それと同時に。
「……やぁ、音中さん」
「えっ!?」
後ろから誰かに話しかけられ、背中がゾクッとした。
嘘でしょう?
この声は………振り返ると、後ろには予想通り天音先輩がいた。
後ろに誰かがいるなんて夢にも思わなかった。
錦戸くんもどうやら同じようで、驚いた顔をしている。
この人は、気配を消したり感情を隠したりする天才なのかもしれない。
「久しぶりだね。
あのときの “ デート ” 以来かな」
今の、絶対にわざとだ。
私の顔は確実に強ばっているに違いない。
隣に錦戸くんがいることをわかっていて、なおかつ “ デート ” と言う単語を強調したんだ。
……なんて意地悪な性格をしているんだろう。
この天音先輩は。
「デ、デート?」
私と天音先輩が知り合いだったことに驚いているのか。
天音先輩のような人と話していることに驚いているのか。
それとも、“ デート ” という言葉に驚いているのか。
それはわからないけれど、確かに錦戸くんが動揺しているのがわかる。
……これは、きちんと弁解しないとあらぬ誤解を生んでしまいそう。
もっとも、先輩はそれも承知の上でからかっているんだと思うけれど。
「先輩、紛らわしい言い方はやめてください」
「本当のことなのになぁ」
なんなんだろう。
何も知らない人には親しげに聞こえるこの会話は。
そして、あの日のことを包み隠さず言ってしまう彼は、何か裏があるんだろうか。
今も怖くなるくらい完璧な笑顔を向ける彼に、苦笑いしか返すことができない。
「隣の彼とは友達?」
「あっ、俺、錦戸昇っていいます」
質問に答えたのは私ではなく錦戸くん。
生徒会長と話す機会はあまりないからか、少し緊張しているのがわかる。
その返答を聞くと、先輩は少し顔をしかめて「ふうん」と呟く。
まじまじと見つめられているせいか、錦戸くんの顔が赤い。
今の質問、意味はあったんだろうか。
何かを見定めるような、面白がっているような、そんな不思議な顔だった。
彼の考えていることは理解不能。
私の手には負えない。
「まあいいや。
錦戸くん、音中さんのことはよろしくね?」
「は、はいっ」
よろしく、だなんて。
私は天音先輩の何でもないのに。
それに、そんなことを言ったら錦戸くんにもっと迷惑をかけてしまうじゃない。
この人は、一体何を考えているの?
言い返そうとしたときにはもう遅く、既に先輩は1番前にある生徒会長席に着いていた。
錦戸くんも嵐のように去っていった彼には驚きを隠せていないようだ。
……今日も掴めなくて、不思議な人。
でも、あの日の “ デート ” は夢じゃないんだと改めて感じた。
出かけたときに、天音先輩のことは信頼できる人だと思い直した。
でも、だからといって好き嫌いは別問題だ。
私はやっぱり彼が苦手で、この事実はきっと変わらないと思う。
「生徒会長って、かっこいいよな。
音中さん、知り合いだったんだ?」
話の流れからすると、当然の質問だろう。
あの生徒会長と私に接点があったことに驚くのが普通だ。
錦戸くんは、彼と話すときに頬を赤く染めていたから。
……憧れている、なんてこともあるのかもしれない。
私だって、かっこいいとは思う。
けれど、憧れなんて絶対にもたない自信がある。
「うーん、まぁ」
でも、あまり触れられたくはなかったので曖昧にそう答えた。
サボっているときに知り合った、なんて言ったら彼の信頼がなくなってしまいそうだし。
「てか、デートって?」
「なっ、それは……!」
天音先輩が勝手にそう言っているだけで、デートなんかじゃないよ。
そう言おうとして、どこかから視線を感じた。
どこからか、なんて見なくてもわかる。
離れていて声は聞こえないけれど、それでも悟ることができるほどその効果は大きい。
……天音先輩が不気味な笑顔を貼りつけてこちらを見ている。
きっと、錦戸くんは気づいていない。
つまり、言うなってことだろう。
距離は離れているのにその威圧が伝わってくるなんて、本当に彼は何者なんだろう。
「あはは、なんだったっけ」
通じないとは思うけれど不自然に誤魔化して乗り切る。
やっぱり錦戸くんはどこか納得していない様子だ。
そんな彼はそのままにして、辺りに目を配る。
先輩からの鋭い視線はもう外れたようだ。
会議室の席はほとんどいっぱいになっていた。
「気をつけ。
これから、文化祭実行委員会を始めます」
騒がしかった部屋とは一変し、真剣な雰囲気で始まった委員会。
さっきまで話していた天音先輩は、別人のように的確な指示を出して進めていく。
やっぱり彼は、人をまとめることに秀でているんだと実感した。
この学校の顔でもある生徒会長にはぴったりだと思う。
まずは自己紹介。
その次は、クラスで支持者が多かった出し物について発表した。
私達のクラスは無事ステージ発表に決まり、今日はひとまず解散となった。
「ふぅ……。
音中さん、お疲れ」
「うん、錦戸くんも」
軽く言ってみたけれど、確かにハードで疲れたかもしれない。
委員会に入った経験のない私には、かなりの重労働だったように思える。
「それにしても、天音先輩ってすごいよな」
すごい。
その言葉だけでは表せないほど、彼はいろいろな才能がある。
確かにすごいとは思うけれど、面と向かって言う気にはなれない。
「運動も勉強もできて、昔はピアノも弾いていたらしいよ。
もう、完璧人間だよなー」
「え……?」
完璧人間。
それは、否定できない。
完璧な人なんているはずがないけれど、彼は完璧に近い人だと思う。
そんなことを本人に言ったら、「外面しか見ていない」とか言われそうだけれど。
それよりも私が気になったのは、錦戸くんのもうひとつの言葉だ。
天音先輩がピアノを……?
でも、私と同じで音楽の授業には出ていないはずだ。
まさか、まさか……。
ううん、そんなわけがない。
一瞬でも、私と同じだなんて思ってしまったことが情けない。
先輩が私みたいにいつまでも逃げているような人には見えないし。
「それなのに彼女いないの、どうしてかな。
絶対モテるのにさ」
なんて独り言のように呟く彼の言葉に、どうしようもできない胸騒ぎを覚える。
やっぱり彼女いないんだ。
なんて、そんなことは一瞬しか思わない。
それよりも、どうして弾かないんだろう。
天音先輩にも、何か事情があるんだろうか。
その疑問だけが頭の中を巡る。
きっと率直に尋ねてみても、冷たい言葉で突き放されるんだろう。
だって彼は、相手には踏み込もうとするのに。
自分のことには一切触れさせない人だから。
それなのに、知りたいと思ってしまう私は、なんなんだろう─────。
文化祭まで、残り3日。
準備は順調に進んでいる。
私の仕事は、アドバイスをしたり、放課後みんなより少し遅く残って話し合いをしたりするだけ。
みんなをまとめて指示を出したりするのは、全て錦戸くんがしてくれている。
音楽のことについて携わりたくはなかったけれど、何もしないというわけにはいかず。
結局私は作詞をすることになった。
錦戸くんに頼ってばかりで申し訳ないから、せめてこれだけはしなければならない。
もちろん私ひとりで作るわけではないけれど、どうせするなら素晴らしいものを作りたい。
それに、人の意見を聞くことは苦手だから、隣の席の彼にはいつも感謝している。
私は私にできることをするしかない。
「ねぇ、陽葵ちゃんっ」
今日も文化祭準備が終わり、錦戸くんと少し残って疲れ果てて帰ろうとしたとき。
錦戸くんとふたりで学校を出ようとした私の前には、日々ちゃんがいた。