「いえ……別にそこまで見たいわけじゃ……」
「もー行かないとか言いっこなしだよ!」
私が、プログラムの紙をそっとムラモト先輩に返していると、サナがプンスカして走ってきた。
結構な距離を走ってきた様子なのに、私の声が聞こえていたっていうのだろうか。怖い。地獄耳怖い。さすが保健室の悪魔の異名を持つだけのことはある。
「メーちゃんがそんなウジウジする子だと思わなかった! ダメだよ! そんな弱虫な自分を、幽体離脱してぶん殴る勢いじゃなきゃ!」
サナは走ってきたそのままのテンションで私に訴えかけてくるから、わけがわからないことを言っている。それって、幽体で本体を殴るの? 本体で幽体を殴るの?
とりあえず、怒られているのはわかるけれど。
「ステージ見に行くのが何だって言うの? 何も怖いことないでしょうが! でも、行かないと後悔するよ?」
「後悔、するかな……?」
「する!」
サナの強い言葉に、ムラモト先輩もうんうん頷いて、「イケメンは見ときなって。タダで見られるイケメンは特に!」という謎の後押しをしてくる。
事情が飲み込めていない部長は、「当番のことだったら、本当に気にしなくていいから、みんなで仲良く行っておいでよ」なんて言ってくる。
私、後悔するんだろうか。ステージで歌う北大路を見ないと、後々になって悔いるのだろうか。
確かに、そうかもしれない。私は、北大路に恋心を抱いている以前に、あの歌声に惹かれているのだ。それを特別なステージで聴かないなんて、きっと、すごくもったいない……。
怖がっていないで、ちゃんと見ておかなきゃいけない気がして、そのことをサナに伝えようとしたとき、すごい勢いでこちらへ走ってくる人影が見えた。
「姫川さん、体育館に今すぐ行って!」
「本田さん⁈」
その人影は、もう馴染みになってしまった本田さんで、かなりの距離を走ってきたのか、息も絶え絶えになっていた。
「北大路くんが、ステージに立ったんだけど、『大事な人がまだ来てないから歌えない』って言い出したの。……それって、姫川さんのことでしょ?」
「え……わ、わかんない」
「わかんないじゃないでしょーが!」
気持ちが固まりかけたときに、伝令・本田さんの登場で、私は軽くパニックを起こしかけていた。そんな私の手をギュッと握って、サナが怒りながら走り出した。
「ま、待ってサナ」
「待たない! てか、待たせられないでしょ!」
「そうだよ! 走って、姫川さん」
サナに引っ張られる形でぐんぐんと走らされる。その横を、ピタリと本田さんも並走する。
文化祭を楽しんでいる人たちの波をぬって、私たちは走った。みんなそれぞれに文化祭を満喫しているから、女子三人が爆走していても誰の目にも不審には映らないようだった。
頭の整理も追いつかないまま、連れられるままに走って、とうとう体育館に到着してしまった。重たい鉄製の引き戸を開けて中に入ると、観客の視線が一斉に私たちに注がれる。
そのたくさんの視線から逃れるようにステージを見上げると、北大路と目が合った。「まさか」と思ったけれど、私の姿を確認した北大路は、ホッとしたように笑った。
「大変長らくお待たせしました。俺の待っていた人がやっと到着したので、演奏を始められます」
マイクを通した北大路の声に、パラパラと拍手がわく。
待たせたせいで会場が冷め切っていたらどうしようと思ったけれど、そんなことはないみたいで、少し安心する。
ステージに立つ北大路は、何と私の大好きなあのキャラのコスプレをしていて、私はしてやられたことに気がついた。これじゃお揃いだ。横を見ると、サナがニンマリとした顔で私を見ている。
走ったのとは別の理由で、私の心臓は高鳴り始めた。「これってもしかして……」とか「そんなまさか……」とか、いろんな感情が自分の中に生まれては消えてを繰り返して忙しない。
ステージの上から私の姿はどう見えるのだろう。北大路は、ただただいつもの自信に溢れた俺様の顔で微笑んでいる。
「俺、何日か前から好きな子に避けられてるんだ。怒らせたんだとは思うけど、何やったかわからないのに謝るのってよくないと思う」
マイクを握りしめて北大路は唐突にそんなことを言いはじめた。それを聞いた会場からは、冷やかすような声が上がる。
(ああ、やめて……!)
顔が熱くなって、息がしづらくなって、酸素を求める鯉みたいになっているのに、両脇をサナと本田さんにガッチリとガードされて私は動けなくなっていた。
本当なら、今すぐここから逃げ出したいのに。
「謝るわけにはいかないし、それに俺は言葉でうまく伝えられない気がするから、歌おうと思う。聞いてください。――『俺に彼女なんていないけど』」
まさかのチョイスに、会場から笑いが起こった。私も、絶対にカラオケで歌ったあの曲で泣かせにかかる気だと思っていただけに、体の力が抜けてしまった。
けれど、ひとたび演奏が始まれば笑いは引いていき、熱気と高揚感が会場を満たしていった。
ギターやドラムの音に乗って届く北大路の歌声は、カラオケで聴くのよりずっと魅力的だった。こんなにも響くのかというほど、ジンジンと胸にしみてくる。
平山と、おそらくコージと思われる男子がギターのポジションを争っておしくらまんじゅうのようにお尻で押しあっているのが目に入ると台無しになるから、恥ずかしいけれど私は北大路だけを見ることにした。
向こうも少しも視線を外すことなく私を見ているから、見つめ合う形になってしまってすごく照れる。
(どういうことなの? いつから? 何で?)
そんな疑問が頭に浮かぶけれど、とりあえず一旦脇に置いておこうと思う。
今はただ、北大路の歌声を聴いていたい。
これが終わったら、一発くらいパンチしてやりたい。どういうことなのかを、問い質してやりたい。
でも今は、俺様が恋を歌うのをきちんと聴き届けなければ。
歌うことが北大路なりの愛の告白なら、私はそれを聴く義務があるから。
これが終わったら、私も伝えようと思う。
“好き”のその先に何があるかわからないけれど、ただ好きだと北大路に聞いてもらいたい。