「てか、デートって?」
「なっ、それは……!」
天音先輩が勝手にそう言っているだけで、デートなんかじゃないよ。
そう言おうとして、どこかから視線を感じた。
どこからか、なんて見なくてもわかる。
離れていて声は聞こえないけれど、それでも悟ることができるほどその効果は大きい。
……天音先輩が不気味な笑顔を貼りつけてこちらを見ている。
きっと、錦戸くんは気づいていない。
つまり、言うなってことだろう。
距離は離れているのにその威圧が伝わってくるなんて、本当に彼は何者なんだろう。
「あはは、なんだったっけ」
通じないとは思うけれど不自然に誤魔化して乗り切る。
やっぱり錦戸くんはどこか納得していない様子だ。
そんな彼はそのままにして、辺りに目を配る。
先輩からの鋭い視線はもう外れたようだ。
会議室の席はほとんどいっぱいになっていた。
「気をつけ。
これから、文化祭実行委員会を始めます」
騒がしかった部屋とは一変し、真剣な雰囲気で始まった委員会。
さっきまで話していた天音先輩は、別人のように的確な指示を出して進めていく。
やっぱり彼は、人をまとめることに秀でているんだと実感した。
この学校の顔でもある生徒会長にはぴったりだと思う。
まずは自己紹介。
その次は、クラスで支持者が多かった出し物について発表した。
私達のクラスは無事ステージ発表に決まり、今日はひとまず解散となった。
「ふぅ……。
音中さん、お疲れ」
「うん、錦戸くんも」
軽く言ってみたけれど、確かにハードで疲れたかもしれない。
委員会に入った経験のない私には、かなりの重労働だったように思える。
「それにしても、天音先輩ってすごいよな」
すごい。
その言葉だけでは表せないほど、彼はいろいろな才能がある。
確かにすごいとは思うけれど、面と向かって言う気にはなれない。
「運動も勉強もできて、昔はピアノも弾いていたらしいよ。
もう、完璧人間だよなー」
「え……?」
完璧人間。
それは、否定できない。
完璧な人なんているはずがないけれど、彼は完璧に近い人だと思う。
そんなことを本人に言ったら、「外面しか見ていない」とか言われそうだけれど。
それよりも私が気になったのは、錦戸くんのもうひとつの言葉だ。
天音先輩がピアノを……?
でも、私と同じで音楽の授業には出ていないはずだ。
まさか、まさか……。
ううん、そんなわけがない。
一瞬でも、私と同じだなんて思ってしまったことが情けない。
先輩が私みたいにいつまでも逃げているような人には見えないし。
「それなのに彼女いないの、どうしてかな。
絶対モテるのにさ」
なんて独り言のように呟く彼の言葉に、どうしようもできない胸騒ぎを覚える。
やっぱり彼女いないんだ。
なんて、そんなことは一瞬しか思わない。
それよりも、どうして弾かないんだろう。
天音先輩にも、何か事情があるんだろうか。
その疑問だけが頭の中を巡る。
きっと率直に尋ねてみても、冷たい言葉で突き放されるんだろう。
だって彼は、相手には踏み込もうとするのに。
自分のことには一切触れさせない人だから。
それなのに、知りたいと思ってしまう私は、なんなんだろう─────。
文化祭まで、残り3日。
準備は順調に進んでいる。
私の仕事は、アドバイスをしたり、放課後みんなより少し遅く残って話し合いをしたりするだけ。
みんなをまとめて指示を出したりするのは、全て錦戸くんがしてくれている。
音楽のことについて携わりたくはなかったけれど、何もしないというわけにはいかず。
結局私は作詞をすることになった。
錦戸くんに頼ってばかりで申し訳ないから、せめてこれだけはしなければならない。
もちろん私ひとりで作るわけではないけれど、どうせするなら素晴らしいものを作りたい。
それに、人の意見を聞くことは苦手だから、隣の席の彼にはいつも感謝している。
私は私にできることをするしかない。
「ねぇ、陽葵ちゃんっ」
今日も文化祭準備が終わり、錦戸くんと少し残って疲れ果てて帰ろうとしたとき。
錦戸くんとふたりで学校を出ようとした私の前には、日々ちゃんがいた。
「日々ちゃん?」
「文化祭、一緒に回ろ?」
上目遣いで見上げる日々ちゃんからの誘いを断る理由なんてない。
それに、こんな私と一緒に回りたいって言ってくれるんだもの。
やっぱり彼女は優しい人だ。
「うん、もちろん」
日々ちゃんのようにかわいらしい笑みなんてつくれないけれど、精一杯の笑顔をつくる。
このやりとりを隣で見ていた錦戸くんは、 「いいなー」「俺も回りたいなー」などとアピールしている。
けれど、日々ちゃんはプクッと頬を膨らませている。
「ダーメ。
陽葵ちゃんは私とデートするんだからっ」
デート、だなんて。
日々ちゃんにそう言ってもらえて嬉しい気持ちと、もうひとつの感情が渦巻く。
天音先輩の言葉を思い出して、胸がドクリと嫌な音を立てた。
「私は、陽葵ちゃん達が来るのを待っていたんだよ?」
だから、私の勝ちだもん。
かわいらしい口調でそう訴えて、日々ちゃんは私の腰に手を回す。
私が男子だったなら、きっと恋に落ちているレベルだろう。
……恋なんて、したこともないけれど。
「ほら、陽葵ちゃんからも言ってあげて?」
「えー」とふざけたように不満をこぼす錦戸くんを前に、日々ちゃんが訴える。
えっと、急に話を振られても困るんだけれど。
とりあえず、ここは日々ちゃんに便乗しておこう。
「ごめんね。
錦戸くんは、他の人と回ってくれる?」
……なんだか、無難だ。
私って本当に面白くない。
自分で言ってからまた後悔する。
こんな私と一緒にいても、楽しくないに決まっている。
もっと私が、対話能力が高い人だったなら。
もっと私が、つまらない人間じゃなかったなら……。
そんな叶わない夢を考えて自己嫌悪に陥っているのは、いつからだっただろう。
「ははっ、やっぱり音中さんって面白いな」
「え?」
突然聞こえた錦戸くんの言葉に耳を疑う。
今のは、聞き間違いだろうか。
面白い?
そんな要素なんて、ひとつもなかったはずなのに。
「陽葵ちゃんの真面目な受け答えが、逆に面白いんだよー?」
顔を見れば日々ちゃんも笑っているけれど、私にはわからない。
きっと彼らの笑いのツボは、私には理解できないところにあるんだろう。
だって、今の返答のどこに面白い要素があったって言うの?
私の顔を見て、話を合わせているに違いない。
そうは思うけれど。
「日々ちゃん、錦戸くん」
こんなにも、居心地がいいと思ったのは。
私のことを受け入れてくれたのは。
ふたりが初めてだ。
だからこそ、私も恩返しがしたい。
ふたりの期待に応えたい。
「こんな私と一緒にいてくれて、ありがとう」
なぜか伝えたくなってしまった。
自然と感謝の言葉が口から出てくる。
思い立ってすぐに行動に移すようなタイプではないのに。
そうしたのはきっと、私にも友達がいるとふたりが教えてくれたから。
そして。
『お前にだけは、本性を見せられそうだな』
仮面を被った天音先輩が、そんな本音を見せてくれたから。