第三話 二人の実力
「…どう?」
「……」
四時間目が自習になった事により、私の席へとみずきがやってきた
何とか時間までに作り上げた台本を、みずきは真剣な目で読んでいる
「えと…みずき?」
恐る恐る、真剣に見入る彼女に問いかける
「…い」
「え?」
「すごいよ彩葉!!
よくこんな短時間でここまで作れたね?!
やっぱり彩葉は天才だよ〜!」
キラキラとした眼差しで、彩葉を見つめるみずき
「大げさな…じゃあとりあえず、先生にこれ提出してくるね」
「うん!…あ、でも先生今いなくない?」
「あれ、さっきまで教卓に顔乗せて寝てたのに…」
一番後ろの私の席から見える教卓には、誰もいなかった
「…先生なら十五分くらい前にどっか行ったよ」
左隣から、無愛想な声が聞こえた
「あ、香月くん」
みずきが言うと、顔を上げてこちらに目線を向ける翔
彼が机に伏せて、イヤホンをしているからだろうか
誰も近寄ろうとはせず、みんな遠くから彼を見ていた
「そーなの?…じゃあ、探しに行く?」
その言葉とは裏腹に、行きたくなさそうなみずき
「んー…まあ、そのうち帰ってくるでしょ」
「それじゃあ…早速配役、決めちゃおーよ!」
私から台本をとったみずきは、ルーズリーフにメンバーを書き出す
「…なにそれ」
あれ、この人意外に好奇心旺盛なのかな?
香月くんが不思議そうに台本を見ていた
「うちの部…movie部の台本。
明後日の新入生歓迎会までに一作品作ってこいって言われちゃって」
「明後日?そんなの出来るわけ…」
無理だろと顔を険しくした香月くんに、みずきがずいっと台本を見せる
「普通は無理って思うでしょ?
でも彩葉は天才なの!午前中にこれだけのシナリオを立てちゃうんだから!」
みずきから台本を受け取った香月くんは、読み進めるにつれて目を見開く
「…ほんとにこれ、今書いたの」
「そ、そうだけど…」
「…隣でずっと何か書いてるとは思ってたけど…驚いた。お前、すごいな」
その言葉を聞き、何故か自慢げにいばるみずき
「そうでしょそうでしょ?!
彩葉はmovie部の天才監督でありながらうちの脚本家、他にも小説家としても活動してるの!」
「…物語を作るのが好きなんだな」
そう言って、少しだけ笑った香月くん。
「やっぱり、笑うともっとかっこいいよね〜」
「香月くん、何をしても絵になる〜!」
遠くから彼を見ていたであろうクラスの女子が口々にいう
「お前さ…」
何か言いかけた彼の間を割るように、彼のケータイが鳴った
<To.翔
今夜の舞台、予定通り七時からの公演だ。
初日だからキャストによる舞台挨拶もある
しっかり考えておいてくれ
氷山>
「…」
「?どうしたの」
「…いや、何でもない」
氷山からのメールを見て、一気に現実に引き戻された翔
ーまた、あの舞台に立たなきゃいけないのかよ
毎日毎日夜遅くまで舞台稽古をさせられて、休む暇もなく雑誌やインタビューの仕事を詰められる
…
いい加減、辞めてしまいたい
「…ん、香月くんってば!」
彩葉の声にはっと我に返り、いつもの役者スマイルを向ける
「…なに?」
「…」
…あれ?
あれ、おかしいな
大体の女なら、この営業スマイルで何とかなるのに…
彼の目の前にいる彩葉は、悲しそうな顔をしていた
「…ちょっと来て」
「えっ…おい!」
グイッと彼の手を引き、彩葉は教室を出る
「い、彩葉?!」
慌てるみずきと周りの女子の悲鳴に似た叫び声が教室を包んだ
ー…
「っ…おま、いい加減に離せって!」
案外力の強かった彩葉の手はようやく離れ、辿りついたのは中庭だった
中央に大きな噴水があり、周りには花壇に植えられた色とりどりの花花が咲いていた
「…もういい加減、やめたら?」
振り返った彩葉は真面目な顔で、少し怒っているようだった
「やめるって…何をだよ」
少し悟られたかと警戒し始める翔
「私、movie部の活動のために色んな舞台を見に行ったわ
…もちろん、あなたの演技もいくつか見てきた
だけどあなたの演技、ちっとも面白くなかった」
「なっ…!」
突然罵倒された翔はわけがわからなかったが…彼も負けじと言い返す
「お前…天才だかなんだか知らないけどさ…
お前に俺の何が分かるっていうわけ?!
俺の演技が気に入らない?
…俺だって好きでやってるんじゃねーよこんな事!」
「…」
久しぶりに声を荒げ、息を整える翔
最後の方はほとんど叫ぶように本音をぶちまけてしまった
…
少し言いすぎたかと、恐る恐る顔を上げる
「…知ってたよ、そんな事」
「!」
突然、優しい声になって悲しそうに笑う彩葉が目に映る
「あなたが演技をする時、“演じる”んじゃなくて“演じさせられてた”事くらい」
こいつ、何言って…
状況が理解できない翔に、彩葉は語り出す
「…私ね、小さい時から映画監督だとか脚本家、小説家とか…とにかく物語を作ることが好きだったの
自分が書いた作品で、どれだけキャストを輝かせられるか…それがとても楽しかったの」
時折目を伏せながら、ゆっくりと彩葉は語る
「私が中学生になった頃…初めてあなたが出演する舞台を見に行ったわ。
…“時の誘惑”、とても素晴らしかった」
翔の人気が出始めた、ターニングポイントともいえる作品だった
「だけどあなたの演技を見て、初めて違和感を感じたの
それから気になって、何度もあなたが出演する舞台を見に行ったの」
「…」
「そしたらね、気づいたの。
あなたが本気で演技をしていないんだって」
「…っ!」
「…“早く終わりたい”、“早く舞台から降ろしてほしい”
私には、そんな風にしか聞こえなかった」
「っ…どうして…」
自分でも口に出さず、心の奥底に閉じ込めてきた感情を
どうして、出会ったばかりのこの子が気づいたのか
「どうして、って顔してるね」
「そりゃあ…」
「ふふっ。
…お芝居や物語が、好きだからよ」
無邪気にそう言って笑う彼女が、
今の翔にとってはとても眩しかった。
「とは言っても…物語を書くだけじゃあつまらないの。
だから脚本家兼、監督って感じかな!」
「…欲張りだな」
眉を下げて笑う翔
「やっと笑ったね」
「え…」
「あんな営業スマイル、私には通用しないよ?
どれだけの役者さんを見てきたと思ってるのよ」
「ははっ。叶わねーや…」
参ったというように頭の後ろで腕を組む翔
「…今日もさ、七時から舞台が入ってんの。
俺の初めての主演舞台…“ミッドナイト シティ”
せっかく主演を任されても正直…全然やる気じゃなかったんだ」
「でしょうね。浮かない顔してるもの」
「…俺さ、本当は普通の生活を送りたかったの」
「…と言うと?」
彩葉が尋ねると、近くにあったベンチに翔は腰をかけた
「俺さ…役者始めて、もう十年になるの。
でもそれは、親が勝手に俺を芸能界に入れて十年も過ぎちまった、って事でもあって。
…本当は、普通に学校に行って、普通の暮らしがしたかったんだ」
「…あなたも苦労してるのね」
彩葉の言葉に苦笑いしながらも、話を続ける
「役者って仕事が無ければどんなに楽しい学校生活が送れただろう…って、いつも思ってた
普通に友達を作って、バイトとかして…
俺は、そんな普通の生活がしたかったんだ」
晴れた青空を見上げ、寂しそうに言う翔
「香月くんは…ご両親が嫌い?」
「あぁ。大嫌いだ…あんなやつら」
…思い出しただけで、腹が立つ。
「俺をこんな世界に入れやがって…
正直こんな世界、知りたくもなかった」
何かを堪えるように、再び下を向く
ーぽんぽん。
ぎゅっと瞑っていた目を開けた翔は一瞬、状況が理解出来なかった
「…よく、頑張ったのね」
彩葉は優しく、彼の頭を撫でた
「…」
「…演技は、“自分を偽る”もの。
役そのものになりきって、素の自分を見せないように。
だけどそれは…とても難しいこと。
自分という存在を消して、新たな人物に成り代わることは難しいわ」
だんだんと肩の力が抜けてきた翔の目は、じわじわと熱くなる
「演技をする場所以外でも自分を偽る必要、無いと思う
普通の生活がしたいなら、せめて学校でくらいは普通の男子高生でいたら?」
四六時中、かっこいい人気俳優の“香月翔”で居ることはラクじゃ無いわよね
そう言いながら笑う彩葉。
「…おれ、は…」
「あら、泣いてるの?」
「ばっ…泣いてねえし!目にゴミが入っただけだし!!」
慌てて彩葉の手を振り払い、必死に目を擦る翔
「…みんな教室で待ってるわ。
“本当の自分”を他人に晒すことって、難しいと思う
でも、“本当の自分”を偽ってこのクラスで居続ける方が、きっと難しいわよ?」
「…わかってる」
すっと立ち上がった翔は元来た道を帰る
それに続いて彩葉が一歩踏み出した時、ふと翔が立ち止まる
「黒崎、だっけ?」
「…彩葉でいいわ」
優しく笑う彩葉。
「その…ありがとな」
「!」
後ろを振り向くことなく、彼は元来た道を進んだ
「…」
しばらくそのまま立っていた彩葉
ふと我に返り、遠ざかる彼の後ろ姿を慌てて追いかけた
「…心配すること、なかったみたいだな」
部室から中庭を見下ろしていた三島がぽつりとつぶやく
「…翔には、まだまだ頑張ってもらわなきゃ困るからな」
隣で二人をずっと見ていた氷山もつぶやく
「それにしても…」
氷山がカチャ、と眼鏡をかけ直す
「あの子…黒崎彩葉、
もしや彼女はあの黒崎監督の…」
「あぁ。百年に一人の逸材と言われた、あの名誉監督の孫娘だ
…彼女、きっと近いうちに大きな成果を上げるだろう」
慌てて翔を追いかける彩葉を見ながら笑う三島
「…ぜひ、その作品にうちの翔を出演させたいものだな」
静かに笑う氷山に、三島が言う
「今度彼…香月と一緒にうちの部へ見学にでも来るといい。
脚本家兼、監督の天才女子高生と部員が待ってるよ」
「…あぁ。考えておこう」
そう言って、氷山は部室を去った