第六話 キミの横顔
『もう…だめなのかもしれない。』
胸を抑えながら、俯く翔
「んー…」
「…え、だめか?」
「少し動きが小さいかなぁ
もうちょっとオーバーにしてみる?」
「わ、わかった!」
翌日から、彩葉の翔への演技指導が始まった
「主人公が主役の座を奪われて落ち込んでいるこのシーン、今の自分に重ねてみるのはどう?」
くるっとペンを回してピッと翔に向ける彩葉
「今の、俺…」
「そそ。
もし今、おじいちゃんからの話が白紙になったらどうする?」
「…現実味ありすぎて怖いんだけど」
引きつる苦笑いで肩をすくめる翔
「まあでもそういう事よ。
自分に重ねてさ、自分ならどう思うかっていうのを取り入れていくのもありだと思うよ」
「も、もう一回!」
すぅ…と深く息を吸い込み、翔の表情が一瞬にして変わる
どこか思いつめたような顔をして、やっとの思いで口を開く翔
『もう…だめなのかもしれない。
今の俺には、あいつを超えることなんて出来ない…』
悲痛な叫びを訴えるかのように思わず跪き、彩葉から顔を背ける
『あなたの舞台に対する想いはその程度だったの?
あなたに夢を託したお兄ちゃんの気持ちは、どうなるのよ!』
彩葉もヒロイン役として参戦する
彩葉に再び向き直った翔は、涙を流していた
「…え」
予想外の翔の演技に、素に戻ってしまった
『…分かってる。分かってるんだ
けど、今の俺には…』
今までの演技にない、彼の本物の涙だった
どうにも変えられない現実を前に、抑えきれない主人公の想いが溢れ出す
『俺だって、もう一度あの舞台に立ちたい。
だけど…この身体じゃあ、もう…』
最後の方は、声にならない声になり、彩葉も思わず彼の演技に吸い込まれていた
…
「…えーと…彩葉?」
「!」
思わず見入ってしまった彩葉は次のセリフを忘れてしまうほどだった
「あ、ごめん…」
「今のはどうだった?さっきより、だいぶ主人公の気持ちが分かってきた気がするんだけど」
…すごい。
この人、やれば出来るとは思っていたけどまさかここまでだなんて…
「うん、すっごい良かったよ!
香月くんの今までの演技の中で初めて私、見入っちゃった!」
「初めてかぁ…
まあでも、俺も今すっげー楽しい!」
満面の笑顔を向けた彼は涙を拭う
「演技で本気で泣けたのは、初めてだ
いつも目薬使ったりして色々大変だったからな…」
「それだけ感情移入が上手くなったってことね」
いいタイミングでコンコン、とドアをノックする音がした
「二人とも頑張ってるかしら?
そろそろ休憩してもいいんじゃないかと思って」
入ってきたのはおばあちゃんだった。
「おばあちゃん!クッキー焼いてくれたの?!やった〜!」
「ありがとうございます」
「いいのよ。
ささ、休憩する時はちゃんと休憩しなくちゃね」
美味しそうなクッキーと紅茶のいい香りが部屋を包んだ
…
その日の夜、翔は部屋で必死に練習を重ねていた
翔が演じる“逢坂 香”。
彼は天才俳優として世間で挙げられていたがある時、同輩の恨みによって舞台稽古中、事故に遭う
足を負傷した彼は舞台に立つ事が難しくなり、同輩が舞台を引き継いだ
しかし彼は舞台に立つことが何よりも好きであり、ある人との約束のために舞台を続けていた
それは、ヒロインの兄との約束
クライマックスで絶望的と言われた復帰を見事果たし、ヒロインと結ばれる今回の“ミッドナイト シティ”。
今の翔と同じような部分もあり、自分に重ねるにはちょうど良かった
「…香は、根っからの舞台俳優で演じることが生きがいだった
…生きがいを失くした香、か…」
公演を重ねる度に、彼への意識は高まる
彼の心情や想いをしっかり表現していきたい
だけど、最近ようやく演技に正面を向き直ってちゃんと演じ始めた翔。
翔にとっては、なかなかその想いを読み取ることが難しかった
「…彩葉にばっかり頼るわけにはいかないしな」
困った時、助けてくれたのはいつも彩葉だった。
「でも、俺だってちゃんとこいつの事、分かりたい」
ガチャ、とドアを開けて隣の部屋のドアをノックする
「はあい」
気の抜けたような声が中からする
「俺。…入っていいか?」
「どーぞ〜」
カチャとドアを開けると、ベッドの上でこちらに背を向けてノートパソコンと向き合っていた
「…次の公演の準備?」
「そうそう〜。
新しい部員の事もあるし、難易度は若干下がっちゃうんだけど…ちゃんとしたもの作りたいしさ」
うーん、と珍しく頭を抱える彩葉
「…次の練習はいつから?」
「今週の金曜日〜
…あ。でもでも!香月くんの舞台は絶対見に行くから!」
バッ!と振り向いた彩葉の顔を見た翔は思わず吹き出してしまった
「な…?!」
「いや…ちょ、おま…不意打ちすぎんだろ…」
笑いを堪えきれない翔はついに笑い出してしまった
「…なによ」
むっと不機嫌になりかけた彩葉を指さしてまだ笑い続ける翔
「いや…まさかパックしてると思わなくて…笑ったわ」
勢いよく振り返った彩葉はパック中だった事をすっかり忘れており、あ。と自分の顔に手を当てた
「わ、忘れてただけだし!
…それで?何の用なのよ」
不機嫌になりながらパックを外し、座り直す彩葉
「あぁ、そうそう…
今してる公演の事でさ、相談があって」
「そう。
ま、最近すごく上手になってきたし、あるとすれば役についての相談…って所かしら」
「ご名答」
今まで何となくの気持ちで演じていたこの十年
それがこんなにものめり込むなんて。
自分でも、びっくりしていた
「俺さ、最近やっと演じる楽しさを知って。
でも、根っからの演技ばかだった“香”は俺と違うじゃん
その差を埋めるにはどうしたらいいかなって…」
ちら、と彩葉に視線を向けた翔はぎょっとした
彩葉の表情は、むすーっとさらに不機嫌になっていたからだった
「え、俺なんか悪いこと言っ…」
「まず。
なんで今そんな事考えてるの?」
「え…」
たじたじになる翔に容赦ない
「もう何ヶ月この公演してると思ってるの?
…他人と自分を比較するのは良くないわ
比較したって、積み重ねてきた年月は埋められないもの」
「そ、そりゃそうだけど…」
「いい?
どれだけキャリアを積んでたとしても怠けた数年と頑張った一年、どっちが凄いと思う?」
「…後者だけどさ」
「そうでしょ?
あなたが演じてきた“香”は確かにキャリアを積んで、尚且つ演じる事が大好きだった
でも、あなたは最近演技の楽しさに気づいた
そして、数年を無駄にしたと言っても過言ではないわ」
足を組み直し、鋭く翔を射抜く彩葉
「でも!
そんなの関係ないじゃない!
あなたはその“演じる楽しさ”に気づけた。それだけでいいじゃない
他に何を望むの?」
うぐ、と押され気味の翔
「…本来なら、まだ気づけなかったんじゃないの?演じる楽しさに。
私のおかげ、とまでは言わないわ
だけど、あなたは今気づけている。
それだけで、“香”と同じ気持ちになれてるって証拠じゃない」
はっとした顔をする翔は、思わず息を呑んだ
「…あなたが演じる楽しさに目覚めてから、私もとても楽しいし嬉しい。
日に日に舞台のクオリティが上がってるって氷山さんも言っていたわ」
「氷山が…」
普段あまり翔を褒めない氷山
そんな彼は影ながら、翔をとても認めていたのだった
「…最終公演まであと少し。
私も出来る限り協力させてもらうわ
だから、頑張りましょう」
「…あぁ!」
翔の顔は晴れやかだった
…同時刻。
「…ここね」
屋敷の前に、不審な影が一つあった
「翔くん…待っててくださいね
私がもうすぐ、迎えに行きますから…!」
彼女の震えるその手には、悪夢へのカウントダウンを始めるものが握られていた