みわちゃんは、本当に、佳子さんが言っていたようなことを考えていたのか。
うそであってほしい。
でも、どうやら佳子さんの話にうそはない、という感じが僕にはしていた。

だとすると、みわちゃんは、
僕の実の父、つまり坂の上テレビの社長の財産目当てに僕に近づいてきたということか。

確かに、みわちゃんとの出会いはやや不自然だった。
受付からえらいお客さんを現場に案内してきたみわちゃんが
いっぱい僕に視線をくれたのが始まりだったが、別に僕になんか挨拶しなくていいのに、
わざわざLINEのIDを手書きした名刺をくれて、連絡してほしい感じ満載だった。

初対面の男性に、いきなりLINEのIDを書いた名刺を渡したりする子もいるんだ、
くらいに思っていたけど、それくらい無理して近づきたかったということか。

無理はもうひとつあって、IDをもらった翌日、僕が結構遅い時間に、
坂の上テレビの玄関を出ようとしたところ、パッとみわちゃんが現われて、
「あら、偶然ですね」と言われて、しばらく一緒に歩いて、
ぜひLINEを送ってほしいと言われた。

僕はあまりLINEに慣れていなかったけど、
みわちゃんが絶対楽しいから、と言って勧めてくれたのでシブシブ始めた。

そこから、みわちゃんに会う約束をした。

会ってからもみわちゃんは積極的で、すべてみわちゃんが先攻で、
僕たちはあっという間につきあうことになった。
同棲も、彼女が転がり込んできたようなものだ。

そうした節目のたびに僕は
「ああ、みわちゃんって、変わってるなあ」
くらいしか思っていなかったが、
どうしても僕とくっつきたい事情があった、と考えれば、こうした行動もうなずける。

だって、みわちゃんは、モテモテでいろんな男、つまり僕よりいい男たちに
言い寄られているにもかかわらず、僕に近づいてきたわけだから、
よく考えたら、おかしいはずだ。

今の今まで、あまりこうした点を気にしなかった僕はおめでたい人間なのか。
いや、単にめんどくさかっただけだと思う。
めんどくさくなく、つきあえるんだったら、
多少変でもいいや、と思っていたのではないか。

実際、女性にアプローチして、好みを考えてデートの場所を選定して、
話を重ねて、ご機嫌もうかがって、という対応を重ねるのは結構な手間だ。
別にそんな手間をかけなくても今の世の中、楽しいことはいっぱいある。
一人でも十分暮らせるような気がする。
だから昔に比べて、男女交際をする人が減っているのだろう。

昔は男女交際が大いなる娯楽であり、ほかに娯楽の選択肢も少なかったため、
男女交際にみんな流れた。
ところが、今はこんなめんどくさいことをしなくてもいい。
もし、めんどくさくなく、できるんだったら男女交際してもいい。

僕も、いつの間にか、そんな考え方になっていたのだろう。
そしてそこに現れたのが、便利なみわちゃんだったというわけか。
みわちゃんは、便利な上に、かわいくて、若くて、
男性を楽しませる要素をいくつも持っている。
僕にとっては、ありがたい存在だった。

つまり、僕もみわちゃんを利用していたということか。
そしたら、みわちゃんを一方的に責めることはできないな。
僕がそんなことを考えていると、あっという間に、
ロマンスカーは新宿に近づいていた。

さあ、みわちゃんにどう言おうか。そして、何を聞こうか。
僕の頭は、フル回転だった。











午後6時半前に、ロマンスカーは新宿駅に着いた。

僕は、スマホのLINEを開き、みわちゃんに
「ちょっと早いけど、帰るよ」とメッセージを送った。

みわちゃんからの返信は、なかなかなかった。
いつもだったら、仕事中であってもこっそり抜け出して、
わりと早めに返信してくれるのに。

僕は、新宿駅から歩いて自宅に向かった。
しばらく歩いて、もう一度スマホを見たが、やはり返信はない。
大丈夫だろうか。僕は少し不安になった。

そうこうしているうちに、マンションに着いてしまった。

部屋のドアを開けると、真っ暗だった。僕は電気をつけた。
すると、白いセーターと黄土色のスカートのまま、
床に這いつくばるようにしている、みわちゃんがいた。

僕 「みわちゃん」
「どうしたの?」
「大丈夫?」
みわ「うん」

みわちゃんは、か細い声で返事をした。そして、もぞもぞと起き上がった。
黄土色のスカートには、かなりシワがついていた。
まるで、黄砂にまみれたような感じがした。


僕 「あの、僕」
みわ「うん」
僕 「新聞見たよ」
みわ「見たんだ」
僕 「うん」


僕がそう言うと、みわちゃんはそれをトリガーにしたかのように、号泣を始めた。
嗚咽ではなく、「あーん」「あーん」という幼さを感じさせる号泣だった。

僕 「みわちゃん」
みわ「パパの会社、たぶんつぶれる」
僕 「そんな」
みわ「明日、警察の人が実家に来ることになったの」
僕 「ええ」

捜査の手が、みわちゃんのお父さんに及ぶということか。

僕 「みわちゃん」
みわ「もう、だめかも」

そういうと、みわちゃんはこんな一言を言った。

みわ「でも、私は石井さんがいるから大丈夫」
僕 「僕がいるから?」
みわ「そう」
僕 「僕、何もできないよ」
みわ「そんなことないよ、私のそばにいてくれるだけで、安心なの」


みわちゃん、しおらしい。僕は少しうれしくなった。
が、次の一言がひっかかった。


みわ「だから、早く一緒になって。明日朝、婚姻届もってくるから。
   パパが警察に連れて行かれる前に、パパに見せたいの」


ちょっと待ってよ。パパ基準かい。
そりゃ、みわちゃんのお父さんは大変な状況だけど、
でも、だからと言って、お父さんが警察に連れて行かれる前に婚姻届を見せたいって、
それは変でしょ。それは、カネの証文をとりましたよ、というのと同義ではないか。
僕は所詮、証文野郎なのか。
もっと言えば、僕がいなくても、カネの証文とカネがあれば、それでいいのではないか。
もっと真面目に考えた方がいいのではないか。

僕はこう考えたので、みわちゃんに、冷たい一言を言ってしまった。
ドーンと、ストレートに。


僕 「みわちゃん、それは間違っているよ」

みわ「間違っている?」



今まで哀願するような目をしていたみわちゃんが、急に僕をにらみつけた。
今まで味方だったくせに、裏切りやがったな、というような目で。
僕はますます不審を感じた。


僕 「どうしてパパが警察に連れて行かれる前に、婚姻届を見せないといけないの?」
みわ「それは、石井さんと私が愛し合っていることを形として見せたいためよ。
   愛があれば、何でも乗り越えられるから」


みわちゃん、何てこと言うんだ。

佳子さんが言っていたとおり、
核心がズレたことを隠したまま男女が話を進めようとすると、
やがてそのズレは決定的になる。
僕とみわちゃんのズレは、今、決定的になった。


僕 「みわちゃん」
みわ「なに」
僕 「愛があれば、じゃなくて、カネがあれば、なんじゃないの」


僕はついに、決定的に冷たいことを言ってしまった。
僕は常々、「いつもあたたかく いつもあたらしく」という気持ちを
心がけているつもりだが
これだけ核心を隠したまま言われると、もはや冷たく言わざるを得ない。


みわ「カネ!?」


みわちゃんは、隣の隣の部屋位まで聞こえるような大声で、言った。
それはまさに、みわちゃんが今気にしていることだから、
声が大きくなった、と僕は思った。
でも、みわちゃんはなおもズレた発言を続けた。


みわ「カネって、どういうこと?失礼じゃない!」
  「あたしが、カネのために結婚するってこと?」
  「何なの、すごい失礼よ!結婚って、女の子にとって、神聖なんだからね!」


みわちゃんは、僕が箱根に行って連絡を取らなかったとき以上の剣幕で怒り始めた。

一方で僕は、その剣幕に対抗するように、静かに話し始めた。


僕 「神聖なら、なんであわてて結婚しようとするの?」
みわ「だって、パパが捕まっちゃうから!」
僕 「じゃあ、みわちゃんは、パパのために結婚するんだね。
   結婚って、神聖なんじゃないの?
   神聖って、まず相手を思うことから始めるんじゃないの?」


すると、みわちゃんは恐ろしいことを言った。


みわ「石井さんのことは、散々思ってるわよ!
   あたし、石井さんに全部あわせてて、苦しかったんだからね!
   それにパパの会社がつぶれそうになってきたでしょ。
   そろそろ見返りがないと、やってけないじゃん!」


見返り。
もはや神聖とは間逆の世界だ。
みわちゃんは、興奮すると、つい、本音が出てしまう癖があるが、
ここまで露骨に言われるとは僕も想像していなかった。

でも、僕は淡々と反応し続けようと思った。
露骨に対し、興奮したら、相手の土俵ですべてが進んでしまう。
自分の土俵で勝負するために、僕は短く、穏やかに発言した。


僕 「見返り、ね」


僕が短く、穏やかにそう言うと、
みわちゃんは、ようやく自分がとんでもないことを言ったと気づき、
困惑の表情を浮かべた。


みわ「あ、あの、言い方悪かった」


みわちゃんは少し申し訳なさそうにした。
しかし、もはや僕は、その程度では許せなかった。

僕「言い方は、この際もう関係ないな。
  それより、みわちゃんがどうして、僕に近づいてきてくれたのか。
  僕に何を求めていたのか。
  それを、もっとちゃんと聞きたかったな」


僕がそういうと、みわちゃんは一瞬黙って、何かに気づいた表情をした。


みわ「ひょっとして、誰かから、何かを聞いた?」


僕はここでどう答えようか、迷った。
ただ、みわちゃんに核心がズレないよう求めているのだから、
僕も核心を明らかにしないといけない、と思った。


僕 「聞いたよ」
みわ「何を聞いたの?」
僕 「僕が、本当は坂の上グループの家の生まれであること。
   僕のことを不憫に思った社長が遺言で財産を僕に譲ってくれそうだということ。
   そして、みわちゃんが、その財産を期待して、僕に近づいてきたということ。
   さらに、山河不動産が危なくなったから、急いで僕と結婚しようとしていること。
   以上4点です」


僕は、まるでスーパーのレジ係のように、淡々と要点の点数を言った。
僕はさらに続けた。


僕 「みわちゃん、4点のうちの、後半の2点、
   つまり、みわちゃんに関する部分は本当ですか。
   僕は本当であってほしくないと思っているけど、もし本当であったら大変だし、
   うそだったら、これを教えてくれた人に抗議しようと思っているので、
   本当のことを答えてください」


みわちゃんは、僕をにらみつけたまま、黙った。
    

みわ「あたし、石井さんのこと、愛してる」


みわちゃんは、矛先を変えてきた。僕はそれを許さなかった。