怒ったような顔をして、頬を真っ赤に染める裕樹が何だか恐ろしくて私は後退った。それなのに、裕樹はそんな私を逃すまいと距離を詰めてくる。

「……姉さんは無防備だよね。姉さんは、俺を弟だと思って、自分のことを好いてる男をホイホイ家にあげてたんだよ?」
「……」

 狭い部屋の中、逃げ場なんてなくて、どうしたらいいのかわからないまま、私は動けなくなった。裕樹はそんな私にただ距離を詰めているだけで、壁に押しつけようとか無理矢理捕まえようとかはしなかった。
 でも、息のかかる距離にいる。捕まえようと思えば、いつでもできる距離に。

「……そういうことだったの。てっきり、私と何の繋がりもないことが嬉しいのかと思っちゃった。私はショックだったのに。裕樹との繋がりを証明するものが何もないってわかって、すごくショックだったの」

 努めて平静を装って私は言った。本当はちっともそんなことないけれど、動揺していても始まらないから。
 こういうときこそ、“姉”の余裕だ。でも本音は、弟だと思っていた目の前の男の子にとって食われるのではないかと冷や冷やしている。

「私、泣いたんだよ? 親が離婚する前から、私と裕樹の関係を証明するものなんてなかったってわかって、すごくショックだったんだよ? すごくあんたのこと可愛がって、弟だって、家族だって思ってたのに!」

 言いながら、初めて事実を知ったときのショックが蘇ってきて泣けてきてしまった。
 離婚はさほどショックではなかったけれど、裕樹との繋がりがなくなることは嫌だったのだ。
 おまけに今、混乱するようなことを言われて、頭の中はぐちゃぐちゃだ。
 弟だと思っていた裕樹に告白されて、姉じゃなくてよかったと言われ、私の気持ちはどこへ行けばいいのだろう。
 もうこんなの、泣くしかないーーそう思って、私は涙を流れるままにしていた。

「泣くなよ」

 困った顔をして裕樹が言う。拗ねているみたいな顔が、ちょっと可愛いなと思う。でもきっと、弟じゃないから、可愛いなんて言うと気を悪くするのだろう。

「……これが泣かずにいられますか」

 もう何だか嫌になってしまって、私は涙と一緒に鼻水をすすり上げた。
 それを見て、裕樹まで泣きそうな顔になっていった。

「じゃあさ、また家族になろう! ……でも、もう姉と弟は嫌なんだ!」

 あっと思ったら、抱きしめられていた。少し汗のにおいのする胸板に顔を押しつけられて、逃れようにも後ろ頭を両腕で抱え込まれて、私は動けなくなっていた。

「……それ、どういうこと?」
「だから、他人じゃ嫌なんだろ? それは俺も同じ。だから、家族になろうって言ってんの」
「……こういうとき、『恋人になって』って言うのが正解じゃないの?」
「だって、そんなもんじゃ嫌なんだ。足りない。だから、家族になるんだ」

 言いながら、裕樹はより一層私の体をぎゅうと抱きしめた。心細い夜に枕に抱きつくようなその仕草に、苦しいと思いつつも「しょうがないな」という気がしてきて、私も裕樹の背中に腕を回した。
 いつの間にこんなに大きくなったのだろう。
 抱きしめ返した体は、もうすっかり大人の男の人だった。


 まだ混乱しているし、正直何だか恥ずかしい。でも、この腕を振りほどこうという気にはなれなくて、むしろ居心地の良さを感じていた。

 私たちが姉弟でないというのなら、この離れがたい気持ちは何なのだろう。
 その答えが出るより先に、別の問題が浮上してしまったのだけれど。

「……今の、どっちのお腹の音?」
「……わかんない」
「とりあえず、ご飯食べようか」
「うん」

 抱き合ってお互いの鼓動だけしか聞こえない状態だったのに、間の抜けた腹の虫が二人の間に響き渡った。
 今鳴らなくてもいいじゃないというくらい大きな音で、しかも振動までばっちり伝わってきた。そのおかげで、本当にどちらの音なのかわからなかったけれど。

「あー……しまらねぇなぁ」
「家族だから仕方がないよ。恋人だと、こうじゃなかったかもしれないけど」

 体を離してお互い見つめあって、気恥ずかしさとおかしさで私たちは笑った。
 私たちの関係を適切に示す言葉は、まだ自分の中に見つけられない。それでも、この子のことを大切に思っていることは間違いなかった。
 なぜなら、裕樹の告白に私は嫌悪はないし、その逆で嬉しく思っているのだから。

 ただ、“姉”としての私が、どうしたものかと混乱しているだけなのだ。
 そればかりは仕方がない。
 でも、時間が解決してくれると、私は自信を持って思っていた。