第五話 監督と役者
「…よし、準備はいいか?」
「…うん!」
「俺が合図したら一気に行くからな。
…行くぞ!」
翔の声とともに、同時にマンションのエントランスを出る翔と彩葉
「乗れ!」
キキーッ!とぴったり車をつけて窓から顔を出す氷山
開いたドアから急いで車に乗り込み、その場を去った
「嘘!今の翔くんじゃなかった?!」
「早すぎて見えなかったよ〜」
「一晩中待ってたのに!」
翔を見れなかったファンは口々に愚痴を漏らす
「…っていうかさ」
最前列にいた一人のファンが口に出す
「さっき翔くん、女といなかった?」
「なになに、彼女でも出来たわけ?!」
辺りは一気に騒がしくなり、悲痛な叫びを上げるファンやその場で泣き崩れるファンまで現れる始末
「マスクして深く帽子被ってたけど…」
「あの女…許さない!」
過激派のファンの怒りを聞くことなくその場を去った三人
「いや〜…参ったね」
あはは…と助手席で笑う翔と呆れ顔でため息をつく氷山
「今どきのファンは恐ろしいからな…
まぁ、今も昔も変わらないか」
「彩葉、大丈夫か?」
翔が後部座席を振り返ると、胸を両手で抑え、小さく震える彩葉がいた
「こ、怖かったよな…ごめんな」
「でも…それが芸能人になるって事だよ、彩葉ちゃん」
後ろを振り向かず、氷山が言う
「彩葉ちゃん達のクラスはどんな形であれ、将来的に芸能界へ入る子がほとんどだろう。
近い将来、君もああなる事は重々視野に入れておくといい」
いまだ収まらない動機を何とか落ち着けようと何度も深呼吸をする彩葉
芸能人って、本当に大変なんだ
…
やっと彩葉が落ち着いてきた頃、遠くに見慣れた建物が見えた
「あ…あそこです」
「うわ、豪邸じゃん」
氷山も翔も興味津々な様子。
「ちょっと降りて呼んできますね」
翔が首を傾げるが構わず彩葉はインターホンの方へと向かった
「…あ、私。おじいちゃんいる?
香月くん連れてきたんだけど」
数秒後、家の大きな門が開いて氷山たちを中へと誘導した
「あら彩葉。一日ぶりねぇ」
「もーおばあちゃんってば…」
出迎えてくれたのはおばあちゃんだった
大して心配する様子もなく、おかえりと私に声をかけて後ろの二人に視線を向ける
「あなたが香月くんね。初めまして。
彩葉の祖母です」
「初めまして。香月翔です。
こっちはマネージャーの氷山です」
「氷山です。
早々とお邪魔してしまい、すみません」
氷山が深々とお辞儀をするとおばあちゃんは優しく笑う
「いいのよ氷山さん。
あの人も、あなた達が来てくれるのを待っていたんですもの」
案内するわ、と三人を連れてリビングへついた
「彩葉、少し手伝ってちょうだい」
「はーい」
呼ばれた彩葉は足早に部屋から出る
「…何か、緊張してきた」
残された翔は氷山に苦笑い
「…俺もだ。
あんな凄い名誉監督に目をつけられるだなんて…」
氷山も珍しく、緊張しているせいか落ち着きが無かった
ーコンコン、
「入りますねー」
ドアを開けた彩葉は紅茶やお茶菓子を二人の前に置き、今呼んできますねと再び部屋を出た
「…いよいよだな」
「あぁ。
…くれぐれも、失礼のないようにしてくれよ」
しばらくして、仁を先頭に彩葉と祖母も入ってきた
思わず同時に立つ氷山と翔
「遅くなってすまない。
わざわざ来てくれて感謝する…黒崎仁だ」
この人があの…
「マネージャーの氷山です。
お忙しい中、お時間を頂き光栄です」
「こ、香月翔です。お邪魔してます」
氷山に合わせてお辞儀をする翔
「あぁ、そんなに硬くならなくていい
まあ座ってくれ」
二人の前に座る仁を確認し、氷山と翔も再びソファにつく
祖母は部屋を退出し、彩葉は仁と二人の間のソファに腰掛けた
「…君の噂はかねがね聞いているよ香月くん。
先日、君が主演する舞台を観させてもらってね
実に素晴らしかった」
「あ、ありがとうございます!」
緊張しているせいか、どこかぎこちない翔の笑顔
「それで…翔を招いてくださったのは一体どのようなご要件で…?」
恐る恐る氷山が尋ねると、仁は首を傾げて彩葉に問う
「彩葉。お前言ってなかったのか」
「え、だってそれは私の口から言うことじゃないでしょう」
「てっきりもう伝えてあるのかと…」
「そこはおじいちゃんの口からいいなよ」
混乱した表情の氷山と翔。
「…まあいい。
早速で悪いが本題に入らせてもらおう」
ゴクリ、と目の前の二人は息を呑む
「実は来年の春、とある映画を手がける予定があるんだが…
どうだ、出演する気はないか?」
「「…!!」」
氷山も翔も今までに無いほど大きく目を見開き、言葉に出せないほどだった
「君ならこなしてくれるんじゃないかと思ってね」
「俺が…映画に?」
震える声で、まだ信じられないといった表情の翔
「それも…主演で、だ」
「し、主演?!」
氷山も予想を遥かに上回る言葉に動揺を隠しきれなかった
「そしてもう一つ提案があるんだ」
そう言って彩葉に目線を移す仁
「…彩葉、お前も監督のヘルプとしてこの映画に参加する気はないか」
「わ、私が?!」
まさか自分にも役割を与えられるとは思っておらず、二人に負けないほど驚く彩葉
「助監督…は、まだ荷が重すぎるだろう。
だから、わしのヘルプにでもついていればお前の勉強になるんじゃないかと思ってな」
「私がおじいちゃんの…」
小さい頃から憧れ続けてきた夢。
その夢に、一歩でも近づけるチャンス…
「おじいちゃん…いや、黒崎監督。
私にその仕事、させて下さい!」
彩葉の決意に、翔の決意も固まる
「俺もぜひその仕事、やらせてください!
舞台とは全然違うけど…足りない部分は今からでもしっかりと補っていきます。
監督の名に恥じないよう、精一杯演じさせてください!」
そう言いきった翔の横で、氷山が口を開く
「事務所からも、どうかよろしくお願いします」
二人は深々と仁に頭を下げ、嬉しさで胸がいっぱいだった
「詳細についてはまた日を追って説明をしよう。
今日はゆっくりしてくれ」
その言葉に少し安心した表情を浮かべる二人
「して、少し話は変わるんだが…」
再び口を開く仁にピーン!と背筋が伸びる氷山と翔
「あぁ、もう仕事の話じゃないんだ。リラックスしてくれて構わない」
仁は二人に笑いかける
「香月くん、いま大変な事になってるんだって?」
「あ、はい。どこからかは分からないんですけど…
熱烈なファンに俺の家とか学校がバレちゃったらしくて」
「それで昨日は家から出られなかったと」
「はい。
…俺のせいで彩葉を巻き込んでしまってすみません」
「あぁ、大丈夫だ。
彩葉もその事について充分理解しているはず
芸能人は、そういうものだからな」
はははと笑う彼はおじいちゃんそのものだった
「どうだ、しばらく家にももう戻れそうにないだろう
うちに余った部屋がいくつかあるから落ち着くまで泊まっていくといい」
「そ、それはご迷惑じゃ…!」
慌てて氷山がそこまでお世話になるわけにはいかないと撤回しようとする…が
「なぁーに、一人の人間が増えたくらいじゃどうってことないだろう。
それに映画の話もしやすいだろうし一石二鳥じゃないか」
「そうかもしれないですけど…!」
なかなか承諾しない氷山
「氷山さん、おじいちゃんこういう性格だから一度言い出したら聞かないよ。
緊急事態だし、いいんじゃない?」
「君まで…」
「まぁ孫娘の許可も得たし、君さえよければどうぞゆっくりしていくといい」
「…翔、ご迷惑になることは絶対にするなよ」
いつもの三倍増しくらいの睨みを効かせて翔に向き直る
「は、はい…」
こうして、不思議な同居生活が始まった
「…ふう」
お風呂から上がり、自分の部屋へと戻ってきた彩葉
「そういえば、先生ちゃんと台本見たのかな…」
タブレット端末を取り出して確認すると、一件のメッセージが届いていた
<今回もよく出来ている。バッチリだ!
練習は明後日からだが来れそうか?>
「明後日…あ、金曜日だ」
翔の主演舞台の最終日…
「舞台は夜の七時からだし、間に合うよね」
大丈夫ですと一言メッセージを送り、端末を閉じた
ーコンコン、
「はーい」
「…俺。今いいか?」
「どうぞー」
ガチャ、と開いたドアから翔が入ってきた
「…何から何まで、悪かったな」
「そんな!あたし結構楽しいから全然だよ」
実際、一人っ子だった彩葉はとてもわくわくしていた
「…少し、話っていうか…相談っていうか」
いつになく弱気な翔
「…?
まぁ、 ベッドにでも座りな?」
促されるまま翔はベッドに腰掛ける
「それで話って?」
「俺、今してる舞台もそうなんだけどさ。
俺が主演、って聞いた時…
怖かったんだ。
本当に俺でいいのか、
俺なんかに、主演をさせていいのか…
本気で演技をしてる他の役者に申し訳なくて、最初は断ってたんだ」
「え…」
「単に自信が無いっていうのもあったけど…
真面目に打ち込んでるみんなに、申し訳なかった」
舞台の裏でそんな事があったとは…
「でもお前と出会って喝入れられて…
前より少し、演じることが好きになれた気がしたんだ」
遠くを見つめるように、そう言う翔
「…けど、今日の話
普通ならすっげー喜んでいいんだと思う
実際、氷山も事務所きっての快挙だって喜んでたし。
でも、不安で。」
初めてのことでドキドキしている反面、この人も不安なんだ…
「そんなの…私だって不安だよ。
movie部の発表とは違って…それこそ不特定多数の人が映画を見に来る
お金を払って見るんだから、満足のいく作品を提供するのが絶対条件
…私にそのお手伝いが出来るかなんて、正直まだわからない」
だけど、
「おじいちゃんの作品、私大好きなの」
「監督の、作品…」
「私小さい頃からおじいちゃんもおばあちゃんも仕事だったから家に一人で居ることが多くて。
寂しかった時、おじいちゃんの作品いつもみてたの」
一人で大きなこの家にいるのは寂しかった
「おじいちゃんの作品、すごいんだよ。
見た人を一瞬で虜にして笑わせたり泣かせたり…時には怒らせたりだってしちゃう」
キィ、と椅子の背もたれにもたれ掛かる彩葉
「私もいつか、そんな作品が作りたいってずっと思ってた
今回の話は…その夢に一歩でも近づけるチャンスなの」
不安ばかりじゃない。
初めての事だけど、不安以上にわくわくが止まらない
高鳴る胸に両手を置き、目を伏せる彩葉
「…香月くんも不安かもしれない。
だけど、それ以上におじいちゃんの世界を楽しんでほしい
あなたが選んだこの道を、絶対に後悔させない作品になるって、私信じてる」
「…俺、不安になるばっかりで何も見えてなかった。
せっかくのチャンスだもんな」
「香月くん…」
「彩葉。いつかお前が監督として手がける作品に俺出てみたいし
…一緒に頑張ろうぜ!」
「うん!」
二人の会話をドア越しに廊下で聞いていた仁は嬉しそうに笑みをこぼし、そっとその場を離れた
「…よし、準備はいいか?」
「…うん!」
「俺が合図したら一気に行くからな。
…行くぞ!」
翔の声とともに、同時にマンションのエントランスを出る翔と彩葉
「乗れ!」
キキーッ!とぴったり車をつけて窓から顔を出す氷山
開いたドアから急いで車に乗り込み、その場を去った
「嘘!今の翔くんじゃなかった?!」
「早すぎて見えなかったよ〜」
「一晩中待ってたのに!」
翔を見れなかったファンは口々に愚痴を漏らす
「…っていうかさ」
最前列にいた一人のファンが口に出す
「さっき翔くん、女といなかった?」
「なになに、彼女でも出来たわけ?!」
辺りは一気に騒がしくなり、悲痛な叫びを上げるファンやその場で泣き崩れるファンまで現れる始末
「マスクして深く帽子被ってたけど…」
「あの女…許さない!」
過激派のファンの怒りを聞くことなくその場を去った三人
「いや〜…参ったね」
あはは…と助手席で笑う翔と呆れ顔でため息をつく氷山
「今どきのファンは恐ろしいからな…
まぁ、今も昔も変わらないか」
「彩葉、大丈夫か?」
翔が後部座席を振り返ると、胸を両手で抑え、小さく震える彩葉がいた
「こ、怖かったよな…ごめんな」
「でも…それが芸能人になるって事だよ、彩葉ちゃん」
後ろを振り向かず、氷山が言う
「彩葉ちゃん達のクラスはどんな形であれ、将来的に芸能界へ入る子がほとんどだろう。
近い将来、君もああなる事は重々視野に入れておくといい」
いまだ収まらない動機を何とか落ち着けようと何度も深呼吸をする彩葉
芸能人って、本当に大変なんだ
…
やっと彩葉が落ち着いてきた頃、遠くに見慣れた建物が見えた
「あ…あそこです」
「うわ、豪邸じゃん」
氷山も翔も興味津々な様子。
「ちょっと降りて呼んできますね」
翔が首を傾げるが構わず彩葉はインターホンの方へと向かった
「…あ、私。おじいちゃんいる?
香月くん連れてきたんだけど」
数秒後、家の大きな門が開いて氷山たちを中へと誘導した
「あら彩葉。一日ぶりねぇ」
「もーおばあちゃんってば…」
出迎えてくれたのはおばあちゃんだった
大して心配する様子もなく、おかえりと私に声をかけて後ろの二人に視線を向ける
「あなたが香月くんね。初めまして。
彩葉の祖母です」
「初めまして。香月翔です。
こっちはマネージャーの氷山です」
「氷山です。
早々とお邪魔してしまい、すみません」
氷山が深々とお辞儀をするとおばあちゃんは優しく笑う
「いいのよ氷山さん。
あの人も、あなた達が来てくれるのを待っていたんですもの」
案内するわ、と三人を連れてリビングへついた
「彩葉、少し手伝ってちょうだい」
「はーい」
呼ばれた彩葉は足早に部屋から出る
「…何か、緊張してきた」
残された翔は氷山に苦笑い
「…俺もだ。
あんな凄い名誉監督に目をつけられるだなんて…」
氷山も珍しく、緊張しているせいか落ち着きが無かった
ーコンコン、
「入りますねー」
ドアを開けた彩葉は紅茶やお茶菓子を二人の前に置き、今呼んできますねと再び部屋を出た
「…いよいよだな」
「あぁ。
…くれぐれも、失礼のないようにしてくれよ」
しばらくして、仁を先頭に彩葉と祖母も入ってきた
思わず同時に立つ氷山と翔
「遅くなってすまない。
わざわざ来てくれて感謝する…黒崎仁だ」
この人があの…
「マネージャーの氷山です。
お忙しい中、お時間を頂き光栄です」
「こ、香月翔です。お邪魔してます」
氷山に合わせてお辞儀をする翔
「あぁ、そんなに硬くならなくていい
まあ座ってくれ」
二人の前に座る仁を確認し、氷山と翔も再びソファにつく
祖母は部屋を退出し、彩葉は仁と二人の間のソファに腰掛けた
「…君の噂はかねがね聞いているよ香月くん。
先日、君が主演する舞台を観させてもらってね
実に素晴らしかった」
「あ、ありがとうございます!」
緊張しているせいか、どこかぎこちない翔の笑顔
「それで…翔を招いてくださったのは一体どのようなご要件で…?」
恐る恐る氷山が尋ねると、仁は首を傾げて彩葉に問う
「彩葉。お前言ってなかったのか」
「え、だってそれは私の口から言うことじゃないでしょう」
「てっきりもう伝えてあるのかと…」
「そこはおじいちゃんの口からいいなよ」
混乱した表情の氷山と翔。
「…まあいい。
早速で悪いが本題に入らせてもらおう」
ゴクリ、と目の前の二人は息を呑む
「実は来年の春、とある映画を手がける予定があるんだが…
どうだ、出演する気はないか?」
「「…!!」」
氷山も翔も今までに無いほど大きく目を見開き、言葉に出せないほどだった
「君ならこなしてくれるんじゃないかと思ってね」
「俺が…映画に?」
震える声で、まだ信じられないといった表情の翔
「それも…主演で、だ」
「し、主演?!」
氷山も予想を遥かに上回る言葉に動揺を隠しきれなかった
「そしてもう一つ提案があるんだ」
そう言って彩葉に目線を移す仁
「…彩葉、お前も監督のヘルプとしてこの映画に参加する気はないか」
「わ、私が?!」
まさか自分にも役割を与えられるとは思っておらず、二人に負けないほど驚く彩葉
「助監督…は、まだ荷が重すぎるだろう。
だから、わしのヘルプにでもついていればお前の勉強になるんじゃないかと思ってな」
「私がおじいちゃんの…」
小さい頃から憧れ続けてきた夢。
その夢に、一歩でも近づけるチャンス…
「おじいちゃん…いや、黒崎監督。
私にその仕事、させて下さい!」
彩葉の決意に、翔の決意も固まる
「俺もぜひその仕事、やらせてください!
舞台とは全然違うけど…足りない部分は今からでもしっかりと補っていきます。
監督の名に恥じないよう、精一杯演じさせてください!」
そう言いきった翔の横で、氷山が口を開く
「事務所からも、どうかよろしくお願いします」
二人は深々と仁に頭を下げ、嬉しさで胸がいっぱいだった
「詳細についてはまた日を追って説明をしよう。
今日はゆっくりしてくれ」
その言葉に少し安心した表情を浮かべる二人
「して、少し話は変わるんだが…」
再び口を開く仁にピーン!と背筋が伸びる氷山と翔
「あぁ、もう仕事の話じゃないんだ。リラックスしてくれて構わない」
仁は二人に笑いかける
「香月くん、いま大変な事になってるんだって?」
「あ、はい。どこからかは分からないんですけど…
熱烈なファンに俺の家とか学校がバレちゃったらしくて」
「それで昨日は家から出られなかったと」
「はい。
…俺のせいで彩葉を巻き込んでしまってすみません」
「あぁ、大丈夫だ。
彩葉もその事について充分理解しているはず
芸能人は、そういうものだからな」
はははと笑う彼はおじいちゃんそのものだった
「どうだ、しばらく家にももう戻れそうにないだろう
うちに余った部屋がいくつかあるから落ち着くまで泊まっていくといい」
「そ、それはご迷惑じゃ…!」
慌てて氷山がそこまでお世話になるわけにはいかないと撤回しようとする…が
「なぁーに、一人の人間が増えたくらいじゃどうってことないだろう。
それに映画の話もしやすいだろうし一石二鳥じゃないか」
「そうかもしれないですけど…!」
なかなか承諾しない氷山
「氷山さん、おじいちゃんこういう性格だから一度言い出したら聞かないよ。
緊急事態だし、いいんじゃない?」
「君まで…」
「まぁ孫娘の許可も得たし、君さえよければどうぞゆっくりしていくといい」
「…翔、ご迷惑になることは絶対にするなよ」
いつもの三倍増しくらいの睨みを効かせて翔に向き直る
「は、はい…」
こうして、不思議な同居生活が始まった
「…ふう」
お風呂から上がり、自分の部屋へと戻ってきた彩葉
「そういえば、先生ちゃんと台本見たのかな…」
タブレット端末を取り出して確認すると、一件のメッセージが届いていた
<今回もよく出来ている。バッチリだ!
練習は明後日からだが来れそうか?>
「明後日…あ、金曜日だ」
翔の主演舞台の最終日…
「舞台は夜の七時からだし、間に合うよね」
大丈夫ですと一言メッセージを送り、端末を閉じた
ーコンコン、
「はーい」
「…俺。今いいか?」
「どうぞー」
ガチャ、と開いたドアから翔が入ってきた
「…何から何まで、悪かったな」
「そんな!あたし結構楽しいから全然だよ」
実際、一人っ子だった彩葉はとてもわくわくしていた
「…少し、話っていうか…相談っていうか」
いつになく弱気な翔
「…?
まぁ、 ベッドにでも座りな?」
促されるまま翔はベッドに腰掛ける
「それで話って?」
「俺、今してる舞台もそうなんだけどさ。
俺が主演、って聞いた時…
怖かったんだ。
本当に俺でいいのか、
俺なんかに、主演をさせていいのか…
本気で演技をしてる他の役者に申し訳なくて、最初は断ってたんだ」
「え…」
「単に自信が無いっていうのもあったけど…
真面目に打ち込んでるみんなに、申し訳なかった」
舞台の裏でそんな事があったとは…
「でもお前と出会って喝入れられて…
前より少し、演じることが好きになれた気がしたんだ」
遠くを見つめるように、そう言う翔
「…けど、今日の話
普通ならすっげー喜んでいいんだと思う
実際、氷山も事務所きっての快挙だって喜んでたし。
でも、不安で。」
初めてのことでドキドキしている反面、この人も不安なんだ…
「そんなの…私だって不安だよ。
movie部の発表とは違って…それこそ不特定多数の人が映画を見に来る
お金を払って見るんだから、満足のいく作品を提供するのが絶対条件
…私にそのお手伝いが出来るかなんて、正直まだわからない」
だけど、
「おじいちゃんの作品、私大好きなの」
「監督の、作品…」
「私小さい頃からおじいちゃんもおばあちゃんも仕事だったから家に一人で居ることが多くて。
寂しかった時、おじいちゃんの作品いつもみてたの」
一人で大きなこの家にいるのは寂しかった
「おじいちゃんの作品、すごいんだよ。
見た人を一瞬で虜にして笑わせたり泣かせたり…時には怒らせたりだってしちゃう」
キィ、と椅子の背もたれにもたれ掛かる彩葉
「私もいつか、そんな作品が作りたいってずっと思ってた
今回の話は…その夢に一歩でも近づけるチャンスなの」
不安ばかりじゃない。
初めての事だけど、不安以上にわくわくが止まらない
高鳴る胸に両手を置き、目を伏せる彩葉
「…香月くんも不安かもしれない。
だけど、それ以上におじいちゃんの世界を楽しんでほしい
あなたが選んだこの道を、絶対に後悔させない作品になるって、私信じてる」
「…俺、不安になるばっかりで何も見えてなかった。
せっかくのチャンスだもんな」
「香月くん…」
「彩葉。いつかお前が監督として手がける作品に俺出てみたいし
…一緒に頑張ろうぜ!」
「うん!」
二人の会話をドア越しに廊下で聞いていた仁は嬉しそうに笑みをこぼし、そっとその場を離れた