次の日の朝。
ちょっと早起きをして、支度を整える
お洋服、何着ていこうか
大して今までおしゃれに関心のなかった私
は、クローゼットを開けてしばし沈黙
数少ない外出着をピックアップした私は、
さらに沈黙
ああ、こういう日が来ることを、ちゃんと
考えておくべきだった…
花も実もある、女子高生なのに_
時間が迫る
結局、シンプルな白い半袖パフスリーヴの
ブラウスに、同じく白っぽい花柄フレアー
スカートをチョイス
もたもた、あせあせしている私を、鬼軍曹
(お母さん)がせき立てる
「りおか!早うせんと!カレシがお待ちかね
やで!」
「もう!わかっとうよ!」
さらに…
今までろくにメイクもしたこともなかった
私……
お母さんにメイクを教えてもらい、セミロ
ングの髪型も整えて、バタバタと家を出る
家の前で、お母さんが見送る
「尾山りおか君、ばんざあい!」
私は出征兵士か?
ご近所迷惑になり、しかも恥ずかしいの
で、そそくさと家の前から走り抜け、神社
の前に急ぐ
いつもの、待ち合わせ場所…
テツ君は、すでに到着している
「りおかどの、お早う」
テツ君は、黒いポロシャツ、黒いジーン
ズ、黒いスニーカー。さらに黒い小型のリ
ュックサックという出で立ち
黒ずくめだ…忍者?カラス?
「りおかどの、そなたの私服姿、初めて拝
見したぞ。美しいな」
私の私服を、実にストレートに誉めてくれ
る
嬉しいやら、恥ずかしいやら…
「ありがとう、テツ君も、かっこいいよ」
「そうか、実は姉者がこおでねえとしてく
れたのじゃ。」
なるほど…いつも黒いビジネススーツをまと
っているレイコさんが『こおでねえと』す
ると、こうなっちゃうのね…
でも、長身でスポーツ刈りのテツ君には、
黒ずくめスタイルが似合っているかも
「では、いざ」
テツ君が促す
私たちは、駅までの長い坂道を下っていく
JRの駅から電車に乗り、2駅でこの街の一
番大きいターミナル駅へ
私鉄に乗り換える
電車は、しばらく地下を走るが、そのうち
地上に出て、住宅地を縫うようにして走る
テツ君は初めて電車に乗った子供のように
(いや、実際、彼にとっては初めての経験な
のだろうが)、物珍しそうに車内や車窓を眺
めている
「これが『とれいん』…松陰先生のおっしゃ
っておられた西洋の陸蒸気(おかじょうき)
が、ここまで進歩するとは…」
…陸蒸気って、昔の蒸気機関車のことね。
やがて電車は市街地を走り抜け、海沿いの
線路を走り始める
…山がそのまま海に落ち込んだような、平地
のほとんどない海沿いの駅で電車を降りる
民家はほとんどない。海と山の間には、電
車の線路と国道だけ
ちなみにここには東西に細長い公園があ
り、桜の季節にはお花見客が大挙押し寄せ
る。その公園の片隅に…本日の第一目的地
古びた『古戦場』と書かれた石碑 …
「テツ君、ここはね、」
「?」
「源平の合戦場跡だよ」
「なに、ここが…?」
彼は感慨深げに、周りを見渡す
…そう、『一の谷の合戦』…
…都を追われていた平家軍は勢いを盛り返
し、再度都に戻らんとして、この地に陣を
張っていた
東西に細長い土地、背後は山地、全面は海
という、強固な陣地において、平家軍は完
全に油断していた。そこへ…
急斜面の山地(ほとんど崖)を源義経が一気に
かけ降り、平家の陣地に攻め込んだ
…有名な『鵯越の逆落とし』だ
少数精鋭の源氏軍が乱入してきたことによ
り、平家軍はあわてふためき、総崩れとな
り、我先に海へと逃げ、船で退却した
…テツ君は石碑から、山の方を眺めている
「このような急な坂を、義経どのは…」
今ではハイキングのための登山道が整備さ
れている。山上に行くためのロープウェイ
まであるが、当時は急峻な崖しかなかった
に違いない
そんな崖を、奇襲作戦とはいえ、馬に乗っ
てかけ降りたとは…
…その時、逃げ遅れた若武者を追いかけて、
源氏軍の武将が追いすがり、勝負を挑んで
若武者を組伏せた
若武者は観念し、「早く首を切れ」と訴え
たが、源氏の武将は哀れに思い、若武者を
逃がそうとした
しかし、味方の軍勢が応援に駆けつける
中、武将はやむ無く、泣く泣く若武者の首
を討ち取る
…この有名なエピソードの若武者が「平敦
盛」、源氏の武将が「熊谷直実」だ
テツ君と私は公園を出て、薄暗い森の中へ
向かう。そこに、「平敦盛」の供養塔らし
きものを発見する
私たちは供養塔に並んで向き合い、両手を
合わせる
…多分、平敦盛は16歳くらいだったはず
私たちと、同年代だ
戦場の露と消えた若武者…
無念で、悲しかっただろうな…
私たちは少し小高い丘に上がる。6月の、キ
ラキラと輝く、群青の海が見下ろせる
海を眺めている私たちの横を、家族連れの
ハイキング客が通り抜ける
平和だな…
こんなきれいな、美しい場所で、昔戦争が
あったなんて…
目を閉じる
聞こえる
軍馬のいななき、兵士たちの雄叫び
剣の触れ合う音
琵琶法師の、低い声…あれ?
目を開け、隣のテツ君を見上げる
カッと目を開き、何やらブツブツ言ってい
る
「…祇園精舎の鐘の声…諸行無常の響きあ
り…沙羅双樹の花の色…盛者必衰の理を顕
す…」
…平家物語だ
ブツブツ言っているテツ君の声はやがて、
詩吟のような朗々とした低い声となり、辺
りにこだまする
琵琶の音が、聞こえてきそうだ
色々知ってるんだな、この人
さすがの私も、平家物語は知っている
しかし、それも冒頭の有名なフレーズだけ
だ
テツ君の平家物語朗読は、さらに続く
初め、聞き惚れていた私は、そのうち「い
つ終わるんだろう」と不安になってくる
全文は、相当長いはずだ
「あのう、テツ君?」
続く
「テツ、君?」
まだ続く
「テツ君、ってば」
たまらず私はテツ君のTシャツの袖をつか
み、引っ張る
…ハッと我に帰った様子でテツ君は私を見て
「おお、すまぬ、りおかどの
拙者つい、平家物語を口走っていたようだ
な」
「テツ君、さすがによう知っとうね
どこで覚えたの?」
「松陰先生が、教えてくれた」
ううん、すごいな。吉田松陰先生恐るべし
…今日は日曜日だからか、ハイキング客も多
い
私たちは山道を登ってくるハイキング客達
に逆行し、駅までの道を下っていく
お昼前になり、お腹が空いてきた私たち
は、市内でお昼御飯を食べることにする
電車に乗り、市内中心部の駅で降り、市街
地を歩く
一段と賑やかなエリアに出る。赤と金色の
派手な装飾に包まれた…そう、ここは全国で
も有数の中国人街。
日曜日だから、とにかく人、人、人で溢れ
返っている