僕の大学の同期についての、風の便りが聞こえた。結婚するという。
相手は、有名な女優T・Tさんと、全く同じ名前だった。
「へえ、すごいね、同姓同名かあ」と思っていたら、
相手は本当にその女優さんで、驚いた。

そんな素晴らしい話には及びもしないが、僕の中ではすごい話があったので
紹介させていただく。



平成28年8月27日 土曜日。



また、夜になってしまった。

「きょうも、おつかれさまでしたーっ」

僕は、石井という。40歳。職業、気象予報士。

明日使うコメントを書き終え、僕は勤め先の「坂の上テレビ」を出た。
帰りのバスで、スマホを見るけど、もう飽きた。
世の中は世の中を知りすぎている。つながりすぎている。
やりすぎの世界と付き合うのに、もう疲れた。

「あーあ、毎日つまんねーな。」

僕は昔から、酒と時間と女が存在すれば、それでいいと思っていた。
いま、全部ある。ぴっちりある。
でも、つまんねえ。というか、悲しい。
なんでか?
もう僕の先はあってないようなものだからだ。
このあと定年まで淡々と会社で仕事をするのだろう。
そして、自由時間もそこそこあるんだろう。
女とも淡々とやるんだろう。それで僕は死ぬんだよ。

というか、もう死んでるよな。

もうどうでもいいや。これ以上いいことなんてないし、
女とこのあと結婚したら面倒くさいだけだし、社会保障はどんどん厳しくなっていくし、
どんどん金を吸い取られておしまいさ。

それに、世の中と共存するのに、もう疲れた。

だって、何でもありすぎる。それだけじゃなく、知りすぎている。
もののありすぎはまだ耐えられるけど、知りすぎた世の中には、耐えられない。



僕はまた、いつもの嘆きをはじめた。

嘆いたり悩んだりするのは5分まで、と決めているけど、
たまに10分以上かかることがある。

僕は会社で後輩に
「嘆いたり悩んだりするのは5分までにしよう。
そうしないと、楽しいときに感情が使えなくなるから」
なんて、えらそうに説教してるけど、
僕自身ができていないじゃないか。

終わっている上に、他人にえらそうにする上に、
自分ができていない。そしてそれを隠したまま何食わぬ顔で生きている。

僕って最悪だ。


そんなことを思っていると、バスが最寄りの停留所に着いた。
僕の大事なホームグラウンド、新宿の片隅だ。

昔は新宿で暮らせるだけでウキウキしていたけど、
いまは浮き草のような軽さしかない。

僕はバスを降りてずんずん歩いた。

ずんずん歩いても、何も進歩は感じない。
いや、世の中との戦いに負けている自分がいて、後退すら感じる。

でも、歩くしかない。歩いて、とりあえず家に帰るしか選択肢がない。
事前にLINEした時間通り帰らないと、うるさいからな。


白壁が一見美しい、でも、のっぺらぼうな、マンションに着く。
新しいように見えるけど、実は古い。
昭和のような人間の温かさやぬくもりが、ないからだ。

ここの住人は誰もあいさつなんてしやしない。
すれ違ってもみんなスマホを覗き込んで、逃げるようにして去っていく。

なんだこれは。人間としての温かさがない家なんて、石器時代にもなかったはずだ。
僕は石器時代より前の人間なのかい!

きょうもまた、そんなことを思っている。
しかし、ここからが、僕の本領発揮だ。切り換えをすばやくして、相手対応仕様に入ろう。



よし。心の切り換えは1秒で済んだ。
家の鍵を開ける。
部屋の奥から、するりと僕のぺっぴんさんが現れる。
身長149センチ。
肩より長く伸ばしたまっすぐな黒髪を、さらりさらりとなびかせながら、
色白の、まだメイクしたままのつややかな表情でのご登場だった。


「おかえりなさあい」


僕の、いわゆる彼女であり、たぶん結婚するかもしれない同棲相手、みわちゃん。
みわちゃんは、僕より8つ年下だ。僕が今勤めている会社で、受付をしている。
受付と予報士がなんでつきあっているのかというと、
受付からえらいお客さんを現場に案内してきたみわちゃんが
いっぱい僕に視線をくれたのが始まりだ。


会社の人の話によると、みわちゃんはモテモテで
いろんな男に言い寄られているらしいけど、僕はそんなことは知らない。
そんな情報を知っても仕方がない。情報にあふれてまどわされても仕方がない。
情報を聞いたところで正確かどうかもわからないし、
仮に正確であっても、僕が正確に受け止められるかどうかもわからない。
もう情報が入ってくるのには飽き飽きしている。

だから、みわちゃんがなんで僕に近づいてきたのかも、聞いていない。

それに、つきあっているのは会社では言っていない。だって、めんどくさいから。
というか、最近つきあっているのもめんどくさいぞ。こんなんで結婚したらやだなあ。
でも別れるともっとめんどくさいだろうから、やだなあ。

そんなことをおくびにも出さず「みわちゃん、ただいま」と一応やさしく言っておく。
だってそうしないと、全てがめんどくさいから。

「お風呂、沸いてるよ」
みわちゃんは、やさしい。

でも、僕はなんだか満足できていない。
というか、何が満足なんだかよくわからなくなっている。

だからか。基準がわからなくなっているからか。
だから、ちょっとしたことですぐにイライラするんだな。

プラスが見えずに、マイナスだけ見るようになっちまったぞ。
それっていつからか?僕にはわからない。でも、昔はこんなことなかったはずだ。

そんなことを思いながら、みわちゃんの沸かしてくれた風呂に入る。


いい具合に温まったので、そろそろ出ようと思っていたら、
みわちゃんが、脱衣場にある洗面所に入ってきた。

みわちゃんはそこで、延々と歯磨きを始めた。
さらに、ご丁寧に糸ようじで歯間を磨き始めたようだ。

長いよ。僕、上がれないじゃん。
僕は風呂についている湯沸かし器のリモコンのデジタル時計をじっと見る。

5分たった。今度は髪をいじり始めたようだ。これが長い。
長い黒髪をいじるのには長い時間がかかるが、それにしても長い。

10分経った。もう9時40分過ぎたよ。
いい加減にしろ!と、浴槽のお湯をザバッと外にかき出す。

なんでこんなにいらついているのか、自分でもわからないけど、
とにかくいらっとして、いらっとした分だけの水を僕は思いっきりかき出した。

無反応。
おい、最近、僕のことないがしろにしてないか。もう風呂の中で、僕、熱いよ。
でも、口で文句をいうとめんどくさいから、言わない。

それでも、まだ、無反応。
しびれを切らせて浴槽のふたをばたばたと閉め始めた。
これなら退散するだろう。

でも、無反応。

もう、いい加減にしろ!
脱衣場にいてもいいから僕は出るぞ!とややセクハラチックなことを思って
思い切って風呂から出ると、脱衣場はもぬけのからだった。

どうやら、僕がザバっとやったときに、彼女は脱衣場から出たようだ。

僕には聞こえなかっただけか。

いったい、なんなんだよ!
僕の怒りはさらに僕の中では増幅したが、僕の外には見えない状態が続いている。
いや、続かせている。

だって、めんどくさいじゃん。

最近、なんでもこれだ。
マイナスの感情がしょっちゅう湧き立って、湧き立って、仕方ないけど、
それが表に見える状態になることは、皆無だ。
もう、体が本能的に面倒くさいことを拒否しているのだろう。
ああ、僕っていつからこんなに無機質になったんだ?

また、そんなしょうもないことを考えたが、
体を拭いてみわちゃんのところに戻るときには
そんな感情はやはりおくびにも出さないよう、また本能的にクールな表情をしていた。

みわちゃんはきっと、僕をおとなしい人間だと思っているのだろう。
だって、みわちゃんに出会ったのは、平成26年だからな。
もう僕がだいぶ平成という時代に染まってからだから、
昔みたいなダイナミックな僕を、みわちゃんは知らない。

でも、「彼、怒らないところが便利」って
友達にLINEしているところを見てしまったから、
ハイダイナミックレンジな僕なんて、みわちゃんに見せられない。
さあて、部屋に戻るぞ。
よし。心の切り換えは1秒で済んだ。
部屋に戻ると、みわちゃんがテレビをつけていた。

NHKがついている。ずいぶんにぎやかな番組だ。
画面に「第48回 思い出のメロディー」と書いてあった。
ああ、昭和の名曲を聞かせる番組だ。
ちょうど、北島三郎さんが「風雪ながれ旅」を歌っていた。

僕  「みわちゃん、ずいぶん渋い番組見ているんだね」
みわ 「今、たまたまつけていただけだよ」

みわちゃんは昭和59年の生まれだ。
物心ついたときには平成になっていたわけだから、
「思い出のメロディー」に、関心はないのだろう。
「風雪ながれ旅」も、みわちゃんが生まれる前の歌だ。

そういう僕は、みわちゃんより少し上の昭和51年の生まれだが、
あまり「思い出のメロディー」に関心がなかった。


みわ 「じゃ、チャンネル変えるね」
僕  「うん」


そう言った瞬間だった。

「風雪ながれ旅」が終わって、萩本欽一さんが出てきた。
ザ・昭和のタレントだ。

そして、司会の女優さんにうながされて、萩本さんが
「それでは、ドーンといって、みよう!」と言ったのだ。

「ドーンといって、みよう!」

なんなんだ、これは。あまりにもまっすぐだな。
スッキリするようなこと、言ってくれるな。昭和だ昭和だ。戦後だ戦後だ。

僕はちょっと面白かったので、リモコンに手を伸ばしたみわちゃんに
「ちょっと待って」と言った。


僕  「どうせもう終わるんだから、もうちょっと見る」
みわ 「変なの」


みわちゃんに「変なの」と言われて、僕はちょっとだけ気持ちにさざなみが立ったが、
その次の瞬間、もっと大きな波に襲われた。

あの歌が、始まったからだ。
往年の名歌手が舞台に勢ぞろいして、あの歌を、最後の全員合唱として歌い始めた。



「涙をこえて」。



僕が大好きな、歌だった。
最近、そういえばずっと聞いていなかったけど、この歌、あったなあ。


この歌は、昭和44年に作られた歌だ。バリバリ昭和元禄時代の歌だ。

それなのに、平成生まれのJ-POPのように、AメロからBメロへの転換が明確だ。
昭和最後の年にこの歌に出会った僕は、
まだJ-POPなんて聞いたことがない世界の、中学生坊主だった。

そのときに聞いた、このAメロBメロを駆使した歌の鮮烈さ。
初めてゾクゾクした、AメロBメロの感覚。
Bメロが司令塔のようになって、サビにつないでいく。

しかも、ちょっと明るく、ちょっと暗いBメロ。メロメロくる。
その後聞いたどのJ-POPよりも、印象に残っている。

僕は、
「歌は、サビよりも、Bメロにメロメロするようになったら、おしまいだ」
と思っているので、この歌が一等好きだった。 

そして、平成のJ-POPみたいなのに、
昭和40年代の希望あふれるルンルン社会、
この世でたった一度出会える明日を信じる社会がこれでもかというくらい、
明るく歌われている。

心の中で明日が明るく光って、しかも、それがかげりを知らない若い心の中で光る。
この世でたった一度めぐりある明日を信じて、
なくした過去に泣くよりも、涙をこえていきましょう、という、
これでもかこれでもかというくらい前向きな歌は、昭和の高度成長期、そのものだ。

でも、平成のJ-POPの要素もある。
なんなんだこの歌は。昭和と平成をつないでいる奇跡のカスガイなんじゃないか。

そんなことを思っていると、サビの後に、メロディーのキーがぐっと上がった。
僕はさらに、ゾクゾクした。
なんだろう、この感覚。僕は、どうしていいかわからなかった。