「いかがなされましたか?」
それは、紛うことなき武田さんの声だった。
この時ばかりは、地獄で仏に会ったかのように思えた。
「注文したものが違ったんだよ!」
酔っ払った客は少し怒っている。
武田さんは、誠に申し訳ございませんでした、と謝罪し、丁寧に頭を下げた。
慌てて私も一緒に頭を下げる。
「すぐに作り直しますので、恐れ入りますが、ご注文を再度お伺いしてもよろしいでしょうか?」
武田さんは低姿勢で、申し訳なさそうな表情をしながら、酔っぱらいの対応をしてくれた。
オーダーを聞き終えた武田さんは、踵を返し、バーカウンターへ向かう。
慌てて私も付いて行った。
「すみません……」
バーカウンター内で、私は半べそ状態だった。
「高畑。注文を聞くとき、メモはしたのか」
武田さんは素晴らしい手際で、注文されたドリンクを作っている。
「いえ、ペン、忘れてきちゃって……」
宴会用の制服(膝丈の黒いワンピースに白いエプロンをつける、絶妙にダサいやつ)に着替える際に、スーツのポケットから入れ替えるのを忘れていたのだ。
武田さんは、お客さんの目を気にしてか、静かに「たわけが」と呟いた。
「ほら、麦ロック、芋水割り。早く持っていけ。俺は後から熱燗を持っていく。お前もしっかり謝るんだぞ」
ドリンクのグラスが乗ったトレーが手渡され、私はそれを、しっかりと受け取り、はい……と自信なく答えた。
「おい、高畑」
名前を呼ばれて顔を上げると、武田さんは自分の胸ポケットから、シルバーの細くて綺麗なボールペンを取り出していた。
「ペン、忘れたんだろう。これを持っておけ」
武田さんはそう言って、銀色に光るそれを、私の白いサロン(武田さんが言うところの“前掛け” )のポケットに入れてくれた。
そこに微かな重みを感じ、さり気ない優しさに、胸がじんと熱くなる。あぁ泣きそう。
「ありがとうございます!」
「構わん」
「……でも」
「なんだ」
「メモする紙を持ってません!」
大変言いづらかったが、ペンだけ借りても仕方ないので正直に言った。
「お前は……」
怒られることを覚悟していたのに、武田さんは珍獣でもみるような目で私を見つめて、「お前はそういう奴だったな」と呟いて、メモ帳も貸してくれた。
「すみません、ありがとうございます! さすが武田さん!」
「いいから、早くいけ」
左手で、しっしと追い払うような仕草をする武田さんは、照れ隠しをしているみたいで、ちょっとだけ、可愛くみえた。
そんなこと言ったら、斬り殺されそうだけど。