「いらっしゃいませ」


「こんにちは」


「今日はどういったものをお探しですか??」


「そうねえ…」


私、環月佐那(カンヅキ サナ)は今年29歳になる、業界ではそれなりに名の知れたアパレルの主任を任されていた。


若者向けからある程度の年代層まで幅広く取り扱う[KAruMA]。


学生時代から憧れのファッションブランドとして崇め愛着を持ち、服飾の専門学校を卒業後、この会社のみを第一志望としていた。


その甲斐あって無事就職でき、数店舗で経験を重ね、来年には勤続10年になろうとしていた。


常連のお客様もつき、キャリアウーマン向けの商品も扱っていた。


店舗はテナントビルの1階。全5階建てで上の階にはメンズファッションや、化粧品会社のブランドも取り扱っていた。




「いらっしゃいませ…」


また来た。
あの男。


"あの男"というのは、どう見ても大学生くらいの。少年のような雰囲気の抜けない、あどけない笑顔でお店に近付く。


白のTシャツに焦げ茶のジャケットを羽織り、デニムパンツで革のカジュアルシューズ。


一応小ましな服装ではあるけれど、所詮は子供。


「また来ちゃった、佐那ちゃん」


「商品整理してきますね」


なぜか気を利かせてレジを離れる店員の狭山円香(サヤマ マドカ)。


「かわいい彼氏ですね」


初めて来たときも、からかわれた。
彼女はこの店の担当でメーカー勤務のイケメン営業マンと、去年結婚したての正社員。2歳年下だった。


「いいから。いて」


そう言ってもそそくさと逃げるように離れる。


彼女は私の彼氏の存在を知らない。なぜなら内緒で付き合っている上司。副社長だから。


内緒というか、きっかけもなく、言う必要もないかと思っていた。




「下の名前で馴れ馴れしく呼ぶの、やめてくれない??これでも年上なんだし、あなたから見たらおばさんなんだから」


けれどお構いなしに商品を手に取ると、


「そんなことないよ佐那ちゃん、若いもの。それより、その服よりこっちの方が可愛いよ」


宣伝も兼ねてお店の服を着るようにしている。アパレルではよくあることだ。


結構お気に入りのコーディネートだったのに。こんなお子さまにダメ出しされてしまったことにムッとした。


「だから!!」


「あっ、ごめんね??傷つけちゃった??でもホントに。マジで。こっちのシャツの方がいいって。ほら」


ハンガーに掛けたまま、あてがおうとする。


「あっ、いらっしゃいませ」


他の女性客が覗きに来たので慌てて離れる。


「じゃあ、お仕事、頑張ってね!!また来るね!!」


ぶんぶんと本当に子供のように無邪気に手を振る。自分の気分で適当にからかうだけからかって、帰りはあっさり帰る。





そもそも。きつく言えない理由があった。


―――3ヶ月前。


大切な会議の日。
いつもより一本早く乗った電車が人身事故で遅れ、運悪く携帯電話の充電をし忘れていた。困り果てていたとき。


「これ、使いますか」


ふと、目の前に差し出されたスマートフォン。


「えっ!?でも…」


「何か困ってそうだし。よかったら使ってよ。履歴は目の前で消すから」


大学生くらいだろうか。ラフな服装。ふわりとした髪。無邪気に微笑むその顔に、


「………ありがとう。助かる」


何かあったときのために、スケジュール帳に常備している名刺を頼りに会社に電話を掛け、事情を説明した。


登録だけして安心してはいけないと。


電話番号なんて、全部覚えているわけではない。





「ありがとう。助かった」


「ねえ、名前だけ教えてよ」


「はっ!?」


「お礼なんて要らないからさ、おねーさん、好みのタイプなんだ俺。名前だけ教えてよ」


何を言ってるのこの子は!?


「お断りします。それじゃあこれで。どうもありがとう」


迂闊にも動揺してしまった私は、履歴を消す約束と実行を確かめる作業を怠ってしまった。


「[KAmuRA]……か。登録しとこ」





***


彼のお陰で会議にはギリギリ間に合った。お咎めもとくになく、発案資料も採用された。


数日後。


「お疲れさま」


「ただ、副社長」


名前で言いかけて換えた。


「そこまで来たから寄ってみたんだ。頑張ってるね」


爽やかに微笑む彼は、185㎝の長身。短めの髪をムースで整え、優しく穏やかな目、すっきりと整った顔立ちのイケメンだ。


そして私の彼氏。
私が30歳になる来年にでも結婚を視野に入れて、と思っていた。


「今夜、食事でもどうかな」


耳元で囁かれ、


「是非!!」


思わず声を張ってしまい、口を押さえる。


新店舗立ち上げの大事な時期だから、みんなには内緒でと釘を刺されていた。


その店が完成したら、私を店長にして、結婚しようと。


幸せだった。
こんなイケメンの彼氏と幸せな結婚。


なんの苦労もない生活。
毎日彼のために美味しい食事を作って待って。


好きなブランドの会社で好きな仕事を任されて。


こんな幸せ、そうそうない。
この年まで待った甲斐があった。