しかし、一億円はあまりにも現実からかけ離れた金額だった。

 これが10万円くらいだったら、まだなんとかなりそうとは思うが、一億円となると、簡単に人にあげられる金額ではない。

 あまりのインパクトに、今日という日は結局ノゾミにしてやられて振り回された。
 俺はまたもう一つ苺をつまみ、パクッと口に入れた。

 これもまた甘みが強く、頬が緩んでしまい、俺はあまりの馬鹿げた事を信じようとしてることに笑えてくるようだった。

 しかし、それとは対照的に、母親が傍で溜息を吐き出した。

「ん? なんかあったの?」

 すこしマザコン気味に、俺はちょっと心配になった。

「うん、今日、広崎病院の院長から連絡があって、一度、嶺(レイ)と会いたいって言ってきた」

「広崎病院の院長って、それって」

「そう、嶺のお父さん」

「ちょっと待ってくれ。なんで今更俺に会いたいんだよ。今までずっと連絡寄越さなかったくせに」

「向こうも色々と事情があるのかもしれないけど、ほんと今更よね。だけど、これもいい機会として割り切ればいいのかも」

「どうしたんだよ、お母さん。憎き相手じゃなかったのか」

「それもそうなんだけど、嶺の将来のことを考えたら、そんな事言ってる暇がないんじゃないかって思えて」

「待って、どういうことだよ」

「向こうは嶺を医者として育てて、いずれは広崎家の跡取りとしたいんだって」

「あっちにはすでにそういう息子がいるじゃないか」

「それが、勉強の面ではあまり芳しくないらしくて、来年高校らしいけど、行き詰っているみたい。そこで嶺の事を調べたら、条件に適ったらしく、来年の大学受験で是非とも医学部を目指して欲しいんだって。大学費用は全て持つと言ってるわ」

 突然のオファーに俺は面食らった。

 俺が答えに困っていると、母は「どうする?」って他人事のように訊いてきた。

「どうするって軽々しく言われても、複雑な感情もあるし、そんなのすぐに決められない」

「はっきりと嫌だと言わないということは、受けてもいい選択もあるってことね」

「ちょっと待ってくれ」

 俺は、どうしていいかわからなくなり、また苺を手にして口に放り込んだ。

 甘いはずなのに、急にそれが味わえない。

 ぐしゃっと口の中でつぶれて、細かい種が歯に挟まってしまった。