「2年B組進藤実希さん。至急職員室まで来てください」
放課後の校内放送ほど、嫌な予感がするものはなかった。
しかもそれが隣のクラスの担任の瀬川先生からの呼び出しだったから尚更だ。
吹奏楽部の全体合奏を申し訳ないと思いながらも抜け出して、音楽室から遠く離れた職員室へ向かう。
彼の担当教科は社会。この間のテストの点数が悪かったのだろうか。
いいや、違う‥そんなことはない。だって社会は得意教科なのだ。
そんなことを思いながら、ああそういえば…
「瀬川先生とちゃんと話すの…久しぶりだなあ」
瀬川和希 33歳。
2年A組担任。社会科担当。
180cm近くある長身と、がっちりした体型からなのか
野球部と生活指導部を任されている。
瀬川先生は、去年の担任だった。
入学して間もなくしてなぜか任された学級委員を1年も続けられたのは先生のおかげだった。
中学入学のタイミングで、隣の県から引っ越して来たばかりの私の不安な気持ちを和らげてくれたのも、先生だった。
だから、今年の担任が瀬川先生じゃなくてひどく落胆した。
2年生になってからも、少しは話す機会はあったのだが、それをだんだんと避けていたのには小さな理由があった。
「おー、実希。来たか」
夏休み明けで、まだ暑さが厳しい。
瀬川先生の、腕まくりされたワイシャツの白が眩しい。
「お疲れ様です。…先生、私点数低かったですか?」
先生はキョトンと目を丸くした後、目を細めて笑い、首を振った。
ああ、この笑顔…久しぶりに見たな。
授業中じゃ、こんな間近では見られない。
「違う違う、いい点数だったよ。さすがだな」
「え、じゃあどうして呼んだんですか…?」
まあ焦るなって、とガサゴソと机の上の資料を漁る。
瀬川先生の机はお世辞にも綺麗とは言えない。
「実希…生徒会副会長、やってみないか」
実希、実希、と先生は何度も私の名前を呼ぶ。しかも、下の名前。
なんでも、下の名前を頻繁に呼ぶ事で生徒との距離を縮めるきっかけにしているとのこと。
「どうして先生は生徒を苗字で呼ばないんですか」と、入学したての頃聞いたことがあった。
その戦法というべきか策略というべきか。まんまとハマっているのも事実。
先生に名前を呼ばれるのは心地いい。
「副会長…ですか」
「うん。2週間後、役員選挙だから。あ、副会長は募集定員が二人で実希の他にC組の山本立佳、1年の鈴木太一が立候補するよ。それから生徒会長はお前と同じクラスの竹下悠真とD組の井原皐月が名乗り出て「ちょ、ちょっと待ってください!」
止まらない先生の言葉をつい遮ってしまう。
「私が副会長って…どういうことですか。それに、瀬川先生は生徒会担当でしたっけ…」
また、キョトンって顔をする。
そんな顔をしたいのはこっちの方だ。うちの学校の生徒会は超生徒主体で知られている。
各種行事の主催、学校催事の手伝い、委員会・部活動の取り締まり‥なんでもありなのだ。
私に副会長なんて
「できないと思ってる?」
「えっ‥」
急に、真剣な眼差しを浴びせられる。
「俺は実希に生徒会副会長になってほしいと思ってる。去年1年間学級委員長を努めた実績を買ってだ」
「学級委員は‥やりましたけど‥」
「それに」
窓から、秋の匂いのする風が舞い込む。
「実希には、生徒会に入らなければならない理由がある」
「り、理由‥ですか」
まあ詳しいことは後で後で、と書類をガサゴソしながら先生は微笑む。
秋の風は、少し潮混じりだった。