佳子「お腹、すいたね。朝ごはん、用意してもらおうか」
僕 「うん」

佳子さんはそういうと、電話のところまでもぞもぞと動いて、
内線で朝食の用意を頼んだ。
そして、タンスに近づいて、引き出しから着替えを取り出した。

ホテルの部屋のタンスに着替えが入っている?
ちょっとおかしかったが、佳子さんはここの娘さんなんだから、
そういうこともあるのだろう。

そういえば、ロマンスカーを降りるとき、やけに荷物が少なかったが、
それは着替えを持っていかなくてもいい、ということだったのだろう。
僕の疑問がまたひとつ解けた。

すると、次の瞬間、佳子さんはするりと浴衣を脱ぎ始めた。
155センチの佳子さんは、体にまとわりつくような濃い紺碧色の帯を緩め、
腰を少し回し、ベールを脱いだ。

「えっ」

僕は、浴衣から身を放たれた佳子さんを見てはいけない、と思い、目をそむけた。

「あのっ」

僕はそこで声をあげた。


佳子「あ、ごめん、脱いじゃった」

佳子さんは悪びれもせずに言った。


佳子「ま、大丈夫だけどね」


佳子さん、何言っているんですか。
僕は目をそむけていたが、僕はちょっと悪びれることにして、
ちらりと期待した視線を佳子さんの方に送った。

すると、佳子さんは、浴衣の下に袖のついた白い襦袢のようなものを着ていた。

なーんだ。
僕は、ドキドキして写真集を買った高校生が、
こっそり中身を開けてがっかり落胆するかのようなため息を漏らした。
佳子さん、これも設定、作戦ですか。

佳子「じゃ、向こうで着替えてくるね。ワンコちゃんも着替えて」

佳子さんは、僕が疑問をぶつける暇も与えず、着替えをもって、隣の部屋に移り、
ふすまを閉めた。

不思議だなあ。
きのう、洗面所で肩を抱いた時は耐えられないくらい恥ずかしく、緊張して
肩を放してしまったのに、いまは、
ちらりと佳子さんのベールの中が見られないかと期待してしまっている自分がいる。


みわちゃんとは、こんな展開はない。
わりと早い時期から、僕とみわちゃんはその日の演目をこなすように過ごしてきた。
演目自体は、面白かったり、本能に訴えかけるものも多々あるけれど、
演目と演目をつなぐ場面はこれといったものがない。

それは平坦な道をゆるゆると進む馬車のようなもので、面白味も緊張感もない。
すべては想定内だ。時には反応を期待されるとわかって、反応を演技したりもする。


でも、佳子さんとは、違う。緊張感あふれる展開だ。
展開と展開の間にも何かが隠れている。つながっている。小ネタもある。話も面白い。
僕は、女性の魅力や、女性とともに過ごす時間というものの意味について、
考え始めていた。

佳子「あら。まだ着替えてないの?」

佳子さんは、首だけ隣の部屋の襖から出して、言った。着替えるのが早い。

佳子「もうちょっと、待っているからね」

そう言って、首を引っ込めた。
僕はあわてて自分の荷物から着替えを取り出し、浴衣をやくざに脱いで、
黒のシャツに着替えた。


僕 「着替えたよ」
佳子「あら、じゃあ、いくよ」

そう言うと、佳子さんはふすまをバッと開いて、姿を見せた。


その姿を見て、唖然とした。


予備校のパンフレットに、高校生役で出ていた時と同じ
白いハイネックのセーターに、赤いスカートだったからだ。

僕は思わず言ってしまった。

僕 「あの、これ、代々木の予備校の」
佳子「そう、パンフの、ですっ」
  「さすがワンコちゃん、よく覚えているね」
僕 「うん。大事に持ってたからね」
佳子「あら、そうなの。うれしい」

僕は佳子さんの出ているパンフレットを、宝物のように持っていた。
もう、予備校なんて関係ないのに、佳子さんが出ていた4年分は、全部集めて持っている。
その、パンフに出ていた佳子さんが、パンフから飛び出してきた。
僕はますますうれしかった。

僕 「いや、なんだか、すごく、信じられなくて、うれしい。
   だって、パンフの中の衣装そのままだから」
佳子「へへ」
僕 「これも、狙ってやってるんでしょ」
佳子「ううん」

佳子さんは、ちょっと意外な答えをした。

佳子「これは、さっきタンスを開けてたら、ほんとに偶然見つかったの」
僕 「へえ、じゃあ偶然だ」
佳子「そう。偶然と必然とが組み合わさって、この物語は進んでおりますっ」

物語。
僕がゆうべ思っていたこの言葉が、
佳子さんの口からも出てくれて、うれしかった。

佳子「じゃあ、ご飯食べに行こうか」
僕 「うん」

僕と佳子さんは、廊下に出て、まるでパンフレットに載る先生と生徒のように、
並んで歩いた。
もちろん、風貌からすれば、僕が先生で佳子さんが生徒だけれど、
実際は、佳子さんが先生で僕が生徒だ。
そのギャップも面白いと思いながら、僕は朝食会場に向かった。

   

きのうの夕食と同じ、広間に着いた。

また、ふすまがすごいタイミングですごい勢いで開いた。さすが大観光だ。
広間の中には、お膳が3つあり、すでにじじがいた。

じじ「おお、佳っちゃん、石井君、おはよう」
佳子「おはようございます」
僕 「おはようございます」

じじ「ゆうべは、仲良くできた、か ?」

朝から、いきなり直球がきた。佳子さんと僕は顔を見合わせた。
すると、佳子さんが意外な返事をした。


佳子「はい。仲良くさせていただきました。」


佳子さん、それって火に油ですよ。僕がどうフォローしようか考えていたところ、
じじも意外な返答をした。


じじ「おお、そりゃ、よかった。」


僕はぽかんとした。じじは、きっと根掘り葉掘り聞いてくるだろうと思った。
しかし、あったのはこの一言だけだった。

きっと、直球に逃げずに満額回答したので、二の句が告げられなかったのだろう。
佳子さん、やるなあ。
僕だったら、適当にごまかそうとして、さらに根掘り葉掘り聞かれていたかもしれない。
僕は大人になってから、いつも誰かの顔色を窺ったり、
その場を取り繕うようにしてごまかしたりしてきたような気がする。
そしていつも、事態はあまりよくない方向に動いていた。

しかし、佳子さんは、逃げずに満額回答して、それで流れを止めた。
なかなか勇気がいることを、佳子さんは平然とやった。

そう言えば去年、「思い出のメロディー」で萩本欽一さんが
「ドーンといって、みよう!」と言っていたけど、こういうストレートな物言いって、
最近なかなかできないんだよな。
でも、佳子さんは、それをやっている。ドーンと。
僕は改めて、佳子さんはすごいと思った。

佳子「石井くん、どうしたの?座ろうよ」

僕がぼーっとしていたので、佳子さんが声をかけてきた。
あ、じじの前では「ワンコちゃん」じゃなくて「石井くん」なんだな。
やっぱり、じじの前だと恥ずかしいのかな。
僕は小さな発見をして、お膳の前の座布団についた。

すぐに、食事は運ばれてきた。
金目鯛の煮つけに、しじみの味噌汁、納豆と山芋のすりおろし、
砕いたクルミの入ったヨーグルトだった。
さすが大観光。朝から金目鯛の煮つけとは豪華だ。


僕 「朝から金目鯛が食べられるなんて、すごいです」
じじ「おお、金目鯛を気に入ってくれたか。伊豆は金目鯛の水揚げ日本一なんじゃ。
   そこから直接買い付けて来とるから、うちの自慢なんじゃよ」
僕 「そうなんですか。自慢料理をいただけて、うれしいです。ありがとうございます」

僕はじじに礼を言った。

そして、佳子さんを見た。佳子さんはきれいに金目鯛をほぐして食べていた。
そう言えば佳子さん、さっき「仲良くさせていただきました」って言っていたなあ。
本当にうれしいなあ。佳子さんの「仲良く」って、どんなイメージなんだろう。
僕はそんなことを考えていると、自然に顔がほころんできた。

じじ「おお、石井君、顔がほころんでおるぞ」

じじに、見つかった。

僕 「あ、あの、金目鯛がおいしいからですっ」

僕はまたとっさにごまかしてしまった。
ああ、佳子さんは逃げずに満額回答したのに、僕はやっぱり力が足りないなあ。
こんなことで、これからどうなるのかなあ。
佳子さんをもっと見習わないといけないなあ、と思った。

あっという間に朝食は終わり、お膳が下げられていった。
じじは、仕事があるからと言って、お膳が下げられると同時に、広間から去っていった。


僕と佳子さんも、広間から出た。
広間を出て、段を降りてスリッパをはくところで、仲居さんが佳子さんにそっと近づいた。
そういえば、佳子さんは、急な吐き気があるから、仲居さんが気を遣ったのだろう。
僕は大観光の細やかな気遣いに感心した。


僕 「金目鯛、おいしかったね」
佳子「うん。あれはほんとにうちの自慢なの」
僕 「いやほんとに。いいものを食べさせてもらった」
佳子「いえいえ、これくらいしか、できません」
僕 「いやもう、十分だよ」


そう言うと、部屋に着いた。

部屋に入ると、もう布団はきれいに片づけられていた。
きのう、部屋に入った時と同じように、机と座布団が置かれていた。
くっついていた2つの布団がなくなっていて、僕はなぜかさみしかった。


すると、佳子さんは意外なことを言った。


佳子「じゃあ、きょうはこれで解散ね」
僕 「え、解散?」
佳子「そう。あたしはここを手伝うから残るけど、ワンコちゃんとは解散ね」

ええっ。解散?
僕は今まで、衆議院が解散しても、SMAPが解散しても、淡々としてきた。
しかし、この解散の宣言にはものすごく動揺した。
ちょっと、ちょっと、素敵な2日目の朝がまだ始まったばかりなんですけど。
一泊二日で彼氏をやらせてもらうことになっているですけど。
まだ、2日目は朝ご飯食べただけなんですけど。
僕が未練がましい思いを開陳する前に、佳子さんは冷淡に言った。

佳子「だって、きょう、忙しいのよ。ごめんね」

ええ、そんな。そりゃないですよ。
ひょっとしたらこれから箱根を回って、思い出を作って、みたいな展開を
僕は考えていたんですけど。

しかし、佳子さんはもう、荷物をしっかりまとめていた。僕も従わざるを得なかった。
あわてて荷物をまとめて、玄関へと向かった。

がーん。悲しくて、胸が落ちる。僕はとぼとぼと玄関から出ようとした。
そこで思い出した。

僕 「あの、お金は?」

僕はまだ宿にお金を払っていなかった。いったいいくらするんだろう、あの部屋は。
しかし、佳子さんは平然と言った。

佳子「あ、いいのよ。今回は特別」
僕 「そんな、あんな高い部屋に泊めてもらったのに」
佳子「いいのよ。彼氏役をやってもらったから、そのアルバイト代だと思って、ねっ」

ええ、これってアルバイトだったんですか。僕はさらに落胆した。
これでこの物語は終わりなのか。それってあまりにも寂しくないか。
僕がその辺のことを何とかして伝えようとしたところ、
佳子さんはまた意外なことを言った。

佳子「いいの。ちょっと大変だと思うけど、たぶんまた来ることになるんだから」

僕は真意がわからなかった。それは、客として?それとも、佳子さんの彼氏役として?
その答えを聞く前に、僕は宿の車に押し込められた。

僕 「あの、僕」

なおも抵抗しようとする僕に、佳子さんは引導を渡した。