僕 「もしもし」
佳子「はい。もしもし」
僕 「あの、石井です」
佳子「あら、ワンコちゃん」


峠の上でもないのに、ワンコちゃんと呼ばれた。


僕 「あの、今回は本当にお世話になりました。
   ありがとうございました」
佳子「ううん、大変だったね」
僕 「いえ、僕は全然ですけど、
   みわちゃんは、ずいぶん大変だったと思います。
   お父さんも捕まってしまったし」
佳子「あら、あんなにだまされていたのに、
   ワンコちゃん、ずいぶんやさしいのね」
僕 「いえ、だって、だまされていたのは
   僕にも原因があって、ちゃんとみわちゃんの話を聞かずに
   めんどくさいって思って、日々過ごしていたからだと思います」
佳子「そうなの?」
僕 「はい。僕、大人になってから、めんどくさいことを避けてきたんです。
   それを今回、思い知りました」
佳子「そうそう。面倒くさいを避けても、結局はもっと面倒なことになるからね。
   でも今回は本当におつかれさま」
僕 「はい。ありがとうございました。お世話になりました。
   失礼しました--」


僕がそう言って電話を切ろうとすると、佳子さんが遮った。


佳子「ちょっと、待って」
僕 「…何ですか?」


佳子さんは、一息ついてから言った。


佳子「おつかれさま会、しようよ」
僕 「おつかれさま会、ですか」
佳子「そう。ワンコちゃんに、会いたいし」

ええ。また会ってくれるんですか。
僕はうれしかった。


佳子「じゃあ、また峠の上に来てくれないかな。おもてなしするから」
僕 「え、いいんですか!ありがとうございます!」
佳子「えへ、喜んでるね。子供だねえ(笑)」


ずいぶん前に言われたような台詞をまた言われたが、
僕はまったくかまわなかった。
また、佳子さんに会える。それだけでうれしかった。そして、日時を約束した。

僕がまた泊まりが当たっている日の翌日。
たまたま佳子さんもダンスの教室が休みだという。


佳子「うん、この日だったらお日柄もいいわ」

お日柄?何のことだろうと思ったが、佳子さんは立て続けに言った。

佳子「天気もよさそうだから、楽しみね」

ああ、お日柄って天気のことか。僕はそれくらいの受け止めだった。
でも天気のことだったら、予報士の僕に言わせてください、とも思った。

何はともあれ、また佳子さんに会える。僕はその日を、楽しみに待った。












その日の待ち合わせは、新宿駅にした。
ここ最近で、3回目の箱根の往路。
3回のうち、一番気が楽で、楽しみな往路だ。
佳子さんは定刻に、藤色のワンピースで現われた。

僕 「あの、きれいですね」
佳子「うふ、ありがと」

僕たちは、白いロマンスカーに乗り込んだ。
1回目の往路と違い、今度は最初から2人並んで座る、いわばロマンスシートだ。
ロマンスカーでロマンスが実現して、うれしい。僕は顔が自然にほころんだ。

佳子「あら、ワンコちゃん、何がうれしいの?」
僕 「あの、ロマンスカーでロマンスだから、です!」
佳子「あ、1回目に言ったこと、覚えていたんだ!」
僕 「はい。すごく昭和な感じで」
佳子「そうそう、昭和20年代にあった映画のロマンスシートが
   ロマンスカーのモチーフなんだよね」

やっぱり佳子さんは、ロマンスカーの名前の由来を知っていた。
さすが鉄道好きだ。知っているかもと思っていたことが当たると、やはりうれしい。
佳子さんと僕だけの世界が、展開されているようだった。

ロマンスカーは、ミュージックホーンを鳴らして、軽快に新宿を出発した。

佳子「今回は、ほんとにおつかれさま」

佳子さんは、さっそくねぎらいの言葉をかけてくれた。

僕 「あ、ありがとうございます。佳子さんにもほんとにいろいろお世話になって」
佳子「大変だったでしょ」
僕 「はい。でも、みわちゃんのお父さんお母さんがお詫びに来て、びっくりしました」
佳子「ふふ。まあ、ああでもしないと、みわちゃん、強情だから決着しなかったよね」


あれ、佳子さん、みわちゃんのご両親がうちに来たことを知っている。


僕 「あれ、なんでみわちゃんのご両親が来たこと、知ってるんですか」
佳子「あの日ね、あのままにしておいたら危ないと思って、
   大観光の首脳陣から、坂の上テレビの社長室に連絡してもらって、
   こんなこと起きてて、養子に出した息子さんが大変ですよ、
   社長の財産も狙われていますよ、このままだと修羅場になるから、
   社長からみわちゃんのご両親に直接連絡して、
   みわちゃんをすぐに連れ戻さないと、坂の上に累が及びますよって、
   言ってもらったの」
僕 「ええ、佳子さん、そんなことまでしてくれたんですか」
佳子「うん。問題解決は最後までしないと、ねっ(笑)」


また出たよ、この手の台詞!

しかし、僕は佳子さんにはこれだけの決め台詞を言う資格が、十分にあると思った。
どこまでやらないと解決しないのか。それを見定めた上で、手を打つ。
大観光の娘らしい、力量の高さをまざまざと見た。


人間の力にはいろいろあるが、
中でも「問題を解決する力」というのは、どんな時代にあっても必要なものだ。


今はネット全盛で、何か困ったことがあるとすぐにネットを見てしまうが、
今回のような問題の解決方法は、ネットにパッと出ているものではない。

知恵とか、知識とか、蓄積とか、思考とか。
いろいろな人間的なものを重ね合わせて、解決しなければならない問題は
今の時代にもいっぱいある。
それを鮮やかに解決する佳子さんに、また新たなまぶしさを覚えた。

僕 「でも、なんでこんなに苦しいことが起きるのか、いまだに釈然としません」
佳子「そうねえ」


佳子さんは、窓側の席で、ほおずえをつきながら答えた。


佳子「ネットがものすごく発達しちゃって、 
   人と人、モノとモノ、いろいろな組み合わせが
   すぐに、たくさんできる時代になっちゃったのよね。
   コラボっていう言い方もあるけれど、もうすでにコラボだけなの。
   こういう世の中って、便利で、一見つながりがあるように見えるけど、
   本当につながっているかどうかは、心が決めるものなのよね」
僕 「そうですよね」
佳子「物理的なつながりが精神的なつながりとは限らないし、
   むしろ、つながっていないことがすごい多いと思うの。
   皮肉な状態よね。まるで早稲田の現代文みたい」

また、皮肉と現代文の話になった。

佳子「もちろん、組み合わせがたくさんできるようになったおかげで
   女性と女性、男性と男性も組みやすくなったのよね。垣根が低くなったのよね。
   夫婦を超えてゆけ、なんて歌も去年出てきたじゃない。
   それはそれでよくって、好きな者同士はそれでいいのよ。
   だって正しい変態であるうちは、他人に迷惑をかけていないからね」
僕 「あ、正しい変態、出ましたね」
佳子「うん。あたしも、正しい変態でありたいな。あたしは男女でね」

おお、佳子さんまたうれしいことを言ってくれる。男女の男って、誰ですかあ。
僕が質問しようとすると、佳子さんが機先を制した。

佳子「あと、組み合わせはたくさんできるけど、やっぱり大事なのは、縁ね。
   全部の組み合わせなんて、とても体験できないし、する必要もないけど、
   でも、何度も出会ったり、すごく印象深く出会ったりする組み合わせって
   やっぱりあるでしょ。それって、神様がそれを勧めてくれているわけだから、
   そういう縁は大事にしないと、いけないなって思うな」
僕 「僕、それ、今回の件でほんとに思いました。縁って大事なんだって」
佳子「そう?」
僕 「はい。佳子さんもそうですし、『涙をこえて』もそうです。
   僕は、20代30代ののうちはまったくこんなことに気づかなかったんですけど、
   40代になって、縁の不思議さや、人間の出会いの奥深さ、
   そして歌のもつ力に圧倒されました。
   これって、スマホばかりの世界にはない世界なんですよね。
   スマホにつながりはあるけど、縁まではないと思うんです。
   僕は今まで、こういう大事な縁とか思い出とかを
   無視して生きてきたような気がします。
   世の中は、地層のような積み重ねなんですよね。
   スマホは確かにその一番上の目立つ層で存在感を発揮しているけど、
   それより下にある、縁や思い出が、まさに縁の下の力持ちとなって、
   今の自分や世の中を支えてくれている。ずっと黙りながら。
   そんな構造に、僕は今回始めて気づきました」
佳子「そうね。縁、大事ね」


すると、車内販売が近づいてきた。
販売員の女性がワゴンを押してきた。

佳子 「すみません、オレンジジュース2つ」

あ、また佳子さんがオレンジジュースを頼んでくれた。

佳子 「せっかくのご縁ですので、石井さんの分も注文させていただきました。」

1回目の往路と、同じ台詞を言ってくれた。このご縁、いいご縁ですか。
僕はよほど聞きたくなった。
しかし、佳子さんは、まったく別の話題に切り換えた。


佳子「ワンコちゃん、実はね」
僕 「はい」

佳子さんは、ちらりと僕を見て、言った。

佳子「あたしも、養子なんだ」

え、初めて聞きました。これ、重要な話ですよね。なぜ今?
僕がそう思うと、佳子さんは続きを話した。


佳子「大観光の社長のところにも、ずっと子供ができなくて、
   世継ぎがいなかったのよね。
   それで、あたしは社長の弟の家で生まれたんだけど、
   小さいときに、社長の家に養子に出されたの」
僕 「そうだったんですか」


僕はそう言ってから、気づいた。