夜の暗い深い広い濃藍色の海の様な人だった。だとしたら、私は砂浜。さらさらと風に攫われてみたり、誰かに踏まれたり。とらえどころの無い、重いか軽いかも分からない。寄せてきた波を返し、規則的にそれを繰り返す。私たちもそうだった。
-今日、電話できる?
彼方(かなた)からメッセージが届く。
大方予想はつく。もし私の予想が当たっているのだとしたらこれで復縁は4回目か。
-明日ならできる
特に今日できない理由なんか無いけど過去に三回も別れているからには少し考えた方がいいと思った。どうせ付き合うだろうけど。
こういう時には部屋にこもって悶々と考えるよりは外に出た方がいい。私は家から徒歩十分程の近くにある海岸へ向かった。
悩み事がある度にここに慰めてもらう。前に来たのは半年前、大好きだった合唱部で人間関係に行き詰まったとき。ここのお陰で退部する勇気を持てた。
そこら辺の岩に座り海に浮かぶ月を、空に浮かぶ月を、星を、そして波をみる。風の音、波の音が私の歌声をかき消す。合唱部のときみたいに一人じゃないよって、私達も歌ってるよって言われてる様で心地よかった。
「アメイジング・グレイス」
後ろからの声に驚き振り返ると髪が長めの男の子が立っていた。
「だれ」
男の子(というか男の人)は愛想笑いをし「隣いい?」と聞き私が頷く頃には隣に座っていた。
「下に座ると砂付いちゃうよ」
「いいよ」
変な人ではなさそう。
「じゃあ私も」
私は岩から降りた。
「俺はレイ」
「ちひろ」
レイはどういう漢字をあてるのかと尋ねてきたので千に聖だというと綺麗だと褒めた。
「レイは?どういう漢字?」
「鈴だよ、猫の首に付けるやつ」
レイはまた笑った。なんだか、かわいい。
「レイかわいい」
レイは「は」と言いながらも頬を赤らめた。
「てか、ちひろさ、こんな知らない男と普通に話すなんて、危なっかしい。無防備。アホ。」
いつもは違う。知らない人に声を掛けられても無視する。道端でティッシュを配ってる人も無視する。
「アホじゃない」
レイのうるせえという小さな呟きを後に少し、私たちの間に沈黙が流れた。
「歌、好きなんだな」
別に、と答えようとするとレイは続けて喋った。
「お前の歌いいよ」
さっきとは違って真っ直ぐ海を見てはっきりと言った。
「好きだよ」
好きだった、の方かもしれない。歌も。彼方も。好きがいつの間にか執着へと変わってしまっていたのかも。だとしたら、どこかで変えなければならない。いつまでも繰り返すだけではいけない。
「ーるの?」
「えっ?」
ぼうっとしてんなよとレイは笑った。
「いつもここに来んのか?」
「うん。色々考える時は」
レイはじっと私をみる。
「色々考えてんのか」
「もう、考え終わった」
「じゃあもう来ないか」
レイが砂をさらさらと撫でる。
「レイに会えるなら、来るかも」
なんちゃってと言いかけて、何言っているんだろうと少し恥ずかしくなっているとレイに名前を呼ばれた。顔を見れずに私も砂を触っているとレイがこう言った。
「俺のこと、覚えてない?」
風の音が止まった。波も。木も。何もかも。
「えっ」
なぜこんなに心臓が早まるのか、私はまだ知らなかった。