「信玄さんって男前だし仕事もデキるけど、やっぱり……ちょっとヘンよねぇ?」

ヤギちゃんは口元を押さえながら控えめに言った。

「異論なし」

“ちょっとヘン” どころか “かなりヘン”だ。

「あ、そんなことより~噂になってたわよぉ」

「なにが?」

「伊藤さんのことよう!」

「え、」

「信玄さんが、凪っちを庇って伊藤さんにガツーンと言ってたって!」

昨日の今日だというのに、そんなことがもう噂になってるのか。恐ろしくて寒気がする。

「信玄さんの株、急上昇よ! 大きな声では言えないけど、伊藤さん、宴会部だけじゃなくて料飲部でも相当嫌われてるからねぇ。皆、ザマァミロ!ってなもんよ~」

ゴシップ好きの彼は、嬉々としている。

「それに、伊藤さんと信玄さんって、ほら。アレじゃない?」

「……アレって?」

恐る恐る尋ねると、ヤギちゃんはヒソヒソと話し出した。

「アタシも昨日初めて聞いたんだけどね、あの2人、昔付き合ってたらしいのよ!」

あの武田さんが……?
あの、伊藤さんと? 

にわかには信じられなかった。いや、信じたくなかった。
あの、武田さんが、並の人間のように恋愛をしていたなんて……不気味すぎる。

異性と手を繋いだり、キスをしたり、それ以上のことをするところなんて、とても想像がつかない。しかもそれの相手が、あの伊藤さん……?

「信じられない……」

「でしょぉ~?アタシもびっくりしちゃったわよ〜!」

……昨日の一件を思い出す。
確かに伊藤さん、武田さんに対して妙に偉そうな口きいてたなぁ。普通、先輩にあんな態度とれないよね。ましてや武田さんみたいな人に。

昨日のことを思い返せば、どんどん「そうかもしれない」と思えてくる。

「破局の原因までは分からないらしいんだけど。伊藤さんがあんな性格だもんねぇ〜」

「う、うん」

どうして2人は別れてしまったんだろうか。
武田さんは真面目を絵に書いたような人だ。しかも凄く潔癖そう。お付き合いするなら、一生添い遂げる覚悟があってもよさそうなものなのに。

でも、こんなの勝手なイメージにすぎない。
過去の話なのに、訳の分からないモヤモヤが頭の中を支配する。

--なんか、嫌だ。

私の中の「武田さん像」が音を立てて崩れていくのを感じた。

「あ、ごめん! ヤギちゃん、もう休憩終わるから、じゃあね!」

「ちょ、ちょっと~凪っち~~!?」

少し残ったカツ丼をそのままに、返却口に持っていく。
食堂のおばちゃんは、「食欲ないの? 珍しいねぇ」と不思議そうしていた。

どうしてこんな気持になるのか。
正体不明の感情にイライラする。

武田さんが昨日言ってた、伊藤さんに対する「……元からああいう奴だ」という言葉が、急に違う響きを持って、頭のなかで何度も繰り返された。