ。こうして悩むたび、自分には才能がないんじゃないかって悲しくなる。でも、やっぱり描きたいから、苦しくても悲しくても手は止めない。そうしたら、出来上がったときの喜びはひとしおだから。
あの喜びを知ってしまったら、もうやめられない。二次でも一次でも、曲作りでも。
「神よ……! 降りてきて!」
私は雨を願う敬虔な人々のように、目を閉じて何かがアイディアをもたらしてくれるのを待った。
「部長さん、何だか姫川と真田の様子がおかしいんですけど」
「締め切り近いからね」
「締め切り?」
「そう。もうすぐ同人イベントがあって、それに本を出すためには間に合うように印刷所に原稿を提出しなきゃいけないんだよ」
「ああ、本の締め切りなんですね」
「そう。それで二人は煮詰まってて……あんまり何を呟いているかは聞かないであげて。というより、聞かない方がいいよ。特にサナさんのは。また腐海の毒にあてられて熱が出たらいけないからね」
「……はい」
今日も北大路は部室に来ていた。そして原稿に取りかかった途端に様子がおかしくなった私たちを目にして狼狽(うろた)えたらしい。
おかしくなっているのは自覚があるけれど、まだ良い方だ。特にサナ。彼女のいよいよ追い詰められた姿というのは、見慣れない人間にはきっと刺激が強いだろう。
「北大路、部室にひっついて来てるとこ悪いけど、こんな感じで入稿できるまで余裕ないから、曲のほうはまだできないよ」
「別に構わん。俺は心が広い男だからな」
「そう」
北大路はどうやら漫画を読みに来たみたいだ。
ショック発熱事件のあと、成人向けの過激な同人誌は部長が責任持って自宅へと持ち帰ったらしい。そのおかげで、今の部室には禁書・悪書の類いはない。だから北大路が勝手に本棚を漁っても、悲鳴をあげる心配も熱を出す心配もなくなったのだ。
あんなに衝撃的なものを目にしたのに、北大路はめげずに漫研の部室にやってくる。そして漫画を読んでいる。それが少し意外だった。
北大路みたいなモテるリア充は漫画なんてヒット作しか読まないし、オタクのことも道端の石ころ以下だと馬鹿にしているのだろうと思っていた。
でも、北大路は私たちのことをオタクだと馬鹿にすることはなかったし、漫研部に馴染みはじめてすらいる。
馴染むなよ、と言いたい。ここは私の日常だ。
まぁ、一曲作ってやれば納得して、もう私には関わらなくなるだろうけれど。
「なぁ、姫川はどんな漫画を描いてるんだ?」
「教えないよ」
「まさかお前もびぃ……」
「メーちゃんは腐ってないよ。メーちゃんは描くのは男女カプだけなの」
「まあね。男同士もおいしくいただけるけど、あれは才能いるからね。私にはうまく描けない」
「愛し合う気持ちは男女も男同士も基本は変わらないはずだよ?」
「そうよね……でもさ、男同士ならではの切なさとか儚さみたいなのがあるでしょ? あの境地に私はまだ達してないわけ!」
「わかるー! だって想像するしかないもん!でも……」
「だから萌える!」
「イェスッ!」
北大路そっちのけで、私とサナはガシッと握手を交わした。ふたりとも自己投影型の萌えの消費の仕方をしないから、ああだこうだと盛り上がることができる。
世の中にはサナのような男同士の恋愛に萌える腐女子という人種のほかに、自分を作中のキャラに見立てたり自分が感情移入するためのキャラを登場させたりしてヒロイン気分を楽しむ夢女子という種類のオタクの人もいる。そういった人とはネットとかで同じ作品が好きだということで交流を始めても、公式ヒロインの扱いが微妙だったり、男キャラ同士の話題にも気を使わなくてはならなかったりする。どちらが左か右かなんて話は、間違ってもできないし、私のように公式カップリング至上主義の人間は、その気がなくても夢女子さんにとっての地雷をばらまいてしまっている。
ヒロインも含めその作品が好きな私は、サナのようにヒロイン容認派の腐女子さんとのほうが気が合うことが多いのだ。
「……部長さん」
「だから、あまり触れないほうがいいって言ったでしょ」
いつの間にか私とサナで盛り上がってしまい、またもや北大路は部長に泣きついた。普段の光景なのだけれど、慣れない人間には恐ろしかろう。気持ち悪かろう。
でも、できればドン引きしてそのまま帰って欲しい。ここはリア充の来るべき場所じゃないの。
そうやって紳士然とした部長だって、他に男子部員がいるときは萌え談義に興じているのだから。まあ、私たちのように盛り上がりすぎて声が大きくなることは滅多にないけれど。