久遠財閥っていったら、不動産業の中でも大手だしもちろんホテル経営もしている。
だとすると、そのホテルの一室を自室代わりにしていてもおかしくはないのかもしれないし……。
ホテル暮らしが当たり前なんだろうか。
そう思って聞くと、久遠さんはわずかに眉間にシワを寄せ視線を上げる。
どうやら太陽の日差しにやられているようだった。
平日の十三時過ぎの駅前には、ランチに出ているサラリーマンやOLが目立っていた。
すれ違う女性ふたり組が、久遠さんを見てキャッキャ言っているのを横目で見て、久遠さんが美形なのを思い出す。
こうして並んで歩くと背も高いし、そこにモデルみたいな顔が乗ってるんだから、女性が思わず振り返っちゃうのもわかる気がする。
「家はあるけど、落ち着かねーからほとんどホテルに泊まってる」
落ち着かないってなんでだろう……と考え首を捻る。
「家ってひとり暮らしの部屋があるってことですか?」
「まぁ、そう」
「あ、じゃあ、身の回りのことができないから、ホテルみたいな場所じゃないと暮らせないとか?」
久遠さんって基本、家事とかできなそうだし、やらなそうだ。
そう思い聞くと「それもあるけど」と返される。
「ひとりの部屋って落ち着かないんだよ。他人の気配に敏感になるっていうか、そんな感じで。でも、ホテルなら、他人がいて当たり前だから」
「え……それはホラー的な……?」
ひとり暮らししてる部屋なのに人の気配がするとか、怖い。
思わず眉を潜めると、久遠さんはそんな私に呆れたような眼差しを向けたあと「そういうオカルト的なことじゃない」と否定した。
「あ、ならよかったです。でも、他人の気配がダメって……家族でもダメなんですか?」
小さい頃から一緒なら、家族だけは別に思えるけど……と不思議になり聞いた私に、久遠さんは少し黙ってから「ダメ」と短く答えた。
いつも通りの無表情な横顔にわずかな感情が混ざった気がして引っかかったけれど。
なんとなく触れられたくないことのような気がして話題を変える。
「久遠さんは歩くのがゆっくりだから並んで歩いてても楽です。これが社長だと、もともとのリーチが違うのにスタスタ歩かれちゃうから追いかけるのが大変で」
共通の話題……と思い、社長の話を出すと、久遠さんは私に横目をくれてから「あいつ、中学ん時から歩くの速いんだよな」と言う。
「へぇ。中学ってほとんど学ランですよね? なんか社長、強面だし学ラン似合わなそう……」
「学校でぶっちぎりで似合ってなかった。あいつ、もともと老け顔だからな。中学ん時から今みたいな顔だったし。やっと顔に歳が追いついた感じ」
ふたりで社長のことを散々に言いながら、たまに笑って歩く。
そして、駅のなかにある百均についたところで、「ここです」と指さし店内に進む。
駅中にある店舗だしそこまで大きくはない。
それでも食器のコーナーに行くと急須が置かれていて、よかったと安心しながらそれを手にとった。
「白いのでいいですかね。なんかホテルの部屋に茶褐色の急須も似合わなそうだし」
隣に大人しく立っている久遠さんに聞くと「別に色なんかどうでもいいけど」と言ったあと、首を傾げられた。
「値札は?」
「ああ、お金持ちでも値札はちゃんと見てから買うんですね」
「馬鹿にすんな。それ、前、三ノ宮にも言われたけど、そこまで無頓着じゃねーよ」
ギロッと睨まれ、クスクスと笑う。
「じゃあお会計して出ましょうか。……あ、ちなみに百円の会計でカードなんか出したらひんしゅくかいますから、私が払います」
バッグのなかからお財布を出しながら言うと、「現金ならあるから俺が払う」と言われ驚く。
すると、不満そうな顔を向けられた。
「それも三ノ宮に言われたことあるけど、おまえらの金持ちの認識ってどうなってんだよ。普通、現金くらい持ち歩くだろ。カード使えない店だってあるし」
「そうですけど……なんか、ドラマとかだとみんな揃って持ってないから」
ちゃんと持ってるのか……と感心しながらふたりでレジに並ぶ。
……けれど。
「え……ちょっと、久遠さん。一万円じゃさすがに……小銭持ってないんですか?」
「かさばるし、これしかない」
「いいです。私が支払います」
堂々と言う久遠さんを見て、社長と私のお金持ち認識はほぼ合ってたなぁと思い直しながら、一度しまったお財布を取り出した。
◇不器用な慰め方
それからというもの、久遠さんの呼び出しが頻繁に入るようになった。
社長を通すから仕事としてだし、変なこともされないから別に構わないとはいえ……。
呼び出されても、そのほとんどがただ一緒に時間を過ごすだけなのにお金をもらうのは、なんだかすごく申し訳ない気がしてしまう。
それを、お昼ごはんを食べながら社長にこぼしたら笑われてしまった。
「久遠にとって、一緒にいて苦痛じゃない相手ってすげー限られるんだよ。俺が知る限りだと俺くらいしかいないんじゃねーかな」
「え……そんなに? ちなみに吉井さんは? 吉井さんも他人と一緒にいるの苦痛そうですけど」
向かいの席に座ってピザを食べている吉井さんに聞く。
今日のお昼ごはんは、社長のおごりで宅配ピザだ。
一枚頼むと二枚目が無料っていうキャンペーン中だから仕方なくおごってやる、と朝一番に偉そうに言われて。
みみの部分にまでチーズがたっぷりなピザは、私と吉井さんふたりがかりで食べてやっと一枚完食できるかなってくらいにボリュームがあった。
吉井さんのデスクには、ピザだけじゃ栄養が偏りそうだからと私が差し入れたパックの野菜ジュースが置いてある。
『にんじんベース苦手なのに……』とか文句を言ってたけど、きちんと飲んでいるようで、よしよしと心の中で思う。
久遠さんもだけど、吉井さんも栄養管理をしてあげないとそのうち倒れる類の人だ。
そんな吉井さんは、わずかに眉を寄せ私の問いに答える。
「一緒にいて苦痛とまでは思わないけど……それ、何時間の話? 授業とか仕事じゃなくてプライベートで会うんだったら二時間までが限界。
佐和さん、ピザあと何切れいける? 俺もう腹九分超えたんだけど」
「あとひと切れが限界です。っていうか、半分は食べてくださいよ。
プライベートで二時間……え、短すぎません? それって友達だけじゃなくて恋人でも?」
八つにカットされていたピザの残りは四切れ。
私は三切れ食べたから、吉井さんはまだ一切れしか食べていないことになる。
それで腹九分って言う吉井さんの食の細さが心配になりながら、ピザに手を伸ばす。
これで一応の私のノルマは達成だ。
「恋人でも無理。前、一回付き合ったとき、部屋に遊びにきた彼女が全然帰ってくれなくて、そのうちに〝泊まりたい〟とか言い出したから、土下座して帰って下さいって頼んだくらい無理。
社長は平気なんですか? 女とずっと一緒とか」
ひとりで一枚のピザを平らげた社長は、食後の煙草を吸いながら「あー、俺も無理だなぁ」と苦笑いを浮かべる。
「友達とか同僚ならどれだけいても気になんねーけど、彼女ってなるとなぁ。一泊くらいならいいけど、何日もってなるとキツい。
気遣わなくていいとか言う女もいるけど、そうじゃねーんだよなぁ。一緒にいる空気がもうダメっつーか。空気の共用がきつい」
「あー、すごいわかる。そう。もういられるだけでダメな感じ。俺に気を遣ってくれるならひとりにして欲しいって思う」
「それなぁ。でも、俺も〝なんでも頼んでいいよ〟とか言うから、じゃあ二時間ひとりで出かけてこいって言ったらケンカになったことあるから、言わない方がいいぞ。面倒くせー女はそういうこと言うとキレるから」
「……〝面倒くせー女〟じゃなくても、大半の女性が怒るんじゃないですかね」
男の人って総じてそうなんだろうか。
それとも、ここにいるふたりが特殊なだけで、世の中の男性全体で見れば、そこまでパーセンテージは高くないのかな、と疑問に思う。
少なくとも、私が過去付き合ってきた男の人は、旅行も嫌がっていないようには見えたけど……気を遣ってただけなんだろうか。
目の前で飛び交う衝撃的な会話に眉を寄せながら、最後のひとくちとなったピザを口の中に入れる。
っていうか女性といるの二時間が限界って。
久遠さんのところに行くと、長いときは六時間くらい一緒にいるけど、久遠さんは苦痛じゃないんだろうか。
私にとって仕事は仕事だけど、だからといって一緒にいるときに気を遣ったりってしないし、初めて会った日に関係を持ってしまったこともあるのか、完全に素をさらしてるけど……。
考えてみれば、それはそれで問題かもしれない、と思いながら、残りふた切れになったピザを社長に箱ごと突き出す。
「社長。吉井さんが戦力外になりました」
まだ二枚目だっていうのにかなり苦しそうな吉井さんを見ながら言うと、社長は「最初っから戦力に数えてねーよ」とハッハと笑い、箱を受け取る。
残りふた切れを引き受けてくれるらしい。
「社長はちゃんと食べますよね。吉井さんとか久遠さんみてると自分の食欲に不安を覚えるので、もりもり食べてくれると安心します」
私が大食漢なんだろうか……と心配になったりもするから。
ひと口でひと切れの半分ほど口に入れた社長が、「そういや、久遠も小食だからな」と食べながら言う。
「吉井さんほどじゃないですけど……私と同じくらいだったし、男の人にしては食が細いですよね。一緒にいると、私の食べてるものをつまんだりしてますけど、ひとりの時とか水だけで過ごしてそうなイメージあります」
「高校んときとか、学食行ってもダイエット中の女子みたいな量しか食わなかったからなぁ。あんまり食に対してのこだわりもなさそうだし。
もったいねぇよなー。金あるんだから、うまいもん食べようとすれば食べられんのに」
そういえば、クロワッサンのことも知らなそうだったしなぁと思う。
高校のころからあんな感じだったのか……。
しかも、友達全然いなかったのかと思うと、不憫に思えてしまって仕方ない。
どう考えても私に同情されるような立場の人じゃないのに。
「まぁ、とにかくあれだ。おまえのことはなんでだか気に入ってるみたいだし、よくしてやってくれよな」
〝久遠さんの友達〟として言ってくる社長に「仕事なのでちゃんとします」と答え目を逸らす。
私には一緒にパズルをしたり、どうでもいい話をするくらいしかできないけれど。
お茶くらいならおいしく淹れてあげようと思った。
百均で買った急須に、特に高くもない茶葉を入れ、お湯をそそぐ。
しばらく蒸したあと、ティーカップにコポコポと注ぐと、緑茶のいい香りがふわっと空気に混ざった。
濃い緑色はティーパックでは決して出せない濃さだ。
久遠さんにお茶を淹れ始めてから少しして気付いたけれど、久遠さんはどうやら濃い目が好きらしい。
目の疲れや充血にどれだけの効果を発しているかは定かではないけど、まぁ、私的には、飲まないよりはいいだろうって程度の意識だし、久遠さんについてはもう、ただ味が好みってだけだと思う。
「はい。お茶」
ローテーブルの前。いつもの定位置に座った久遠さんが、淹れたばかりの緑茶に手を伸ばす。
ずず……と熱いお茶を飲む姿を眺めて、私も自分のティーカップを口に運んだ。
なんとなくではあるけれど、初めて会ったときよりも顔色はよくなった気もするし、隈も多少薄くなった気がする。
でも、相変わらず覇気はないなぁと思いながら眺めてから、さっきまで久遠さんが座っていたデスクに視線を移す。
久遠さんは今日、どうやら仕事をしていたようで、私がきたときにはパソコンに向かっていた。
きちんと仕事をしている姿に驚いた私を、久遠さんは「おまえ、どんだけ失礼なんだよ」と睨んだけど……言われてみて、たしかに……と思った。
病人の看病してると無意識に思っていたのか、仕事なんかして大丈夫かな……?と瞬間的に心配してしまったけれど、久遠さんは別に病人じゃない。
……まぁ、病院に通えばそれなりの病名がつきそうではあるけれど。
「久遠さんは、こうして私を呼びますけど、一緒にいて息苦しくなったりしませんか?」
「なに、急に」
片手を後ろにつき、片手ではカップを口に運ぶ久遠さんに、社長や吉井さんのことを説明する。
「この間、プライベートで異性と一緒にいるのは二時間くらいが最適だって話になって。
私はそうは思わないんですけど、男性ふたりの意見がそれで一致していたので、久遠さんもそうっぽいなーと思いまして」
久遠さんの周りは、相変わらずクッションが筋斗雲状態だけど、私のお尻の下にも、クッションが敷かれている。
ここに来るようになって二日が経ったとき、久遠さんが「使え」と差し出してきてくれたから、それからというもの、このクッションは私専用になっている。
片手を身体の後ろの床についた体勢の久遠さんは、表情を変えずに言う。