「涼介くんに迫ったらさー、『お前、あいつと別れたのか?』って聞いてきたんだよ。だから、『別れてないよ。でも付き合おうって言ってるわけじゃないから気にしなくていいよ』って答えたら、ショック受けたみたい。『付き合わないのにそんなことできない。告白より先に関係を求める女性なんて信用しない』だって。初心だよねー」

 盛田さんは私は聞いているかなどお構いなしに、ペラペラと話しはじめた。
 初心どころかあいつは童貞だよ! と私は声に出さずに相槌を打った。

「そのことがバレちゃって、でもなぜか涼介くんは私を庇って黙って退部。そのあとも気になるカッコイイ男の子とヤってみるけど、やっぱり違うのー。コレクションシートに空欄があるうちは、次に行っても落ち着かないっていうか……でも、それも今日で終わるけど☆」

(北大路ー来ないでー。ここにいるのはサキュバスですよ! 十八歳未満お断りな存在ですよ! 食べられちゃうよ! ショック熱が出るどころの騒ぎじゃないよ!)
 私はそう叫ぶかメッセージを送るかしたかったけれど、淫魔がニコニコとスマホを見せつけてくるから動くことすらできなかった。
 私のスキャンティーと北大路の貞操。天秤にかけると若干後者が重い気がするけれど、でも、やっぱり動けなかった。
(北大路、来ないで。)
 私は、北大路がバンドを辞めなければいけなかった根源と対峙しながら、ただ祈るしかなかった。
 でも、そんな祈りは虚しく、北大路はやってきてしまった。

「姫川! ……って!」

 私の元まで無邪気に駆けてきていた北大路の足が、盛田さんの姿を視認した瞬間ピタリと止まった。笑顔もなくなって、無表情になっている。まるで、嫌いな人に対峙したときの幼児だ。親戚の子供がママにはニコニコなのに、パパが呼ぶとこんな感じになるのだ。
 でも、幼児と化した北大路はすぐに思い直したようにこちらへやってきた。

「……盛田が、姫川を使って俺を呼び出したんだな」
「そうだよー。だってこうでもしないと涼介くん、美結のこと無視するんだもん」

 ピリピリしているのはすぐわかるのに、そんなものにはめげずに盛田さんは北大路の腕にまとわりつこうとしていた。肉感的な魅惑のボディを北大路にうりうりと押しつけている。ああ、これが誘惑か! とお子様の私は目のやり場に困ってしまう。
 北大路はそんなものじゃ揺らがないのか、そっと手で振り払って距離をとった。

「何度も言ってるけど、俺はお前には関わらない。そのためにバンドも辞めた」
「ダメだよ。今日こそ美結の言うこと聞いてもらう。じゃないと、姫川ちゃんの恥ずかしい写真ばらまくから!」

 盛田さんの言葉に、北大路は驚いたように私を見た。そしてようやく、私が人質にとられていることに気がついたらしい。

「涼介くんが美結の言うこと聞いてくれたら姫川ちゃんはかわいそうな思いをしなくて済むし、コージに頼んでバンドにも戻してあげる! またバンドで歌いたいんでしょ? なら、良いことずくめじゃない。美結は嬉しいし、涼介くんも嬉しい」

 盛田さんは、さも良い提案をしたというように極上の笑顔を北大路に向けていた。それとは対照的に北大路は青ざめた顔をしている。
 よく見ると、体も震えている。
(そうか。怖いんだ。)
 目の前で繰り広げられているのがもし男女逆だったら、大変なことだ。ニコニコ笑って脅しながら肉体関係を迫るって、鬼畜じゃねーか!
 それに気がついたら、スッと体の奥の温度が下がるような感覚があった。
 肝が据わるって、もしかしたらこういうことを言うのかもしれない。

「北大路、大丈夫だよ。その人の言ってる脅しって大したもんじゃないから」

 気がつくと、私はそんなことを口走っていた。
 さっきまで「キャー私のおパンツ写真!」だなんて焦っていたけれど、たかがパンツだ。大丈夫。そんなことで私の尊厳は死なない。
 けれど、北大路の貞操は、奪われれば確実に死ぬ。北大路の、心の大切な部分が。
 それを守れるのなら、パンツくらいいくらでも見せてやる。

「姫川ちゃん、いいの? 今からこれ、いろんな人に送っちゃうよ?」
「いいよ。やれよ、ほら。北大路、このビッ……性に乱れたお嬢さんの言うこと聞かなくていいから」

 思わずお下品な言葉が出そうになってしまって、グッと堪えた。こういうとき、もっとオブラートに包めるよう語彙を増やしたい。
 開き直った私に対して、盛田さんはうろたえていた。北大路は、どうすれば良いか悩んでいるのか、私と盛田さんを交互に見ていた。
 でも、覚悟を決めたのか、勢いよく体を折って頭を下げた。

「すまん! 盛田、俺は初めては絶対に大好きな子に捧げたいと思っている。だから、お前の言うことは聞いてやれない!」

 その発言の内容に、なぜか私が恥ずかしくなってしまった。お前は乙女か!
 けれど、そんな乙女に対して盛田さんは、冷めきった目をしている。私にすら向けなかった、ものすごく冷酷な視線だ。
 北大路はその視線に若干怯みながらも、懸命に言葉を紡ぎ続けた。

「コージはお前のことが本当に好きなんだから、大事にしてやってくれ」
「大事にって……美結がどんなことしててもいいから別れたくないって言ってるのはあいつだからね? コージは、美結がいろんな子と寝てても構わないって。それを大事にしてやれだなんて、バッカみたい」
「それでもだ。……それぐらい、惚れてるんだよ。それと、自分のことも大事にしろ」
「は? 美結、自分が大事だから好きに生きてる結果がこれだけど? 説教なんてしないでよ。ダッサ! 重たいよアンタ!」
「重くていいさ。俺は不誠実なのは嫌なんだ」
「美結は自分の気持ちに誠実なの! カッコイイ男とヤリたいって、そんなにいけないこと? 女の子なら多かれ少なかれみんな同じ気持ちでいるはずだよ! それを実行するかしないかの違いしかない」
「大きな違いだ。いつか本当に大切な人ができたとき、胸を張れる自分でいたいから、俺は盛田を理解できない」

 最後のほうは駄々っ子のようになっていた盛田さんは、やがて諦めたように目を伏せた。苛立たしげに唇を噛み締めて、乱暴にスマホを操作すると、また顔を上げてこちらを見た。

「……写真は消した。姫川ちゃん、ごめんね」
「……うん」
「……涼介くん、欲しかった」
「すまん、やれん」

 私たちの返事を聞くと、盛田さんはトボトボと一人帰っていった。
 フルコンプしたいという気持ちにおいてだけは理解できるから、ちょっぴりその背中が切ない。
 でも、ダメなものはダメなのだ。
 欲しいものがあるからって転売ヤーからものを買ってはいけないのと、きっと同じだ。正当な手段で手に入れる努力をし、その結果ダメだったのならすっぱりあきらめる。それが盛田さんの活動にもオタ活にも共通することだと思う。

 取り残された私と北大路は、顔を見合わせて、大きな溜息をついた。

「北大路、ごめんね。のこのこ呼び出しに応じたら、迷惑かけちゃって」
「いや、元は俺のことに巻き込んでしまったわけだから」

 こんなことならバンドを辞めた理由を北大路本人に聞いておけばよかったと、私は激しく後悔した。
 知っていれば、たぶん盛田さんには近づかなかった。近づかなかったというより、最重要人物としてマークしたはずだ。

「貞操の危機だったね」
「……ああ」

 北大路は怖かったのか、自分の体を抱きしめて身震いをする。あんな子に迫られたら年頃の男子なんてひとたまりもないだろうに、既得な奴だ。でも、頑張ったねと評価してやりたい。

「バンド、他のメンバーの誤解を解いたら戻れない?」
「……どこからどこまで話すかってことを考えると、な」
「コージって人のこと考えての決断なんだね」

 北大路は、黙って頷いた。そこに迷いはなかった。
 私を追いかけ回してまで曲を作らせたやつだ。バンドに未練がないはずないのに。
 仲間のためにバンドを諦めた北大路のために、頑張って良い曲を作ろうと私はこっそり誓った。