僕 「愛してくれてるの」
みわ「もちろんよ」
僕 「ありがとう。じゃあ、質問に答えてね」


僕がにべもない対応をすると、みわちゃんは怒った。
  

みわ「ひどいじゃない!」
僕 「何が?」
みわ「あたしのこと、散々コケにしたでしょ」
僕 「してないよ。質問しているだけ」
みわ「だって、あたしが困る質問ばっかりじゃない」


困る質問か。
これが、ほぼ答えだと思った。
やはり、人間は、問うに落ちず語るに落ちる。
質問の直後の答えではなく、その先の会話に、本質が出てくる。


僕 「困るんだ。じゃあ、やっぱり、財産なんだね」
みわ「財産だけじゃないって!」


みわちゃんは、さらに抵抗した。
ここで僕は質問を変えた。


僕 「じゃあ、僕が坂の上テレビの社長の家の出だってこと、
   なんで言ってくれなかったの?」
みわ「そ、それは、石井さんが当然知ってて、言わないだけだと思っていたから」
僕 「そうかな。だって、同棲するくらいなんだから、そんな大事な話、
   僕が隠している方がおかしいじゃん」
みわ「そんな、大事な話だったら、同棲していても隠すって」


みわちゃんがまた本音を言った。

同棲していても、みわちゃんは離婚歴があることはずっと黙っていた。
もちろん、なかなか言えなかったというのはあるだろう。

しかし、もし、僕が佳子さんと会わずに
みわちゃんとの間の流れを変えないままだったら、
みわちゃんはずっと黙っていたのではないかと思う。
ここも、僕とみわちゃんの感覚はズレている。


僕 「僕は、大事な話なら、するな。
   だから、みわちゃんと僕は、感覚がズレているんだと思う。
   確かに僕も、このズレをずっとそのままにして、放っておいたのは、
   よくなかった。僕も、悪かった。
   でも、こんなズレた感覚のままでは、僕はみわちゃんと一緒になれない」


そういうと、みわちゃんは、うなだれた。
そして、次の瞬間、顔を上げた。
みわちゃんは、何かに気づいた。


みわ「ひょっとして、その、教えてくれた人って、田中先生?」


田中、というと誰だっけという感じだが、
佳子さんの踊りの名字であることは、僕はすぐに思い出した。
僕は一瞬考えた後、言った。


僕 「違います」


僕はここで、全体像を教えてくれた佳子さんの許可を得ずに
佳子さんから聞いた、とは言えなかった。
仮に、佳子さんから聞いたと言ってしまうと、
みわちゃんの怒りは佳子さんに向かうだろう。
そうすると、佳子さんに申し訳ないし、
みわちゃんが、佳子さんに何をするか、わからない。
僕は、情報源はなんとしても守ろうと思い、やむなく嘘をついた。


みわ「じゃあ、誰」
僕 「誰でも、いいじゃん」
みわ「よくないわよ!だって私の予定、めちゃくちゃじゃない」


みわちゃん、私の予定って、自分のことばかり考えすぎじゃないか。
僕は、静かに怒り心頭に発した。


僕 「みわちゃん、自分のことばかり考えすぎだよ」
みわ「そんなことない。あたしは、パパのことを思って」
僕 「そんな、財産目当てに結婚して、本当にいいのか?」
みわ「だってパパだって、財産があればまた商売が出来るから
   なんとしても、石井君に来てもらおうっていっていたのよ」
僕 「そしたら、僕じゃなくても、カネづるがあればいいんじゃないか」
みわ「でも、石井さんには愛情が」


この期に及んで愛情という。
みわちゃんの愛情とは一体何なのか。


僕 「みわちゃんへの愛情は、僕はもうなくなりました」


僕は、決定的なことを言ってしまった。
でも、仕方がなかった。
みわちゃんは、激高した。


みわ「石井さん、そんな冷たい人だとは、思わなかった!」
  「人がこんなに大変な思いをしているのに、なんて仕打ちなの!」
  「もう、坂の上にいられないようにしてやる!」
  「明日、秘書室と役員室で、あることないこと、言って回るからね!」


みわちゃんは、エスカレートした。何なんだろう、この豹変振りは。
僕は驚くばかりだった。



すると突然、インターホンが鳴った。

僕はインターホンには普段から出ない。
しかし、何度も何度もインターホンが鳴らされた。
僕はやむなく、壁にある応答ボタンを押した。


僕 「はい」


カメラに、初老の男性の映像が映し出された。


初老「あの、山河です」


みわちゃんの、お父さんだった。


僕 「ああ、ああ、お父様」
初老「いま、よろしいでしょうか」
僕 「あ、はい」


僕はあわてて解錠キーを押した。
それからまもなく、みわちゃんのお父さんが僕の部屋にお母さんも連れて入ってきた。
驚いたのは、みわちゃんだった。


みわ「パパ、ママ…なんでここに来たの?」
僕 「あの、お上がりください」
父 「いえ、ここで、結構です」


お父さんは、玄関先に立ったまま、話を続けた。


父 「このたび、私どもの会社の不始末で、
   石井さんも巻き込んでいろいろと娘を通じて言ってしまい、
   申し訳ありませんでした」


あれ、お父さんも早く婿がほしいと言っていたんじゃないかな。
なんで謝っているんだろう。


父 「大変お恥ずかしいことに、
   石井さんの、いえ、正確に言いますと、
   石井さんの実のお父様のお力添えがあれば、
   私どもは事業を続けられる、などと思っておりました。
   ところが、先ほど、石井さんの実のお父様から、
   こういう無理をされたら、結婚に反対する、という
   ご連絡をいただきました。まったく許せないという話でした。
   すべては、私どもが間違っておりました」
みわ「パパ」
父 「すでに、ご存知かと思いますが、私は明日、
   警察の取調べを受け、そのまま身柄を持っていかれると思います。
   ついては、身柄を持っていかれる前に、
   石井さんに、どうしてもお詫びをしなければならないと思い、
   突然、馳せ参じました。
   このたびは、大変、申し訳ありませんでした」


そう言うと、みわちゃんのお父さん、それにお母さんは、深々と頭を下げた。
みわちゃんは、どうしていいかわからないという困惑の表情を浮かべていた。


父 「つきましては、これまでのご厚情はありがたいのですが、
   私どもとしては、娘を引き取って、一からやり直したいと思います」
みわ「パパ」
父 「これで、娘を連れて帰ります。今日まで、ありがとうございました。
   そして、本当に申し訳ありませんでした。」


そういうと、みわちゃんはまた、幼子のように号泣した。
しかし、みわちゃんのお父さんは、淡々と、みわちゃんを諭した。


父 「みわ、石井さんにこれ以上お世話になるのは、できない。
   もう失礼だ。帰るぞ。」
みわ「パパア、パパア」


みわちゃんは、玄関先に座り込んだまま、今度はざめざめと泣いた。
その涙は、一敗地にまみれた涙だった。


それから少しして、みわちゃんは涙を流しながら支度をした。
別れ際、みわちゃんはこんなことを言った。


みわ「あたし、負けた。」
僕 「負けた?」
みわ「うん、きっと、田中先生に、負けた。」


僕は即座に言った。


僕 「違うよ」
みわ「じゃ、何?」
僕 「みわちゃんは、自分に負けたんだよ。
   自分の欲とかにね。」


かなり冷たい一言だった。
しかし、これだけ自分のことばかりで加熱するみわちゃんには
それくらいの冷たい対応をしないと、みわちゃんは永遠にダメになってしまう。
自分事しか目の行かない人になってしまう。そう思った僕は、あえて冷たく、そう言った。

それに対し、みわちゃんは、何も答えなかった。
それはそうだろう。だってみわちゃんはまだ、わかっていないのだから。

でも、わかっていなくても、言わなければならないことはある。
それに、きょう役に立たなくても、
あす、あさって、いや、1年後、5年後、10年後に
ようやく役に立つようなことを言ってあげないと、人間は必ずダメになる。

人生は学校のドリルとは違い、
今日勉強したから、明日100点がとれるなどという
即効性のあるものばかりではない。
むしろ即効性のないものがほとんどだ。

でも、今の世の中、とりわけ、みわちゃんのような人は
即効性、つまり、自分の欲をすぐに確実に満たしてくれるものばかり捜す。
だからうまくいかないのだ、と僕は思う。

僕のこの一言が、いつかみわちゃんの役に立ってくれるように。
僕はそう願い、みわちゃんと、みわちゃんの両親が乗ったタクシーを見送った。

タクシーの近く、そして僕の家の周りには、
私服の警察関係者と思われる視線の鋭い男が何人もいた。

タクシーがいなくなると、その男たちもそそくさと去った。
 










翌日。

新聞各紙は「山河不動産社長 きょう事情聴取」「強制捜査へ」の見出しを打った。

昼過ぎには、ニュース速報で
「山河不動産本社などを家宅捜索 粉飾決算の疑いで」
という一報が流れた。

そして夕方には
「山河不動産社長など逮捕 粉飾決算の疑いで」
というニュース速報も流れた。


坂の上テレビの受付には、みわちゃんの姿はなかった。
数日後にわかったのだが、一身上の都合で退職した、という。

また、僕の家には引っ越し屋が訪ねてきた。
指定されたものを、引き取りたいという。

僕は指定に従い、ダンボールにみわちゃんの服や化粧品を一日かけて詰め、送り返した。
ダンボールは10箱にもなった。

ちなみに僕は、よほど社長や副社長、
つまり実の父や兄を訪ねていこうかと思ったけれど、やめた。
だって、今行ったら、単に迷惑のような気がしたからだ。

それにいつか、時期が来たら、会えるのだろう。
あわてる必要はないし、会うべき時期というのが、きっと来るはずだ。
僕と佳子さんのように。

ちなみに、人づてに聞いたところ、社長の奥さん、つまり
僕の実の母親は、十数年前に亡くなったと言う。

さらに人づてに、社長の家の墓所はどこか尋ねた。墓所は案外簡単にわかった。
海の近くの、潮風の薫る町にあるという。
今度の彼岸には、そっと墓参りに行きたい。




再び、僕は腑抜けの日々を送ることになった。

ただ、佳子さんには一言お礼がしたいと思い、
みわちゃんのダンボールを送り返して、
部屋にみわちゃんのものがなくなった日に、電話をかけた。