ブルーのロマンスカーは、平日昼のけだるい雰囲気を載せて、走り始めた。
乗客はまばらだった。懐かしい代々木の予備校の付近は一瞬で通り過ぎた。
自動音声の無機質な車内放送が始まった。


「停車駅は、新百合ヶ丘、相模大野、本厚木、秦野・・・」


うわ、ずいぶん途中止まるロマンスカーだなあ。今急いでいるのに。
急いでいるときに限って、よく止まる電車に乗ってしまう。
僕は少しいらいらしていた。
それは、今すぐ佳子さんに会いたいのに、時間がかかりそうだということと、
佳子さんとみわちゃんの関係や、今何が起きているかの全体像がわからないという
多重のマイナスからくるものだった。

でも、いらいらしても仕方ない。
いらいらして解決するものだったら、いくらでもいらいらするけど、
いらいらしていたら、かえって解決の邪魔になるからやめる。

僕は予報士を15年近くやってきて、いらいらが予報の邪魔になるということを知り、
何年か前から、いらいらするのを論理的にやめてきた。

しかし、きょうという日は、さすがにその論理も通用しにくかった。
僕は少し感情的になりつつあった。苦しいね。これは。
佳子さんへの恋心で苦しいのとは、全然違う。
やっぱり、世の中はマイナスの苦しさに満ち溢れているんだな。
ああ、プラスの苦しさだけならいいのに。
僕はそんな仕方のないことを考え続けていた。



ふと、窓の外を見た。ロマンスカーは新百合ヶ丘に停車するところだった。

進行方向に向かって右の窓側に座っていた僕は、
ちらりとロマンスカーが入るホームの隣のホームを見た。多摩線のホームだった。

僕は高校時代、多摩に住んでいたので、
代々木の予備校からの帰り道は、この新百合ヶ丘で多摩線に乗り換えていた。

当時と同じように、新百合ヶ丘始発の多摩線の電車が、
ホームでドアをがらんと開けて、しーんと待機していた。
ドアの中には、人はまばらにしかいなかった。さすが多摩線。人が少ない。



「あっ」


その様子を見て、僕は急に記憶がよみがえった。


僕が代々木の予備校に通っていた高校3年の夏のことだった。
僕はその日の夜、夏期講習を終えて、
新百合ヶ丘の駅で始発の多摩線の電車に乗り換え、出発を待っていた。

出発まで少し間があったので、携帯ラジオをつけた。
当時僕はヘッドホンステレオなどという、しゃれたものは持っていなかった。
当然スマホはない。
ラジオだけが、僕の頼りだった。
野球も音楽も好きなので、ラジオがあれば当時は生きていけた。

その日も、プロ野球巨人戦のナイトゲームの中継を聞こうと、ラジオをつけた。
すると、手が滑って、普段使わないテレビの音声を聞くモードに変えてしまった。
1チャンネル、NHKが入った。
すぐに元に戻そうとしたが、鈴木健二アナウンサーの声が聞こえた。

僕は中学生のとき、鈴木さんの本を読んで面白いと思ったので
鈴木さんが何をしゃべっているのかが気になった。

「小学生にも人気があったのですか、この番組」

何のことだろう、と思っていたら、今度は女優さんが

「そうなんです。では、番組でよく歌われた歌『涙をこえて』です。どうぞ」

と言って、僕は驚いた。

「え、涙をこえて!?」

僕は中学1年のときに、
隣のクラスの合唱曲として「涙をこえて」に出会い、メロメロになったが、
僕の実家はかなり田舎で、レコード屋も遠かったので
「涙をこえて」をレコード屋で捜すことはなかった。

僕の知っている「涙をこえて」は、田舎の中学生の下手くそな声の塊に過ぎなかった。

その歌をこれから歌う。本物の「涙をこえて」が聞ける。
高校生の僕は、突然の幸運に驚いていた。

僕は耳を澄ませた。快活で滑舌のよい澄んだコーラスと、アップテンポの演奏に惹かれた。
最後の「アーッ」「アーッ」「アーッ」というコーラスのところでは、鳥肌が立った。

そうか、「涙をこえて」って、本当はこんな曲だったんだ。

中1のとき出会ってから、5年経って、ようやく本物の「涙をこえて」に出会えた。
僕は本当にうれしく、巨人戦のことはもうすっかり忘れていた。
その後もこの番組を聴き続けたところ、「思い出のメロディー」だということがわかった。

家に着くと、たまたま父親がビデオにこの番組を録画していたので、
僕はそのビデオの「涙をこえて」の部分を再生してカセットテープに録音し、
勉強の合間に、テープが擦り切れるくらい聞いた。

このテープと、それから何と言っても佳子さんの存在が励みになり、
僕は、ものすごい長時間の受験勉強にも、耐えられた。


もし、この多摩線のさびしい電車の中で
本物の「涙をこえて」に出会っていなかったら、
僕は一体、どんな人生を送っていたのだろう。

こんなに大きな思い出を、いつの間にか忘れていたのも不思議だが、
新百合ヶ丘のホームと多摩線の電車を見て、急に思い出ががよみがえったのも、
また不思議だ。

人間の記憶は、やはりどこかにすべて眠っていて、
きっかけの連鎖で再起動されるものなのか。

そして、自分の人生の場面場面に「涙をこえて」が何度も出てくるのは、
さらに不思議だ。


そういえば、以前、坂の上テレビの先輩に言われたことがある。

「石井、いいか。人間ってのは、縁がある人にはとことん縁があるんだ。
 たとえば、転勤や転職をしても、縁のある人には何度でも出会う。
 逆に、縁のない人には、同期であっても、もう一生会わない。
 だから、縁のある人とは、絶対に決定的な喧嘩をしちゃダメだ。
 仮に、何年も会っていないとしても、安心はできんぞ。
 縁のある人とは、簡単に切れないから、何年か経った後に、
 急にまた出会うことがある。不思議だよなあ。」


僕の場合で言うと、佳子さんは、間違いなく縁のある人だ。

だってもう、二度と会えないと思い、
心のどこにもいないと思って、ものすごく長い間何も思わずに過ごしていたのに、
彗星のようにニアミスを繰り返した結果、ついに衝突し、
今では僕の心の大部分を占めるまでになっている。

そして、「涙をこえて」にも縁がある。

もうずうっと忘れていたのに、去年急に、僕の目の前で返り咲き、
そして、佳子さんとの再会で、さらにこの歌との縁は増幅され、
佳子さんの家族ともこの歌は縁があることも知り、
忘れていた僕の高校3年の夏の思い出、しかも大きな思い出まで引っ張り出された。

思えば、「涙をこえて」の中にある
「なくした過去に泣くよりは」という言葉は、ついこの間までの僕の中では
「なくした佳子に泣くよりは」という意味を持っていた。

しかし、佳子さんは、23年のときを超えて、「涙をこえて」に乗って戻ってきてくれた。
そして今、これ以上ない縁を感じさせてくれている。

縁のある人、縁のあるものの力って、とんでもないんだな。
縁のある人とものが融合すると、さらにとんでもないんだな。

僕は、20代30代ののうちはまったくこんなことに気づかなかった。
40代になって、縁の不思議さや、人間の出会いの奥深さ、
そして歌のもつ力に圧倒されている。 
それは、スマホばかりの世界にはない世界だ。

僕は今まで、こういう大事な縁とか思い出とかを無視して生きてきたのではないか。
スマホという便利屋が、僕を縁や思い出がなくても暮らせるような錯覚に陥れたのか。
もちろん、スマホにはものすごく世話になっている。
でも、世話になっているからと言って、それだけを頼るのはよくないし、
スマホ以外の世界を無視するのは、もっとよくない。

世の中は、地層のような積み重ねで成立しており、
スマホは確かにその一番上の目立つ層で存在感を発揮しているが、
それより下にある、縁や思い出が、まさに縁の下の力持ちとなって、
今の自分や世の中を支えてくれている。ずっと黙りながら。
僕はその寡黙さに、甘えているのに、過ぎない。
そんな構造に、僕は初めて気がついた。


「僕は、まだまだなんだ」


ブルーのロマンスカーは、すでに本厚木に近づいていた。
僕は打ちのめされたような気がした。

そういえば、おとといの往路のロマンスカーで
佳子さんが鼻歌を歌っていたな。
あれも、ひょっとしたら、「涙をこえて」なのかもしれない。
サビの部分だけ、かいつまんだようなハーモニーだった。

「タン、タン、タン、タン、タンタ、タンタタン」
たぶん、そうだ。

つながるなあ。
というか、今までもひょっとしたら、こういうつながりのある世界は
実はどこかで展開されていたかもしれない。

でも、僕はこうした有機的なつながりに目を遣るよりも
自分の世界に浸れるスマホに逃げ込んでいたような気がする。

生きるためのヒントは、他人の中にこそあるのに、
僕はその他人から逃げ出して、
他人の情報だけが囲われているスマホの中に逃げ込んでいたのではないか。

僕は自分のここ数年の生き方を、恥じた。
そして、早く佳子さんに会いたくなった。

それは、自分の欠けているものを教えてくれる師に会いに行くような感覚だった。
でも、あんなにかわいい師がいるのか。年相応でない風貌の師がいるのか。
僕はまだ、いぶかしい思いはあったが、それでも
現実は、僕よりはるかに佳子さんが上手なので、現実に従うしかないと思った。






箱根湯本からバスに乗って、峠の上に着いたのは、すでに午後3時に近かった。
山の夕暮れは早く、もうなんとなく日が傾き始めているような気がする。

僕は急ぎ足でホテルに向かった。
ホテルに着くと、番頭さんらしき人が迎えに出てくれていた。
きっと、佳子さんが差し向けてくれたのだろう。

番頭「どうも、ようこそいらっしゃいました」
僕 「いえ、あの、すみません。わざわざ表に」
番頭「いえいえ、いいんですよ。お嬢様がお待ちですので、どうぞ」

僕は番頭さんに案内されて、ホテルのロビーに入った。
ロビーのソファーに、佳子さんは座って待っていた。

きょうの佳子さんは、仲居さんと同じ、和服だった。
白っぽいとても柔らかな地に、紅梅があしらわれた、
早春の雰囲気が漂うかわいい和服だった。

佳子さんの和服姿を見るのは、初めてだ。
髪は硫黄泉に入った後と同じようにアップにしてあり、
和服の雰囲気とあわせるようにしていた。

なんでもないときだったら、「きれいだ」「かわいい」と
素直に思えていただろう。
佳子さんの新たな魅力に、胸を躍らせていただろう。
でも、今はそんな余裕は僕にはなかった。

僕 「佳子さん」
佳子「あ、おつかれ」
僕 「あの、僕」
佳子「あ、話は中に入ってからしようね」

佳子さんはそう言って、あわてる僕を制した。

そして、佳子さんは、仲居さんに目配せをして、
僕を近くの客間に案内した。