そろそろ恋する準備を(短編集)





「あぁっ!? おまえら何全部食ってんだ!」

「急に飛び出して行くからいらないんだと思って」

「あ、陽菜先輩! うまかったっす!」

「ほんと、すごくおいしかったよ」

「陽菜料理うまいんだな!」

「陽菜はなんでも上手だよ。前に食べたオムライスとか肉じゃがもおいしかったし」

「ヒメ! おまえ陽菜の料理食ったことあんのかよ! なんで言わねえんだ!」

「聞かれなかったし、陽菜んち行くって誘ったのに、来なかったの光平くんだよ」


 体育館。入り口の近くで重箱弁当を広げて、それを取り囲むようにみんながわいわいやっていた。
 お弁当の中身は見事に空で、それでも足りずに食べ盛りの高校生たちは、持参したお弁当を食べている。

 光平くんはヒメや小野田くんに掴みかかって抗議していたけれど、講義しても中身が復活するわけではない。


「いいじゃん、いつでも食べられるようになったんでしょ?」

 矢本くんの言葉に、少し考え込んだ光平くんは、腹が立つくらいのドヤ顔で「まぁね!」と答えた。

 答えてすぐにわたしのほうを向いて「作れよな」とストレートに言うから、わたしも「なんでも作るよ」と返事をした。

 たまには素直になる日があってもいいと思った。
 挑発癖のある男と、可愛げのない女の場合は、特に。ね。








(了)

【残り数センチの痛み】




「隼人! ちょっ、ちゃんとしてよ!」

「もういいだろうが」

「駄目! みんなに才色兼備って言われてるわたしが、恋愛初心者なんて絶対駄目!」

「岡本に教えてもらえばいいだろ」

「無理だよ! だって絶対岡本くんのほうがわたしより恋愛経験豊富だもん。笑われちゃうよ!」

「じゃあなんで俺なんだよ。他の奴でもいいだろうが」

「幼馴染みでしょ、協力しなさい!」


 一ヶ月前、幼馴染みの知花が岡本に告白された。
 岡本はこの一ヶ月、手も握らないし、それ以上のことも勿論してこないらしい。

 それが逆に、十八年間彼氏を作ったことがなかった知花を焦らせた。

 もしかして自分に魅力がないのかもしれない、何か問題があるのかもしれない、自分が積極的になった方が良いのかもしれない、とあれこれ考えた結果、俺に「練習台になってほしい!」と最低なことを頼んできた。

 タダじゃ引き受けねえよ、とやんわり断ったのに、真面目な知花は、パンを十個に高いアイスを五個、カップ麺十個に栄養ドリンクを五本持って、もう一度頼みに来た。
 なんで食い物ばっかなんだよ、エロ本でも買って来いよ、と遠回しに断ったつもりだったのに、やっぱり真面目な知花はエロ本を買って、また頼みに来る。
 こうなればもう、引き受けるしかなかった。

 それから一週間、夕方六時からの一時間、知花と俺は、キスの練習をしている。


「はい、もう一回」

「しょうがねぇなあ……」

 知花は不器用に目を閉じて、唇を押しつけてくる。
 何度やっても、全然上達しない。才色兼備が聞いて呆れる。容姿はわりと良いし、勉強もできるくせに、こういうことに関しては何もできないなんて。









 しばらく押しつけてそれを離すと「どうだった?」と自信ありげに質問してくる。

「どうも何も……」

「ちょっと! 岡本くんとわたしが上手くいくかは、隼人にかかってるんだからね!」

 そんなの知ったこっちゃねえ。

「ほら、隼人、もう一回しよう!」


 知ってるか、知花。
 俺はおまえと岡本が、駄目になっちまえばいいって思ってるんだぞ。

 昔から、勉強も家事も難なくこなしていたけれど、肝心な所はちょっと抜けている。そんな知花を放っておけなくて。まるで陶器でも扱うみたいに大事にしてきた。
 それを急に現れた岡本にあっけなくかっさらわれて、腹が立たないわけがない。噂では岡本は、高校に入ってから途切れることなく彼女がいるらしい。それが噂止まりなのは、彼女が全員他校生だからだという。

 そんなやつが、本当に知花を大事にしてやれるのか。することだけして、飽きたら捨てるかもしれない。

 大事な知花が壊されてしまうなら、俺が壊してしまえばいい。
 岡本が何かを仕出かす前に、知花の心を動かしてしまえばいい。


 押しつけられた唇を噛み、少しだけ開いた唇に舌を差し込みながら押し倒すと、知花は驚いた顔をした。

 このまま先に進んでしまえば、次はどんな顔をするだろうか。岡本とは終わるだろうか。俺のものになるだろうか……。








(了)

【ご一緒に恋はいかがでしょう】





「いらっしゃいませご注文をお伺いしま、……」

「来ちゃった!」

「ごめん、結衣ちゃん」

「……」

 バレー部に所属する七峰くんと付き合い始めて数ヶ月。
 学校近くのファストフード店でアルバイトを始めて一ヶ月。
 仕事にも慣れて来た頃、知ってる顔がやって来た。

 七峰くんと、同じクラスの戸神。
 元気が取り柄のバレー部主将戸神はいつも通りへらへらにこにこしていて、七峰くんはいつも通り優しい表情だった。

「……なにやってんの、部活は?」

「今日体育館使えなくてさあ、結衣ちゃんここで働いてるって聞いて!」

 ばらしたな七峰くん……という視線を送ると、ナチュラルに目を反らされた。


 それにしても恥ずかしい。知り合いに、しかも恋人に働いている姿を見られるというのは、こんなに恥ずかしいものなのか。
 くそう……これはしばらく戸神にからかわれるなあ。ていうか、わたしと七峰くんをからかうために来たのか……。戸神ほんとやだ!


「俺、フィッシュバーガーのセットね! 飲み物はコーラ! 七峰は?」

「烏龍茶。Mで」

「あとスマイルもくださーい!」

「それではご注文繰り返します、フィッシュバーガーセット、お飲み物のコーラがおひとつ、烏龍茶のMサイズがおひとつ」

 ご所望のスマイルで注文を繰り返すと、さっき目を反らした七峰くんの視線が戻ってきた。なんだかすごく恥ずかしい。ああ、七峰くんかっこいい。

「……お客さま、フィッシュバーガーのフィッシュはグッピーでよろしいですか?」

「よろしくないです……!」

「それではエンゼルフィッシュバーガー、つゆだくでよろしいですか?」

「やめて!」








 わたしの照れ隠しに気付いたのか、七峰くんはふっと笑って、今までよりもずっと優しい顔をした。

 インハイ予選が近付き「今年こそは!」とバレー部は毎日朝から晩まで練習していて、一緒にいる時間がなくて、寂しかったから始めたアルバイトだった。
 それが結果的に移動費や宿泊費になったら一石二鳥。

 それを白状したら「マネージャーになればいいのに」と真顔で言われてしまったけれど。

 でもマネージャーとしてすぐ横をちょろちょろしているのはちょっと照れくさいし。今でも七峰くんが好きすぎて困っているのに、マネージャーになっちゃったらますます惚れてしまうかもしれない。


 トレイにフィッシュバーガーとポテト、ドリンクをふたつ乗せて差し出すと、手を伸ばした戸神を押しのけ、七峰くんが受け取る。

「頑張ってね」

「ありがとう」

「今日何時に終わる?」

「えと、八時かな」

「じゃあそれくらいに迎えに来るから、たまには一緒に帰ろう」

「ん、分かった」

 目を細め、優しい顔で頷いた七峰くんが、席に移動するのをずっと見ていた。

 戸神はその横で「いちゃいちゃすんなよー!」と抗議していたけれど。うるさい戸神! 高校生カップルの貴重な放課後、たまにはいちゃいちゃさせろ! ただでさえふたりは主将と副主将で仲が良いんだから!


 清々しい気分で顔を上げ、店に入って来たお客さまに笑顔を向けた。

 よし、頑張ろう。あと数時間後には、七峰くんと並んで歩けるのだから。








(了)

【明日が待ち遠しい】





 時刻は夜十時を過ぎたところ。
 もう一時間、携帯のアドレス帳を見ていたけれど、意を決して通話ボタンを押した。相手はわたしの恋人、ひとつ年下の広瀬くん。

 去年同じクラスで隣の席になったバレー部の戸神に「暇なら放課後練習見に来いよ!」って言われて、暇だったから行ってみた。ら、広瀬くんに一目惚れした。

 それから毎日のように練習を見に行った。戸神と広瀬くんの自主練まで見ていた。自在にボールを操る広瀬くんを見ていたら、ますます好きになった。

 会釈から始まり、挨拶をするようになり、一言二言話すようになり、校内でばったり会ったら雑談するようになって、ついに先月告白した。

「好きです、付き合ってください」と言ったら「いいですよ」って。
 バレーをしているときはセッターとして誰よりもコートの中の動きを把握し素早いボールさばきを見せるのに、バレーから離れた広瀬くんは誰よりもテンションが低い。
 だからわたしの告白にも全く顔色を変えず、まるで物の貸し借りを了承するかのように頷いた。ん、だけど……。


 わたしが通う宝命館学園高校のバレー部は、もう何年も県内ベスト4の座を譲らない強豪校で、広瀬くんはバレー部の正セッターで、特に今年は優勝も狙えるんじゃないかというくらいのメンバーが揃っているらしいから、優先するのは「恋人」より「部活」なわけで……。
 ていうか広瀬くんは、色恋できゃぴきゃぴするタイプには見えないし……。

 だから結果的に、付き合っていても関係はあまり変わらなかった。

 強豪校の正セッター。素人のわたしにでもその重要さが分かるから、我が儘も言わずこれまで通りに過ごすことにしたんだけれど……。


 でも。声が聞きたいってときもある。大好きな「恋人」の声が。

 だから悩みに悩んだ結果、通話ボタンを押したのだった。






 長いコールのあと「はい」と広瀬くんの声。ああ、広瀬くんの声だ。かっこいい。相変わらずテンションが低い。

「あ、こ、こんばんは」

「こんばんは」

「ひ、広瀬くん、何してた?」

「週末課題を解いていました」

「……もう火曜だよ?」

「ついうっかり」

「珍しい。広瀬くんしっかりしてそうなのに」

「そんなことないんですが……明音さん」

「はい?」

「用件は?」

「へ?」

 声が聞けて、幸せな気分に浸っていたら、いきなり現実に引き戻された。

「あー……ええと、広瀬くん何やってるかなーって思って」

「はあ」

「声が……聞きたくなって」

「つまり、用件は特にないってことですよね」

「……はい、そうです」

 不穏な空気。思わずベッドの上に正座した。

 つい数秒前から一転。悲しい気分になった。

「用件がないなら、もういいですか?」

「……」

「明音さん?」

「……用がなきゃ」

「用がなきゃ……電話もしちゃだめなの?」

「え?」

 切った。返事を聞かずに終話ボタンを押して、携帯を投げ捨てた。





 やってしまった。嫌われたかもしれない。

 広瀬くんは強豪校の正セッターで、課題を忘れるくらい忙しいのに……。用件もないまま電話なんかして。嫌われコースまっしぐらだ。

 そもそも付き合い始めて何か変わったかといえば、何も変わっていない。
 広瀬くんは一体どういうつもりで、告白をオーケーしたんだろう……。


 投げ捨てた携帯が鳴って、顔を上げる。
 ディスプレイには「着信中 広瀬くん」の文字。

 振られる。絶対に振られる。一年間の片想いがようやく実ったはずなのに、もう振られてしまう。

 迷ったけれど、通話ボタンを押した。

「……はい」

「明音さん」

「……広瀬くん、ごめんね、明日舞踏会だからもう寝ます」

 無駄な足掻き。でもせめて明日まで、別れ話はとっておきたかった。

「は? 舞踏会?」

「じゃあ、おやすみ……」

「ちょっと。待ってください、話しましょう」

「舞踏会のあとじゃだめ?」

「だから舞踏会ってなんですか」

 舞踏会、に特に意味はない。なんとなく浮かんだただの言い訳だ。

 広瀬くんは深く息を吐く。
 わたしはばくばくとうるさい心臓を、どうにか静めようとしていた。告白したときよりも鼓動が速い気がする。

「明音さん、すみません」

「え、いや……はい」

「冷たすぎました」

「いや、課題やってたのに、邪魔したわたしが悪いので……」

「そうじゃなくて」

「え?」

「ここ一ヶ月、せっかく付き合っているのに、それらしいことをひとつもしていない」

「……」

「すみません」

「や、ううん。広瀬くんは忙しいから。練習大変そうだし……ぜんぜん、構わないんだけど……。用件を、焦らさずに行ってほしいなー……なんて」

 動物も人間も、一生で打つ鼓動の数は同じらしいと聞いたことがある。これ以上ばくばくいったら、打ち切って早死にしちゃうかも。
 それを阻止するためには、早く別れ話を切り出してもらいたいのだ。

 広瀬くんは「そうですね」と呟いて、息を吸う。







「明音さん」

「はい……」

「好きですよ」

「……はい?」

「好きです、あなたが」

「は、はあ……はい、え? どういうこと?」

「言ってなかったなと思って」

 そういえば言われていなかった。告白の返事は「いいですよ」だったし。

 いや、でも、そうじゃなくて……。


「別れ話は?」

「別れ話? なんですか急に。別れたいんですか?」

「いや、ぜんぜん!」

「よかった」

「あー、うん……」

 拍子抜け。別れ話かと思いきや、告白された。広瀬くんから。そんなこと言わなそうな広瀬くんから。好きですと言われたら。ほっとしたやら嬉しいやらで力が抜けて、ベッドに倒れ込む。

「明音さん」

「はい」

「試合も近いし、デートとかはあまりできないと思いますが」

「うん、いいよ、平気」

「でも、一緒に帰ったり、弁当食ったりはできるので」

「え?」

「明日、昼、一緒にメシ食いませんか」

 こんなに……。こんなに幸せなことがあっていいのだろうか……。

 無性に泣きたくなったけれど、ぐっと堪えて「いいよ」と返事をした。

「それから」

「うん」

「明日、会ったら、明音さんにキスをしてもいいですか?」

「へ、へぇっ?」

「我慢してたので、します」

「……お、おうふ……」

 広瀬くんの話が別れ話じゃなくても、鼓動はおさまらない。から、わたしはやっぱり早死にするかもしれない。

「た、た、楽しみにしてます……」

「はい、じゃあ、また明日」

「お、やすみ、なさい」

「おやすみなさい」


 電話が切れても、わたしは携帯を耳に当てたまま、しばらく動けないでいた。


 こんなに……。こんなにこんなにこんなに。明日が待ち遠しいと思ったのは初めてだった。








(了)