キミの音を聴きたくて



「陽葵ちゃんは、兄弟とかいるの?」




………わかっている。



日々ちゃんは、悪くない。
悪いのは、私なんだ。



この質問をされて答えられないのも、私のせい。
その事実だけは、あの日からずっと変わらない。




彼女はきっと、毎日お弁当を作ってくれるお姉ちゃんのことが大好きなんだろう。



だから嬉しそうにお弁当を口に運んでいるんだ。
そんな存在がいるなんて、羨ましい。




「……私は、いないよ」




それだけ答えた後は、どんな話をしたのか覚えていない。




会話は成り立っていたんだろうか。
不自然に思われなかっただろうか。



笑みを繕うことで精一杯で、それどころじゃなかった。



不安が募っていくばかりで、他のことなんて何も考えられなかった。




◇◆◇




ひとりきりの教室。



静かな空間に身を任せ、心を落ち着かせていると、遠くから声が聞こえてくる。




「音中さーん」



「陽葵ちゃーん」




廊下から響いてくるこの声は……錦戸くんと日々ちゃんものだ。



私を探しに来たんだろう。
別にいいって言ったのに。



別に、ふたりのことが嫌いなわけじゃない。
逃げているわけでもない。




でも今は。
今だけはひとりでいたい。
誰にも見つかりたくない。



もしも見つかってしまったら、全てを口に出してしまいそうだから。



彼らに隠しごとなんてしたくない。
でも、それで嫌われるよりはよっぽどいい。



お願いだから、私を探さないで。



そんな願いも虚しく。



「やっぱり教室にいたか」



「陽葵ちゃん、一緒に行こ?」



騒がしい声と大人しい声が、教室のドアを開けた。




次の授業は、音楽。



だから私は『出ない』って言ったのに。
このふたりは、それでも私を誘おうとここまで戻ってきたらしい。




「私は、行かないよ」



何か聞かれる前に、ひとりでに答えた。




私が彼らに何も話していないのが悪い。
でもそんな勇気はない。



だから、隠し続けるしかないの。
後ろめたい気持ちはもちろんあるけれど、仕方がないことだ。




音楽の授業なんて受けたくない。
音楽なんてもう聴きたくない。



あんなことをしてしまった私に、音楽と関わることは許されない。



「なぁ、どうして音中さんは音楽の授業だけ出ないんだよ?」



その言葉が、私を心配して言ってくれているのは伝わってくる。



どうして彼らはこんなに優しいんだろう。
裏切り者の私には居場所なんてないのに。




みんなに迷惑をかけたいわけでも、構ってほしいわけでもない。



むしろ、こうして迎えに来てくれているのに応えられないことが申し訳ない。



それでも。




「音痴だから、音楽は嫌いなんだよね。
だからサボっているの」



これだけは、この秘密だけは。
打ち明けるわけにいかない。



ふたりは誰にも言いふらしたりしない。
そんなことはわかっている。




でも、これ以上問い詰められると、ボロが出てしまいそうで。



この嘘に気づかれないよう、なるべく自然に笑顔でそう返した。





「そんなところで、何しているのかな?」



「げ……」




今は、実際なら音楽の時間。



さっき私を呼びに来た日々ちゃんと錦戸くんには、『音痴だから』という嘘で乗り切って。
今は屋上で絶賛サボり中。



……のはずだった。




「もしかして、また音中さん?」



それなのに、また私の前に現れたのは。




「……会長こそ、またですか」



前回サボっていた日にも遭遇した、生徒会長だった。




ダメだ。
こんな偶然、全く笑えない。



っていうか、これは偶然なんかじゃない気がする。



彼もまた、サボっているなんて……。



私がサボっているのが悪いんだとは思うけれど。



生徒会長である天音先輩が授業をサボっている方がよっぽど信用に関わると思うのは、私だけ?



勝手な想像の押しつけかもしれないけれど、生徒会長は正しく真面目じゃなきゃいけない。
と私は思う。




「またって、キミには言われたくないんだけどな?」



こんなときに、『はは、こんにちはー』くらいの愛想笑いができたらどんなに良かっただろう。



そんなことをしても、きっとこの人にはわかってしまうんだと思うけれど。




一見、まさに生徒会長って感じの爽やかな笑顔。



でも見方を変えれば、誰にでも親近感を与えられるような、そんな見せかけの笑顔。



私にはそれがわかるから……やっぱりこの人は、苦手だ。



「顔を引きつらせるなんて、そんなに俺には会いたくなかった?」



あ、れ……。
また心の中を読まれてしまったの?



私としたことが、完全に不覚だった。




一瞬でも隙を見せれば、その間に全てを読み取ってしまうのがこの人の怖いところ。



何を考えているのかもわからないから、正直言って本当に会いたくなかった。




「そんなわけ、ありませんよ」



こんな嘘が通じるなんて思ってはいないけれど、社交辞令として一応言っておこう。



でもやっぱり、彼に嘘は通じない。




「……さっき、『げ』って言わなかった?」



ほら、出たよ。
その表面的な笑み。



怖すぎて背筋が寒くなる。



「そうでしたっけ?
覚えていないです」



……って、どうして私は会長に向かってこんなに挑発的な態度をとるんだろう。



学校のトップに口答えをするなんて、私には恐れ多い話だ。



それでも、言い方が妙に癪に障るから、口の動きが止まらない。
これはわざとなんだろうか。




「次にサボったら……指導するって言ったよね?」



うん、確かに言われた。



でも、例えそうだとしても。
私は音楽の授業に出たくない。



この思いは、きっとこれから先も変わることはないだろう。




「それでも、構わないです」



変な人だと思われた。
そう思うからこそ、顔は見られない。



生徒会長に目をつけられるなんて、私の学校生活は既に地獄へのカウンドダウンが始まっているようなものだ。



「お前……」



あ、怒られる。
直感でそう思った。



悪いのは素直に聞き入れない私なんだけれど。



あの生徒会長でも怒ることってあるんだ。
あんなに綺麗な仮面をつけているのに。




そう、誰にも剥がされることのない化けの皮。



きっと彼にも音楽の授業に出ない深い理由があるんだと思うけれど、そんなの私には関係ない。





「今週の土曜日、空いているか」



「……はい?」



てっきり、怒られると思った。
無理にでも音楽室に連れて行かれるのかと思った。




でも、違った。



いきなり今週末の予定を聞いてくるなんて、この人はなんて変わり者なんだろう。